2004年1月7日、左乳がん全摘後、術後抗がん剤→放射線治療→ホルモン療法と進んだ。
ここで、私の術後治療について少し説明。
退院前の主治医(ベテラン女医)の説明では、術後治療に、
CEF6クール → タキソール4クール → 放射線治療 → ホルモン治療
の予定だったが、CEF6クール終了時点で、なぜかタキソールはやらずに放射線治療になった。4
今の私なら、理由を納得するまで聞くのだが、当時は何もわからないまま、
抗がん剤が少なくなったから楽でいいかな~、ぐらいに考えていた。
ウルトラハイリスクの病理結果の私が、理由もなしに抗がん剤治療が減る要素はないはずなのだ。
しかし、実は未だに術後のタキソールがなくなった理由はわからない。しばらく後に一度ベテラン女医の
子弟の中堅女医に聞いたことがあるが、歯切れが悪くてよくわからなかった。
ただ、タキソールをやろうがやるまいが、再発間違いなしの私にはどうでもいいことだった。
ただし今の標準治療である、術後にハーセプチンなら話は別。これは絶対やった方がいいと思うが、
当時はハーセプチンは再発後にしか使えなかった。
というわけで、今の主治医にも理由は聞いていないままだ。
CEFも終わりに近づいた5月初旬、子供の1歳の誕生日を迎えた。じいちゃんばあちゃんと
弟夫婦も来て、にぎやかに過ごした。治療真っ最中でも、こうした幸せの時間がとてもうれしく、
もちろん来年だって再来年だって、こんな幸せの時間を奪われてたまるか、と思った。
でも、でもダメかもしれない。奪われているかもしれない。楽観と不安が交錯する中、1歳の、
まだ歩き始めたばかりの無邪気な子供を見つめるばかりだった。
術後抗がん剤CEFが終わり、6月下旬から放射線治療が始まった。全摘でも、リンパ節転移多の
人は、胸壁や鎖骨周りに再発予防として放射線をやることが当時は一般的らしい。(今はよくわかりませせん。)
このころ猛暑で、通院から帰ってきてバテバテだった。ついでに巨人軍の長嶋さん(ミスターの方ね)
が脳梗塞で倒れて私の通う病院に運ばれたとのことで、テレビカメラの人達が来ていた。
ちなみに、病棟には政治家部屋というのもあるらしくて、一度覗いてみたい!
ところで、術後一旦大阪に帰った義母だったが、6月にまた私のサポートのために来てもらった
頻繁な通院と1歳児の育児はやはり私にとっても相当な負担で、実母も私のサポートに疲れ気味
だったので、応援してもらうことにしたのだ。今でも元気な義母(71、乳がん経験あり)と
実母(81、病気知らず)だが、物理的なサポートは、今でも本当に有難い有難い有難い!
何度でも言ってしまう。
退院後の不安感や落ち着かない感も、各種治療と子供の世話でそれなりに忙しく、週1~2回も
応援に来てくれる母のおかげで、少しずつ落ち着いてきた。
当時の手帳を見と、胃の調子が悪かったのか、近所の内科に行ってドグマチールという胃腸薬を
もらっている。この薬は面白い薬で、胃腸薬として飲んだ患者が、気分も良くなり元気になる
ということが判ってから、抗精神薬としても使われている。副作用はもっと面白くて、
おっぱいからお乳が出てきてしまうこと。プロラクチンというホルモンのせいだが、男の人もなるのか?
で、この薬を飲み始めてしばらくたったころ、乳首をギューッとすると、黄味がかった白い液体が
出てきて息子が面白がった。
なぜこの薬の話題をしたかというと、飲み始めてからすぐに身体のだるさが減り、なんとなく
元気になってきたのだ。8月に入り、折しも世の中は夏休みモード突入。私も、身体が軽くなってきた
ことでフットワークも良くなり、子供を連れて乳幼児が集まる遊び場サロンに行ったり、
スーパーに併設している小さな遊戯施設(アンパンマンの乗り物の類)で遊んだりして、
当たり前の子供との生活を楽しみ始めた。
8月中旬からは、アテネオリンピックも始まって、なんかウキウキ気分。夜中の女子マラソンを
ダンナと義母と私3人で見ているときに、うるさくて目が覚めたのか子供がフラフラ起きてきて
リビングに顔を出し、結局みんなで野口みずきの金メダル獲得を応援したっけ。
私はまた、次のオリンピックは見られるのかなあ、中国の開会式ってどんなんだろう、なんて当時思った。
しかし北京オリンピックが過ぎ、ロンドンオリンピックも楽勝で見られそうである。
義母がひとつプレゼントをしてくれた。子供を家で見ているから、ダンナと私2人で旅行でも行って
くれば、とのこと。旅行好きの気持ちがムクムク起き出し、私は場所や宿探しに精を出す。
