地塗りと目止め、絵具層
ドルナーが考察したファン・アイク兄弟の技法の解説には、まず一番に石膏の地塗りから始まっている。そしてインクやテンペラ絵具の黒でデッサンを行い、テンペラ絵具のボルース赤(?)やオーカー黄による下塗りを行うとしている。これはドルナーが自身の制作で最もファン・アイク絵画に最も近いであろうと推測して作り出した処方である。決してファン・アイク技法の事実を表したものではない。ドルナーは自分が画家としてどの様な作品を描いているかドルナー本には掲載していないので尚更それらの現実的な再現の程度が良く分からない。いずれにせよ、フランドル技法にはテンペラ絵具と油絵の具の両方が用いられていると考えてのことである。
これまでテンペラ絵具と油絵の具が下塗りとして、あるいは途中の段階でテンペラ絵具が油彩絵具で描かれた上に用いられた証拠はない。状況による推測であり、ベルギー王立文化財研究所(IRPA)の《神秘の仔羊》調査においても、科学的調査を行った根拠に基づいているとは書かれていない。AQAUSと書かれた絵具層の断片ちゅさによる層に科学的根拠が示されていないのである。勿論目視で判断できるようなものではなく、電子顕微鏡でも・・・「かもしれない?」とされる現状である。ドルナー本の執筆は1934年頃であり、IRPAの調査は後の1952年~53年とされているから、あるいはドルナーなどの言説に影響されていたかもしれないし、イタリア絵画の技法が中世には基本的な技術として伝播していいたと信じられていたからかもしれない。
いずれにせよ、分かっていることから判断すれば、地塗りは白亜であり、イギリスのドーバー海峡の「白亜の壁」は有名だがベルギーやドイツにまたがり多くの地方で白亜(石灰岩の層)は見られ、電子顕微鏡調査でココリス、有孔虫などの貝殻が蓄積したものが観られる。
勿論板の上には接着を接着を良くするために膠(動物の皮や筋、質の悪いものは骨を煮て得る)を刷毛かへらで塗布し、乾いたところで白亜と膠の液を複数回塗る。IRPAの調査で判明していることには、厚さは1~2mm程度でありそれより厚いものはない。乾燥がの表面はかなり綿密に磨いたものと思われる。
吸い込み止めにはまず一回膠が塗布され、他に油の含浸が認められるそうである。描画の手順として黒インクあるいは黒い絵具で葦ペンのような同じ太さに描ける線でデッサンする。アントワープ王立美術館のファン・アイクさくの小品《聖バルバラ》とされる制作途中の下描きデッサンが残る作品が有名であるが、この作品のように細部にわたって下描きされることはなかったと言える。むしろ当たりつけと言うべきデッサンはロンドンナショナルギャラリーの《アノルフィニ夫妻像》の男の手の部分に見られる描き直しを示した赤外線画像でも言えるように、「おおまか」と言える下描きがされた(この下描きは筆で描かれた)。これらの下描きは肌色などの明るい個所に鉛白が乳化して透明感が増して透けてみるようになった下描きデッサンが参考となるだろう。
そしてこの下描きデッサンは当たりつけ程度であって、決して人物や背景などの正確な位置、形を示さないので、上描きするときには往々にして邪魔となる。そこで多くのフランドルの画家の作法として、まずこの下描きデッサンを柔らかく消して見せるように、画面全体に「油に溶いた鉛白の層」があることが報告されている。この時の油性分が目止めの役割を果たしているだろう。この目止めの層が必要であった限りでは、ドルナーの想定した赤や黄色の下塗りがテンペラ絵具で行われたと考えたところから遠くなった。
つまりプリミティフ・フラマンの絵画の根底にあるのは白い地塗りの明るさを維持することであり、その後の17世紀のオランダ絵画にあるようなボルース赤やリューベンスが試みた数多くの有色地または有色の下塗り(imprimatura)と一緒にしてはならない。背景が暗い様式の前に色彩を明るく表現することで高価な絵の具を有効に召せたかったのかも知れない。元より宗教画が描かれた写本などは白い紙か薄ベージュ色の羊皮紙であったから、基本は白だったのではないか。
