先週から1時間程歩いている、幸いこの付近は古い住宅が多く庭もあるし坂道が多いので退屈はしないが折角なのでカメラを持って歩いている、近くの公園はこの1週間で見事に色付いて来た、今年は果実が豊作、と言う表現はおかしいかもしれないが兎に角色んな果物が垣根越しに多く見える、柿も色んな形の物が有るのに驚いたが蜜柑がすごい、実の周りに葉がある様な状態で実っている、夏蜜柑も多いが普通の蜜柑のなり方が目立っている、午後になって陽射しが出て来たので特に黄色の実が目立つ、坂の上に重そうに実っている蜜柑がちょっと絵になるのでカメラを向けていたら後ろに立っていた女性がこの家の方だった、「良かったら持って行って下さい」と言われ辞退したのだが「ちょっと待って」と庭に採りに行ってしまった、そのまま居なくなるわけにも行かないので遠慮なく戴いて来た、子供達が出て行ってご夫婦だけなので食べ切れないからと枝を3本ほど伐ってくれた、少し話したら「今年は柿も随分取れて干し柿にしているが取入れが遅かったので柔らかすぎました」と言う話だった、思いも寄らないお土産をぶら下げて会社に戻るが散歩が楽しみになった、
北朝鮮が韓国の島を砲撃すると言う事件が起きた、南北朝鮮は同じ民族であるが前大戦の当事者ではなかったにも拘らず米国とソ連と言う大国の思惑から分断統治された不幸な国である、彼らは長い歴史のある同一民族であるが大国の利益の為に家族まで引き裂かれてしまった、前大戦直後には世界で同じ様な国が幾つか存在していたが今では此処しか残っていない、しかも当事者一方は既に無い、主義の違いと言っても社会主義はすでに完全な物は殆ど残っていないし北朝鮮自体すでに経済は崩壊状況だろう。北朝鮮事件が起きる度悲しい気持ちになる、同じ民族が何故そんなにいがみ合わなければ成らないのか、韓民族は儒教の国で独自の文字を持つ古い民族である、その歴史は常に大国に翻弄され続けたが韓民族の誇りを失わず続いてきた歴史がある、しかし前大戦後の分裂は余りに溝が深く見える、歴史的に見れば半世紀はそれほど時間が永くないのかもしれないが国民に取ったら半生を費やし世代も3世代に渡ってしまうだろう、現在の時間軸から見れば其れはかなり永い時間だ、国民の希望は南北とも民族の統一だろう、この状況はやはり既得権を失いたくない一部の権力者の独裁に有るのだろうと思うのだが、外国から此れを何とかするのは難しい、社会主義を標榜しながら継承主権と言う事自体社会主義とは相容れないのだが国民に其れを跳ね返すだけの余力は無いとすれば経済破綻と内部分裂を待つしかないのだろうか
鹿児島には一度だけ行った事が有ります、仕事の関係で日本中あちこち言ったのですが鹿児島は個人的な用事でした、義理の姉が鹿児島出身で兄がリタイアした時に義姉の希望で鹿児島に引っ込んだのですが、既にその時は重い肝硬変で余命幾許もなく、2年弱で亡くなってしまいその葬儀に行ったのですが後にも先にも此の1回だけ、義姉の故郷は川内と言う所で鹿児島からだとかなり距離が有り、当日は空港で一泊して翌朝高速バスで行ったのですが後で考えたら空港でレンタカーを借りればよかった、時間がタイトで結局空港と川内を往復しただけでした。余裕が出たら墓参りを兼ねて九州を廻ってきたいのですが中々行けてません、
仕事で行く所も殆どそう言う訪問になってしまい、長崎は諫早しか知らないし、福岡は空港から直ぐ近くに有る別府(と書いて「べぷ」と読む)工業団地だけ、広島も空港からタクシーで工業団地と往復で、北海道は雪祭りなのに見た事は無いし全く観光はなし、彼方此方行った事が有っても大抵日帰りだし泊っても駅か空港のビジネスホテルだけでした、極めつけはアメリカ、ボストンに行ったのですがニューヨークはJFKで国際線からドメスティックに乗り換えたので空港から出ない、ボストンは向こうから迎えに来ていたので取引会社とホテルだけしか解らない、この時は土曜の朝行く事が決まってその日の夕方成田から出て帰国したのは月曜の午後、そのまま水戸に行くと言うハードスケジュールでしたので日付が全く解らなくなった、東廻りだから向こうに着いたら一日戻るが此方に来ると二日過ぎると言う事で日本では土曜の夜から月曜の夕方だが自分は夜が1回しかなかった、飛行機の中では何日だかわからないまま成田に降りたら同僚が車で来ていてそのまま水戸に連れて行かれた、しかし此れは此れで実に貴重で面白い経験でした。