夏なので長野の高原あたりがいい、と思い、安曇野の創作料理が美味しい宿に決定。
1泊2日の旅をゆっくり楽しんだ。その時の食事のおいしさは今も忘れられない。
こうして、倦怠感が抜け体調が良くなってきたのをきっかけにして、あちこち外へ遊びに行く
ようになると、素直に“遊ぶのって楽しい”と思えるようになった。楽しいことを積み重ねると
ますます楽しいことがしたくなり、気がついたら術後のみじめな不安はかなり和らいでいた。
9月に入ると、子供とリトミックの体験教室に行ったり、子供向けのコンサートに行ってみたり、
普通のおかあさんをしていた。たまには学生時代の友人とランチもした。旧友にはほとんど、
病気の事は打ち明けた。
この頃には通院は月1回、リュープリンの注射のみ。病気の事を忘れることはもちろんないが、
ことさらに考え込んだりこだわったりはしなくなった。
術後半年間の辛い時期を何とか乗り越え、ようやく日常生活、子供との楽しい穏やかな生活を
取り戻した感じがあった。こんな生活が長く続いて欲しい。いや、きっとあっという間に数年経って
子供もすぐ大きくなり、病気も過去のものになるのではないかな。そんな甘い願望が芽生えた。
しかしそれは甘いというものだ。リンパ節24個転移の元気ながんは、そんなに大人しくしてくれる
はずはなかった。
つまり、もう再発の足音は静かに忍び寄っていたのだ・・・。
つづく・・・。
1日1回、クリックお願いします。励みになります。
ここで、私の術後治療について少し説明。
退院前の主治医(ベテラン女医)の説明では、術後治療に、
CEF6クール → タキソール4クール → 放射線治療 → ホルモン治療
の予定だったが、CEF6クール終了時点で、なぜかタキソールはやらずに放射線治療になった。4
今の私なら、理由を納得するまで聞くのだが、当時は何もわからないまま、
抗がん剤が少なくなったから楽でいいかな~、ぐらいに考えていた。
ウルトラハイリスクの病理結果の私が、理由もなしに抗がん剤治療が減る要素はないはずなのだ。
しかし、実は未だに術後のタキソールがなくなった理由はわからない。しばらく後に一度ベテラン女医の
子弟の中堅女医に聞いたことがあるが、歯切れが悪くてよくわからなかった。
ただ、タキソールをやろうがやるまいが、再発間違いなしの私にはどうでもいいことだった。
ただし今の標準治療である、術後にハーセプチンなら話は別。これは絶対やった方がいいと思うが、
当時はハーセプチンは再発後にしか使えなかった。
というわけで、今の主治医にも理由は聞いていないままだ。
CEFも終わりに近づいた5月初旬、子供の1歳の誕生日を迎えた。じいちゃんばあちゃんと
弟夫婦も来て、にぎやかに過ごした。治療真っ最中でも、こうした幸せの時間がとてもうれしく、
もちろん来年だって再来年だって、こんな幸せの時間を奪われてたまるか、と思った。
でも、でもダメかもしれない。奪われているかもしれない。楽観と不安が交錯する中、1歳の、
まだ歩き始めたばかりの無邪気な子供を見つめるばかりだった。
術後抗がん剤CEFが終わり、6月下旬から放射線治療が始まった。全摘でも、リンパ節転移多の
人は、胸壁や鎖骨周りに再発予防として放射線をやることが当時は一般的らしい。(今はよくわかりませせん。)
このころ猛暑で、通院から帰ってきてバテバテだった。ついでに巨人軍の長嶋さん(ミスターの方ね)
が脳梗塞で倒れて私の通う病院に運ばれたとのことで、テレビカメラの人達が来ていた。
ちなみに、病棟には政治家部屋というのもあるらしくて、一度覗いてみたい!
ところで、術後一旦大阪に帰った義母だったが、6月にまた私のサポートのために来てもらった
頻繁な通院と1歳児の育児はやはり私にとっても相当な負担で、実母も私のサポートに疲れ気味
だったので、応援してもらうことにしたのだ。今でも元気な義母(71、乳がん経験あり)と
実母(81、病気知らず)だが、物理的なサポートは、今でも本当に有難い有難い有難い!
何度でも言ってしまう。
退院後の不安感や落ち着かない感も、各種治療と子供の世話でそれなりに忙しく、週1~2回も
応援に来てくれる母のおかげで、少しずつ落ち着いてきた。
当時の手帳を見と、胃の調子が悪かったのか、近所の内科に行ってドグマチールという胃腸薬を
もらっている。この薬は面白い薬で、胃腸薬として飲んだ患者が、気分も良くなり元気になる
ということが判ってから、抗精神薬としても使われている。副作用はもっと面白くて、
おっぱいからお乳が出てきてしまうこと。プロラクチンというホルモンのせいだが、男の人もなるのか?
