梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

魚取りの2

2010-08-22 12:13:34 | 日記
鰻を取るのは「穴釣り」という方法を使う、大きな太い針で「毒針」と言っていた奴にタコ糸を付けた奴に餌の縞ミミズを丸ごと1匹取り付ける(我々の所はガブロミミズと言っていた、畑に肥料用に敷いて居る物をどけると何匹か居た)此れを篠竹で作った細い竿の先端を切り、その穴に引っかけて鰻の居そうな穴にそっと入れる、あの頃はその方法で2~3時間頑張ると数匹は獲れた、時々鰻ではなく蟹の穴の事もあって引きを確かめそっと引き出すと蟹の半身が穴から出た所で餌だけ取られる事が有った、黒くって鋏に毛の生えた蟹で「ズガニ」と言っていたが最近本名は「もずく蟹」と言うのだと知った、網で追い込みをやって居ると時々これが獲れる、此れは味噌仕立てにする、束子で洗ってから茹で上げてそこに味噌を入れるのだが腸のせいかすこし苦く子供の私はあまり好きでなかった。増水して水が濁ると此の鰻の仕掛けを幾つも作り川が澱んだ所に夕方から仕掛けて置く、あくる朝早く引き揚げると10本も入れておくと2~3本掛かって居た、しかし鰻を開くと言う技術は無いので腹を開いて腸を抜くと竹串にさして焼く、丸焼きに近いがどうもこの焼き方が蒲の穂に似ている所から「蒲焼」と言う名前になったらしいのを大人になってから知った、まあその頃子供の口には居る事は殆どなかったのだが。有る程度大きくなると大人が夜漁に連れて行ってくれた、このあたりでは「夜ぼり」と言っていたが字は解らない、当時どの家にもアセチレンランプが有って燃料のカーバイトも農協で売って居た、その頃の夜店は殆ど此れでアセチレンの燃える匂いが祭りの思い出でもある、アセチレンランプは上下に分かれて居て下の部分に白い石の様なカーバイトを入れて上の部分には水を入れる、中央にねじが付いていて此れが水を落とす調整弁になって居た、ネジを緩めて暫くすると半円の傘の下にある2つの穴からシューと音を立ててアセチレンガスが出てくる、火を付けると勢いよく炎が噴き出した、想像以上に明るい。これを持って川下から上流に向かって川を溯るのである、大抵夏の日差しが落ちて夜の闇が落ち着く8時前くらいから12時頃まで続く、そーっと水の中を見て歩くと流れの無い所に魚が寝ている、魚も寝るのであるが目は開いていてじっとしているのである、目の前にタモを置くとすぐ後ろを足で脅すとそのままタモの中に入って来る、鰻は夜行性なのでこの時分は川の中を泳いで(這って?)居る事がある、此れも結構獲れた、獲物はハヤとモロゴ、キンキンと言っていた小魚とこの地方では「ずんこ」と言っていたカジカが取れる、これは白身で結構うまかった、時々は鮎も取れた、しかし獲物より夜の遊びが大人公認で出来る事の方が魅力だった、小さな川で両岸は殆ど篠竹の林で所々に灌木が生えているのでアセチレンランプの光に人の影が大きく揺らいで浅瀬をゴム草履で歩きながら妙に心が弾んでいた、あのままあの村に居たらやはり子供を連れて同じ事をやって居たのだろうか、それとも時代が変わりそんな物に子供達は見向きもしないのだろうか、望むらくは今でも楽しんでくれると思いたいのだが


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