梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

故郷は

2022-03-13 14:07:11 | 雑記

この花の名前はなんだろう

花屋さんの店先で

ガードレールの足元で

花咲く野辺に陽は落ちて、みんなで肩を組みながら歌を歌った帰り道、
幼なじみのあの頃あの歌、あ~あたれが故郷を思わざる

如何におわす父母、つつがなきや友餓鬼、・・・・
忘れがたき故郷
故郷の歌は色々ある、やはりそれは忘れ難きものなのか
しかし、石川啄木は
「故郷は遠きに有りて思うもの、そして悲しく歌うもの、異土のかたいになろうともかえるところにあるまじや」とうたっている
「石もて追われる如く」と言い、それでも「故郷の山は有難きかな」と詠んだ、
「人生の並木道」と言う歌では
「幼い二人して故郷を捨てた甲斐が無い」と詠われる、
各々で故郷にだく思いは様々だ、
自分にとって故郷は捨てたのか捨てられたのか、故郷を出てすでに半世紀が過ぎ、生まれ育った家どころかしるべの人すら殆ど居なくなり、
東京に出た時は特急を使っても5時間以上かかった距離は新幹線と車を使えば2時間もかからなくなった、
東京に出た直後あの村に帰りたかったのは只のホームシックだったのだろうか
親兄弟も居ず家すら無いのに戻ったところでどうしようもあるまいに、
よく考えれば村に馴染めなかった父の影響で自分の居場所も決して居心地の良いわけもなく、それこそ気持ちは追われる如く村を出た
捨てたのか捨てられたのか、それでも仕事で近くに来ると用事もないのに車でひと廻りしてくるのは単なる郷愁か、
今もし何の憂いもなく好きな処に住めるとしても間違いなくあの村には帰るまい、
「村」と言う所が受け入れるのは「大臣か乞食」だと言う、
よそ者には大きな壁と強い抵抗がある、しかしそれ以上に「出て行った者」を再度受け入れるの難しい、
は成功して戻ればやっかみが、失敗して帰ったとしたら侮蔑が待っている、
我が故郷だけでは無い事は同じ様な事を色んな所で聞いた、
「故郷は遠きに有りて思うもの、帰る所にあるまじや」まして“他人”が行く処にはあるばじやである
「人生の並木道」はどう云う背景か知らないが最後の節では
「生きて行こうよ希望に燃えて、我が世の春はきっと来る、此の人生の並木道」と締めくくっているのが救いだが
今の若者の大半は希望に燃えたと言う事が出来ない世の中の様だ、
生まれた環境で希望か絶望かと振り分けられる時代は社会を暗くし、国そのものを衰退させる、
自由主義を謳うならスタートラインと走る装備は生まれたすべての人を平等にしなければ公平な競争とは言えないだろう