もしドルナーが推奨する地塗りの上の有色の下塗り(imprimatura)があれば、現在残っているフランドル絵画は現状より黒ずんだ外観をしているはずだ。また下塗りを黒くすれば、上にくる色が明るい場合には、下の色が透けて視覚的灰色と言われる冷たく見える効果が生じる。現存する作品から、こうした色調を得る試みは全く認められない。いずれにせよ今日も美しい色彩を維持保存しているフランドル絵画が地塗りを白としていたことは幸いだ。IRPAによる絵具断面調査にも、その有色下塗りは認められない。断面には地塗りの上には白っぽい絵の具が薄く引かれているだけである。これは先にも述べた下描きデッサンをじょまにならない程度の薄める効果と同時に地塗りの吸い込み止めと解せる。
だが、いずれにせよテンペラ絵具がフランドル絵画に全く用いられなかったという証拠はない。私にも全く予想も付かないことはラピスラズリ病という特殊な症状をした青の劣化があること。酸化によって色彩を失うとされているが、油絵の具として用いられたからか、それとも油絵具層と接触して参加したからか分からないがファン・アイク作品にもラピスラズリの灰色化が認められる。しかし青色はラピスラズリにせよアズライトにせよしろと混ぜずに用いるとその色の発色は弱く、十分な効果を得られないが、少量の白とまぜることでどちらも生き生きと発色する。それはテンペラのような水性メディウムを用いても、油性メディウムを用いても同じである。アズライトはヨーロッパの国々でもこの日本でも産出するのでその使用は空や海を表現するのに通常用いられた。
しかしラピスラズリに関してはテンペラ絵具として油性の絵具層が乾燥したところで上に用いられたと考える者がいる。つまり混合技法であるが、これは技法上可能であるが周囲の絵具とどの様に調和させるかは当人の才能であり、一般的な方法ではないから確証は得られない。ほかに私がこれだけはそうかもしれないと思ったのはロンドンナショナルギャラリーの《アノルフィニ夫妻像》の足元にいるプードル犬のような犬の10センチ以上もある細く長い毛が一本一本長いまま見ごろに描かれていることである。その細さは人の毛に近く、どうすればこれほどに描くことが出来るかいろいろ試したが、油性絵の具では無理!!パリまで行ってルフランのリスの毛で作った世界で最も細く描ける細い筆だが・・・テンペラならどうかと考えて練習したが、油絵の上に混合技法として描くには何年かかかりそうだったのであきらめた。頭がボーっとするほどだ。だがこれに近い油絵を見たことがある。それはヤン・ダービッツ・デ・ゾーン・デ・ヘームの静物画に登場した皿に載る甘エビの長いひげが白で描かれているが、これが同様に細く長い。出来る者はいるのだと・・・。
まあ、絵具その物が現代の感覚から離れている。当時は弟子が延々とムレットで練り砕いて4ミクロンくらいにまで出来たうえに、現代のチューブ絵具のようにアルミナのような添加物、増粘物は含んでいないので、純度が高く強い被覆力で色彩を構成できたと言える。要するに絵具の性質が違うのである。
さて、いずれにせよフランドル絵画の絵具層は、その後登場するルネッサンスやバロック絵画のような絵具の扱い方と違って際どく絵具層は薄く用いられている。勿論被覆力の違う絵具の種類で、効果の得られるその厚さは異なるだろう。何層からかなる絵具層は50~100ミクロンであり、顕微鏡で見る限りその一層一層が濃い。つまり添加物が無く絵具の純度が高いから盛り上げる必要が無かったと言える。
デッサンの上に直接描かれる形は正確に描かれ、ほとんど描き直しが無いとも言える。赤い布であればその下塗りとなるべき色は、明るい箇所では不透明絵具で薄オレンジ色にしておき、布の折り目に影が着けば、少しづつ茶系を混ぜ暗くして最も暗い個所までグラデーションを施す。そしてこの上に半透明の赤のグレイズがかけられて赤い布になっていく。グレイズの下にある不透明層がしっかりと形作られていれば、グレイズが美しくなる。グレイズの層も2~3回かければ完了する。絵具断面調査でもやたら多くのグレイズの層は確認されていない。
とにかく不透明層である描き込みが最も重要で、ここも分厚くないからこそ下地の白から透けて反射する光で出来る美しさがフランドル絵画の特徴である。
現代のチューブ入り絵具でそのまま古典絵画の再現は困難であるのはこうした一つ一つに起因するであろう。おっと。そのまえにデッサン力が大切だからね。