ベットにくぎ付け、安静第一が回復の道だと知らされて、いろいろ覚悟した。
救急車に乗った一日の出来事は、この先、決して忘れないだろう。N先生には一家をあげて世話になることになった。
Y病院から家に戻って、再びベットに横たわって、少し安心したが、そう言えば、24時間何も食べていなかった。水も飲んでいなかった。N先生がお茶とお結びを買ってきてくださった。(3週間はお茶や弁当を持ってきてもらう生活になってしまった。)トイレにも行っていなかったので、そこで排便と排尿が気になった。しかし心配は真逆の方向に向かって、痛みをこらえながら、床を這ってトイレに行って、痛くて座れなかったので、中腰で踏ん張ったのだが、ガスが「すー・・・」と出た切りで、悲しかった。要するに宿便に変わり、大腸の中に溜まっていくのだった。小水はバケツにとることにした。本当に申し訳なかったが愛弟子のKちゃんに急遽「バケツを持ってきて」と頼んだ。結局3週間は便は出なかった。激痛の体調や薬がそうさせたのだろうか?
こんな調子で、猫のエサやりもKちゃんに頼むことになり、毎日休みなく夕方には猫に缶詰めを開けて、十数匹が夕方の食事に集まってくるのに名前まで覚えて、猫たちに好かれている。反対に目の前のベットに寝ている私には猫たちは愛想が悪くなってきた。しかしKちゃんの本分は受験生で、デッサンと油彩画を学んでもらうために来ているのに、一時間から猫のために時間を費やしていいて、申し訳なかった。
猫たちは自分たちがいつも居るソファーを荷物置き場にされたため、私の寝ているベットに集まってきたのだ。シングルベットに13匹マックス乗ってくる。大半が彼らの占有で、3分の1でもあれば良い方で、痛い私の足の上にもお構いなしだ。3日分の薬が切れたので、N先生の奥さんがY病院にもっと長期に薬を出してくれるように頼んでもらったが、また3日分しかでなかった。(診察してやるから、当人が来いということだ)腹が立つ病院だ。もう二度と行かないし、誰にも勧めない。田舎の病院は相手にならない。入院は不可能。ベットに空きがないほど、老人患者であふれる街なのだ。国立の医療センターは「死にかけているなら受け入れる」などと言っているから、医療の根幹にかかわる不作為だと思う。N先生にかけている負担はこれ以上続いてはいけない。
そこで対応を考えて、N先生がいろいろと調べて、市の福祉事務所の担当者に行き着いて、市の福祉行政の世話になることにした。10月10日に、市の担当者、福祉事業者、ケアマネージャ、ヘルパーさん派遣会社の担当と介護タクシーまで大勢が私のベットの周りに集まった。さすがに大半の猫たちは外に退避した。そして介護認定を受けるために内科の主治医の診察を受け、介護認定の審査を受ける事に成った。この時、鎖骨神経痛発症から4週間目であった。簡易トイレがベットの横に届いた。これは買取だそうだ。そのおかげで、翌日通じがあった。なんと三か月分ではないが、宿便の一部が出たと思う。これで気分が良くなって、嵐の後に朝日が昇ってきたような気分だった。
内科の先生はY病院の医師とは真反対で、事細かに説明してくれて、患者に安心を与えるインフォームドコンセントに徹して、安心させてくれた。しかし朝方医者に行くものではない。老人の患者であふれ、私は寒い廊下で車いすに乗ったまま一時間半またされた。老人たちは朝が早いのだ。診察後、介護認定は一か月かかるのだそうだ。先生の話では「介護認定1」になるそうだ。
しかし、介護認定が下りるまで、ベットにくぎ付けになる身分は避けたい。体を少しでも自主的に動かすことにした。まず立つことに危険なほど、立ち眩み(くらみ)があり、足が弱っていて、ふらつく。まずベットに寝たまま、足首を動かしてみる。10回動かして5分ぐらい休んで、また繰り返す。足のしびれは一歩出るのに要注意だった。アスリートでさえ2週間も寝ていたら、回復に何倍も時間がかかるそうだ。その後風呂に入って驚いた。足の筋肉がふにゃふにゃになっていて、太さも半分の大きさになった。ベットの上で寝る時間には猫たちが大入り満員で、私のしびれて痛い足の上にも乗ってくる。いた個所をかばって、寝返りを繰り返すのが健康な証拠だが、私の場合、お行儀が良いので塩蔵も良いし、腰痛の遠因となる圧迫が頻繁に起きている。だから寝ている間だけは自由に動けることが大事だ。ここまで病状が改善しないのは猫たちのせいだと思ってしまう。
ようやく立って歩こうとすると、地球の重力が感じられた。自分が重くて腰が砕けそうだった。そのまま座り込んでしまった。だが止めるわけにはいかない。生活はヘルパーさんの登場でいろいろ買い物してもらえたが、生活に関するものだけで、薬は売薬でもだめ、医者に行って処方箋をもらうのもだめとか、いろいろ制約があっても、弁当もN先生の奥さんにこれ以上迷惑を掛けたくなかったので、月水金のローテーションで買い物に弁当の数を調達してもらった。ああ、野菜の煮物は味が薄い場合、カビが生えやすいので気を付けなければいけない。いずれにせよ、ヘルパーさんの来訪は生活の基準を変えてくれた。
介護認定の基準については行政が案内パンフレットを出しているが、要介護のサービスは生活機能の維持、改善が必要な人のためで、1~5の基準がある。私の場合、ベットから起きられても歩けないというのが基準だが、確かに長く歩けないから買い物には行けない。車の運転も危うい。ハッキリ言って長く同じ姿勢が取れない。こうしてPCの前に座っているのも、時々休みながら書いている。
この先のリハビリにも問題があって、私はいつの間にか高血圧で175~185ぐらい高い方がある。標準は130ぐらいらしいから、立派な高血圧で下げる薬を飲むしかないが、簡単に下がらない。鍼灸の治療を受けたいが、150以下でないといけないらしい。
坐骨神経痛は完全に治らないのが普通らしいと聞いて、少し失望している。只病気と闘っている気分でいたくない。このさき、やはり絵を描いて自分を確認したい。すべての原因は、これまで運動不足を軽く見ていた自己責任は万病のもとと理解する。老化は仕方がないが、楽しく老化することを考えなくては。
回復してきたら、この記事の続きは書きます。