梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

ブルージンと皮ジャンバーと自由が丘

2020-05-08 17:46:05 | 昭和の頃
「ブルージンと皮ジャンバー」と言う曲が流行ったことがある
アダモと言う歌手で名前からしてフランス人かと思ったが調べると
サルバードール・アダモと言う名前でイタリア人だという
作詞作曲をして自分で歌う、独特の声とうたい方がシャンソンにもカンツオーネにも聞こえる
「ろくでなし」はシャンソンだと思うし「雪が降る」と言う曲は実に日本的だ、
「インシャラー」もシャンソン風だが普通のシャンソンとはまた違う
永い事聞いている、ドライブに夢中だった時も晩酌をひとりで飲むときも流していた
レコードからCDになっても彼のベストはよく聴いている、
ジャズを聞き始めても昔よく聴いた曲は思い出したように聴くことがある、
最初は幾つ頃だったのだろうか、覚えていないのだが今聴いてもやはり新鮮に聞こえる
殆どの曲は日本語でもカバーされているがやはりオリジナルが良い、
自由が丘に「カンツオーネ」と言う店があった
駅の北側に狭いロータリーがあって正面の右側に狭い路地がある、まっすぐ行くと自由通りだ
この角から一軒目の小さなビルに「ファイブスポット」と言うジャズ喫茶と「カンツオーネ」が入っていた
狭い店にグランドピアノがあって女性の歌手が歌っていたが誰と行っていたのか覚えていない、
まさかむさくるしい男同士では無かったはずだが相手を覚えていない
失礼な話だがその時の相手より店の雰囲気の方が鮮明に覚えている
自由が丘はすんでいる蒲田と言う所からかなり近いのだがその雰囲気は全く違うので女の子と飲みに行くのは大抵ここになった
男同士で行くには蒲田か五反田と言う所でそれなりの飲み屋からその流れで行く店が多いのだが流石に女の子と入るという店はあまりなかった
もっともある時代からそういう所に飲み歩くような女子も増えてきてそれはそれで楽しかったのだがまあそのころ女子を連れて行くとするとこの付近は自由が丘だった
一時「コンパ」と言う形式の店が流行ったことがある、今でいう「合コン」で使うコンパではない、形としてはカウンターだけで中にバーテンダー(モドキだが)いる、
最初はいわゆるカクテルバーで女の子はカクテルを飲んで若い男は大抵「ジンライム」だった、
ピンクレディーと言うと有名な歌手だが元々はショートカクテルの名前だった。
甘く飲みやすいので飲みすぎてしまうのを目的に連れて行く不届き物も多く、オレンジジュースとウオッカのスクリュードライバーは別名「女殺し」と言われて居た
もっとも女子の方も当然知っていて飲むのだから準強姦と言うわけではない
次から次と女の子を連れてきては口説く(?)奴も居たがカウンターでカクテルを作る黒服と言う連中を目当てに女どうして来る客も居てタクシー運転手から転職した友人は結構遊んでいた、
カンツオーネに連れて行ったのはやはりある程度特別だったのだろうが全く覚えていないのは薄情なのか物覚えが悪いのか
(多分アイツだったんじゃないかな)とは思うのだが、まあ振られた事である事は間違いない、ので意識的に忘れてしまった
20代後半から30代半ばまで昭和の時代は今に比べればいい時代だったのだろう
平成から令和となり我々が勝手気ままに生きて来た年齢の今若者は少々気の毒な気がするな、挙句の果てにこのパンデミックでは踏んだり蹴ったりか、
政治家も政治ももう少し気概があったし覚悟もあった、今の政治家は矮小で俗悪だ
もっとも歳をとると昔から誰しも「昔はよかった」と「いまの若いものは」は言うらしいのだが