50~さん、情熱的な旦那さんですね、中々居ないよ、仲良く歳をとりましょう
仕事で行く所も殆どそう言う訪問になってしまい、長崎は諫早しか知らないし、福岡は空港から直ぐ近くに有る別府(と書いて「べぷ」と読む)工業団地だけ、広島も空港からタクシーで工業団地と往復で、北海道は雪祭りなのに見た事は無いし全く観光はなし、彼方此方行った事が有っても大抵日帰りだし泊っても駅か空港のビジネスホテルだけでした、極めつけはアメリカ、ボストンに行ったのですがニューヨークはJFKで国際線からドメスティックに乗り換えたので空港から出ない、ボストンは向こうから迎えに来ていたので取引会社とホテルだけしか解らない、この時は土曜の朝行く事が決まってその日の夕方成田から出て帰国したのは月曜の午後、そのまま水戸に行くと言うハードスケジュールでしたので日付が全く解らなくなった、東廻りだから向こうに着いたら一日戻るが此方に来ると二日過ぎると言う事で日本では土曜の夜から月曜の夕方だが自分は夜が1回しかなかった、飛行機の中では何日だかわからないまま成田に降りたら同僚が車で来ていてそのまま水戸に連れて行かれた、しかし此れは此れで実に貴重で面白い経験でした。
50~さん、情熱的な旦那さんですね、中々居ないよ、仲良く歳をとりましょう
昨日から泊まっていた孫達が昼過ぎに帰ったので夕飯の買出しに出かける、同じ道ではつまらないと未だ通った事の無い住宅街の小道に入った、この辺は昔から大きな家が多いが道は車がすれ違えない程度の路地である、何度か曲がったところで少し破れたっシートが掛けられた車が有った、大きさとフォルムから若しかしたらと近づいて破れ目から見えるテールランプを見て確信した、間違いない、S8の最終モデルだ、暫く走った様子は無いがそれ程悪い状態では無さそうだ、1967年だったと思うが本当に乗りたかった車でその後何度か検討をしたが遊び仲間が出来たら大勢乗れる車になって子供が大きくなったら孫が出来て、とうとう買わなかった車だ、家に帰ってネットで調べてみると殆ど出ていないがレストアされた物だと300万を超える、やはり夢に終わりそうだな、新車のHVの方がずっと安い、まあ其れどころではないが夢くらい良いじゃないか、自分が免許を取ったのは18歳になった年の7月の後半だったがその年の6月から2輪免許が外された、その後トライしようと思いながら結局今でも取っていない、オープンスポーツが難しそうだから2輪免許を取ろうかとも思い出した、女房は55の頃一念発起して取りあえず原付を取った、その時講習の係員に「身分証明書の代わりだろう」と言われて「悔しいから自動2輪を取る」と怒っていたので一緒に取って見ようか、特筆物の方向音痴だから1人でツーリングは無理だろうが還暦を過ぎて夫婦でツーリングも悪くない、
(別に良い夫婦の日対応のつもりではない)
(別に良い夫婦の日対応のつもりではない)
事務所に来てオールディズを聞きながらぼんやり外を見ている、事務所は6階の東南角に有って道路を挟んで向かい側に小さな公園が有る、そこの桜の木が紅葉している、日に日に色を増していてやがて裸になってゆくのだが今は赤みの強い明るい茶色をしている、普段だと家で珈琲でも飲んでいる時間なのだが昨日から孫が来て泊まっていった、1ヶ月程度見ていない間に上の孫は又大きくなった気がする、来年の2月頭で14歳になるが身長は165cmを越したらしい、女房の身長はこの夏に超して母親の身長も超したらしい、成長は縦と横が順番に成長する、孫は小学生の頃はどちらかと言えばぷっくりとしていたが中学になってバトミントン部に入った事も有るかもしれないが身長に替わった、声も立派な大人の声になってしまい少し残念では有るが言っている事は余り替わらないな、下は昨日で10歳、まだまだ痩せっぽちだが此処数ヶ月凄い勢いで食欲が増えたので直ぐ大きくなるだろう、この2人が居ると夫婦2人の部屋は居場所がなくなる、「昼過ぎまで居る」と宣言されたので退避する事にした、何しろ幾ら行っても時間毎に喧嘩する、直ぐ仲直りするので深刻な事態になる訳ではないが兎に角煩くてかなわない、ブログを書こうとノートを出したら「ゲームをやる」と占領されてしまい事務所に移動したわけだ。天気予報は午前中は晴れだったが雲が厚くなって来た、孫が帰ったら散歩に出ようかと話して来たがどうも難しそうだ、昨日行っとけば良かったかななどと考えながらやはりぼんやりしている、
写真は世田谷で、
写真は世田谷で、