で、この薬を飲み始めてしばらくたったころ、乳首をギューッとすると、黄味がかった白い液体が
出てきて息子が面白がった。
なぜこの薬の話題をしたかというと、飲み始めてからすぐに身体のだるさが減り、なんとなく
元気になってきたのだ。8月に入り、折しも世の中は夏休みモード突入。私も、身体が軽くなってきた
ことでフットワークも良くなり、子供を連れて乳幼児が集まる遊び場サロンに行ったり、
スーパーに併設している小さな遊戯施設(アンパンマンの乗り物の類)で遊んだりして、
当たり前の子供との生活を楽しみ始めた。
8月中旬からは、アテネオリンピックも始まって、なんかウキウキ気分。夜中の女子マラソンを
ダンナと義母と私3人で見ているときに、うるさくて目が覚めたのか子供がフラフラ起きてきて
リビングに顔を出し、結局みんなで野口みずきの金メダル獲得を応援したっけ。
私はまた、次のオリンピックは見られるのかなあ、中国の開会式ってどんなんだろう、なんて当時思った。
しかし北京オリンピックが過ぎ、ロンドンオリンピックも楽勝で見られそうである。
義母がひとつプレゼントをしてくれた。子供を家で見ているから、ダンナと私2人で旅行でも行って
くれば、とのこと。旅行好きの気持ちがムクムク起き出し、私は場所や宿探しに精を出す。
夏なので長野の高原あたりがいい、と思い、安曇野の創作料理が美味しい宿に決定。
1泊2日の旅をゆっくり楽しんだ。その時の食事のおいしさは今も忘れられない。
こうして、倦怠感が抜け体調が良くなってきたのをきっかけにして、あちこち外へ遊びに行く
ようになると、素直に“遊ぶのって楽しい”と思えるようになった。楽しいことを積み重ねると
ますます楽しいことがしたくなり、気がついたら術後のみじめな不安はかなり和らいでいた。
9月に入ると、子供とリトミックの体験教室に行ったり、子供向けのコンサートに行ってみたり、
普通のおかあさんをしていた。たまには学生時代の友人とランチもした。旧友にはほとんど、
病気の事は打ち明けた。
この頃には通院は月1回、リュープリンの注射のみ。病気の事を忘れることはもちろんないが、
ことさらに考え込んだりこだわったりはしなくなった。
術後半年間の辛い時期を何とか乗り越え、ようやく日常生活、子供との楽しい穏やかな生活を
取り戻した感じがあった。こんな生活が長く続いて欲しい。いや、きっとあっという間に数年経って
子供もすぐ大きくなり、病気も過去のものになるのではないかな。そんな甘い願望が芽生えた。
しかしそれは甘いというものだ。リンパ節24個転移の元気ながんは、そんなに大人しくしてくれる
はずはなかった。
つまり、もう再発の足音は静かに忍び寄っていたのだ・・・。
つづく・・・。
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確かにこれからがスタートですが、気負わずにひとつひとつクリアしていきましょう。
それに、私なんかのアドバイスはもう何の意味もないでしょう。だって古すぎるもん!
先のこと考えるとうんざりしそうになりますが、そういう時には、定期的にプチお楽しみイベント作って気分転換していきましょう。
私は、すぐスィートとか食べる方にいってましたけど・・・!
たぶーん、気を遣っているのは義母の方だと思う。
もう、こういう性格の私は、”病気だからいいかっ”的な適当精神全開で、お気楽に過ごしていました。
はい、これからも、旅ログ、食べログ、張り切って行きまーす!
骨シンチ、CTの結果がでました。腋の下への転移はありましたが、(今のところ)遠隔転移なしで、そのままステージⅢbでした。
治療方針は抗がん剤FECを4クールからスタート、その後パクリタキセル12週と言われました。手術はこれらの効果が出て、ガンが小さくなり、皮膚からはずれたらやるが、あくまで未定です。パンフいっぱい渡されました。これからが闘いですね。いろいろ教えてください。
実母だけではなく、ご主人様のお母様にも 本当に 娘のように 大切にされていらっしゃったのですね。
はるばる 大阪から お母様が きてくださり 幼くて手のかかるお子様を見てくださり 旅行にでも行っておいでーなんて 本当に優しいお姑さんですよね。
きっとアッピアさんが 可愛がられているからなんでしょうね。
アッピアさんは 旅行が大好きですもんねo(^-^)o
これからも 負けずに 色々なところに 行って またblogで教えていただきたいですよ(^O^)
八年前の回想を楽しみにしています(^w^)
振り返り記事を書いていて、いかに家族に支えられていたかが改めてわかりました。
そうですね、旅行のプレゼントは本当にうれしかったです。とてもリフレッシュできました。
子供の世話から一時でも離れられたので、家に帰った時、またがんばろうと思った覚えがあります。
次回、8年前シリーズ最終回 こうご期待!
これからも、アッピアさんのブログ楽しみにしております♪
今日の日記も、いつものように引き込まれるようで、ご家族の皆さまが一致団結でアッピアさんを支えてらしたんだな~と、つくづく家族の絆、温かさを感じる内容でした
その中でも、特にお義母さまの旅行のプレゼント、感激しました。
私も将来、そんなおばあちゃんになりたいな~と、心から思います。
ほんとに、このお幸せがずっと続くといいな~♪と思った最後の数行で、再発という波乱が待ち受けているようで心が痛みますが、今のアッピアさんがお元気でいらっしゃるので、なんとか落ち着いて読めそうです