梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

貧困

2015-08-18 11:07:58 | 雑記

何処かで生活保護を受けて居る母子家庭の女子児童が奨学金を受けた事を理由に生活保護を打ち切ると言う裁定をしたと言う、その事に関して国の方から「奨学金は生活に関する所得では無いので生活保護打ち切りを取り消す」と言う命令が出たと言う、

余りに当たり前すぎる、この担当窓口はどう言う感覚で生活保護世帯の裁定を行っているのだろうか、生活保護申請をしないで電気も止められて餓死をするといった事例が多々ある、母子家庭になって仕事も無くやむを得ず窓口に行ったら殆ど玄関払いの仕打ちを受けたと言う話も聞く、確かに不正受給者も後を絶たないこともあるやに聞くが不正受給を厳しく監視すると言う事で敷居を高くすると言う事とは全く違う、

貧しいと言う事は現象と言うより境遇である、そして此れはその境遇になってみなければ実感として解らないだろう、言い古された言い方だが「虫歯の無い人間に歯の痛みを理解させる」位の物が有る、

貧困は生活保護を必要とする程度まで落ちると抜け出すのは非常に難しい、だからそれは結局「貧困の連鎖」になる、貧困家庭に生まれた子供は義務教育すら困難な状況が多い、

特に母子家庭では高校の学費どころか江戸時代の様な「口減らし」の状況にある、しかし学歴がなければそのまま社会にでても不利な条件で職業を選択する事になる、そしてまた貧困は継続してゆく、

自治体の社会保障窓口はせめて「貧困生活」を理解し想像できる者を配置すべきではないか、出来るなら生活保護家庭から採用する位の措置が欲しい、ネットに出ている「ナマポ」等と言う輩を窓口に置いたら生活保護の精神である「人間として最低な生活」を憲法が保証すると言う事が機能しない、

アベノミクスは結局又貧富の差を広げただけだったが此れは当然で一旦企業に入った利益が溢れて来るなどと言う事はアメリカ式自由主義ではおきる訳も無い、社会主義が性善説に依存しない限り成り立たず、経済発展はありえないとしているアメリカ自由経済主義は新経済論を待つ事も無い、金を集める事が正義であり、稼げない人間は愚民で淘汰されても仕方ないと言う理論が多民族国家で未だ僅か350年しか経っていない文化しかない国の論理だ、しかし経済では圧倒的に金の力が物を言う、「悪貨は良貨をを駆逐する」と言う事になる。

2000年の歴史は滓もあるがその時間だけの熟成もある、アメリカが文化を理解するには未だ時間が掛るだろう、


老いては子に従え、世代同居は社会の基礎ではないか

2015-08-14 08:50:19 | 雑記

独居老人問題と待機児童問題は合せて処理すれば全部とは言えないがかなりの割で解決のではないか、人間と言う生き物は社会的生物の最たる生物だ、個体性としては実に脆弱で環境対応力も獲物を取る力もどの生物に比してもお世辞にも優れているとは言えないが現在では地球の覇者として栄華を誇ていると言えよう,

この弱い生き物の現在が有るのはやはりその社会性に有るのだと言える、しかし近年の日本社会は社会性からかなり逸脱し個人中心主義が蔓延してしまっている,

敗戦前の社会性は3世代同居はごく当然の事で有ったのだが高度成長頃から各家族化が広がつてその結果年老いた親達は老々介護になり若い親達は子育てストレスに苦しみ手の掛かる子供に生活の負担に苦み、その両方を社会で支えるために財政を圧迫する、先日あるアンケートで夫の実日に帰省するのは嫌、と言うのは7 5%に上ると出ていた、同居などとんでもない、「家付、カー付,ババア抜き」と言うのは気持的には十分理解出来るがだから拒否するとして来た事が2つの問題をここ迄追いつめひいては殺伐とした現代社会をすし進めて仕舞ったと思う、

「嫌な事は必要でもやら無い」と言うのは普通に考えて社会人では無い、幼児でも「嫌でも我慢しなさい」と教えられて来た筈なのに「親と同居は嫌だからやら無い」として,親の方も「子供に気を使う位なら夫婦だけの方が気楽だ」として来たのだと思う(かく言う私もだが)

しかし年老いたら必ずどちらかは先に逝く、残った方も徐々に衰える、そうなってから子に頼っても軋轢は大きい、こんな風潮は多分今の日本だけだろう、外国の話を聞いても三世代が同居か所謂「スープの冷めない距離に住んで居る様だ、

保育所を増し、老人施設を増やすより三世代が世帯を供にする事を条件に優良な住居を提供するのが得策では無いか,例えば今都心回帰と言われ空住居が問題化している多摩ニュータウンで隣合った2つの住居を行き来出来るドアを設け三世代か生活する事を条件に廉価で提供する事で親の不安と孫の世話をと相互に支え合う事でつぎの世代に社会を維持する為に重要なものを自然に継続出来る限りのでは無いだろうか


平和祈念の日

2015-08-07 15:20:26 | 雑記

被爆から70年目を過ぎる、東京新聞によると原爆を含めて日本全土で非戦闘員である国民の被爆死者数は41万人を超えているそうだ、そのうち広島の原爆被爆者は14万2430人おそらくこれからも増え続ける、

広島の式典でこの日を「平和記念日」と言うそうだがこの日を戦争と核兵器を無くそう、「地球に平和と」と言う祈りをこめての記念日と言う日にしたのではないかと思う、世界の風潮は一部の地域を除いて国際間の紛争は対話で解決を目指し戦争は無くそうと言う方向に向いて来ているにも拘らず唯一の被爆国であり人口が半分に、経済はどん底に喘いだはずの日本は突然戦争が出来る国になろうとしている、

「平和記念日」はまだ「日本が戦争のない平和」を確立できた日とは言えない様になってしまった、「平和記念日」を「平和祈念日」としてこれから恒久的な平和を祈るための記念日として人間社会の祈りとしたいと思う、

当時から一般民を標的とした攻撃は国際法で禁止されていたが日本軍が中国重慶などで「軍事施設に協力している民間人は軍事施設」と言う理屈で民間地帯を爆撃していた事もあり当時のアメリカ軍カーチス・ルメイ少将が指揮をとり3月10日の東京下町大空襲を行ったと言う、東京だけで民間人10万7千人以上が焼死もしくは爆死している、制空圏も制海圏も失った日本はこの後太平洋岸の都市は艦砲射撃にさらされる

浜松では三方原に航空隊があった事もあり海岸から遠い地域から照準をして徐々に海側に砲撃を加えると言うまさしく虐殺をおこなっている、

そのカーチス・ルメイ少尉はその後勲章を授与されて英雄とされていると言う、東京裁判でA級戦犯とされた東条英機等が靖国神社に合祀されている事で靖国は戦没者慰霊とは認めないと言うアメリカだが日本としては明らかにハーグ条約に反した命令を出した軍人を英雄と称するアメリカの記念式典こそ厳重抗議をすべき事になると思う、

「日本を降伏させるのに原爆投下は正しい選択だった」と言う年代のアメリカ人は徐々に減って今の若い層は「あれは間違いだった」と言う意見が多数になってきたと言う、日本国内ではこの逆の状況が懸念されてならない、冷静に記録を見直せば当時の日本軍政府は「黄色い白人」を目指した、或いはアジアの覇者として白人に対抗する事だけを考えて行動していた事は明白ではないだろうか、虚心坦懐、我々の少し前の世代の行った事を見直し、考え直しその結果を受け止めてその上で米欧の過誤を正すのが本道だ、