ドルナー本(Max Doerner, Mal Material und seine Verwendyung im Bilde,マックス・ドルナー、画材ならびに絵画における使用)は日本語版、佐藤一郎訳 絵画技術体系 (ハンス・g・ミューラー改定 第14版)となり、1980年に出版された。この本の初版は1934年であり、ヒットラーのナチスが台頭してきたころである。初版より46年後に日本に伝わった技法書の扱いには訳者は並々ならぬ思い入れがあったに違いない。
それ以前の油彩画の技法について書かれたものはXavier de Langlais, LA TECHNIQUE DE LA PEINTURE A L'HUILE 1958, の日本語版 黒江光彦訳 ド・ラングレ著 油彩画の技術 1968年初版というのがあり、私の学生時代はこの本と先に記した熊本大学独文科教授に寄るドルナー本の試訳によって絵画技法を学んだ。この訳者の黒江氏は当時、国立西洋美術館の学芸員で修復技術を学ぶためにブリュッセルのベルギー王立文化財研究所に留学中であったようで、ラングレ本は彼が美術史系であった為に絵画技法について学ぶために訳し始めたことに起因すると氏は何処かで述べている。
この二つの例をとって考えてみると、絵画技法に対する切望が日本で絵を描く者にあったに違いない。私は1972年にラングレ本を購入しており、その当時如何にも真面目に読み解いて学んでいたか・・・赤線や書き込みが沢山あって今懐かしく思う。当時、具象絵画のジャンルでウィーン幻想派展やアンドリュー・ワイエス展などがあり、前者ではエルンスト・フックスの古典の巨匠的なデッサンに歴史上にも独特な色彩を用いて技法愛好家を感嘆させたし、ハウズナーの現代的な色彩を輪郭線の高度な扱いでみせたテンペラ・油彩混合技法という言葉が新鮮であった。ワイエスはアメリカのアカデミックな具象描写に水彩絵の具にアクリル絵の具など巧みに使って見せて、日本の現代作家たちに新しい表現の活路を開いたと言えた。当時は絵画技法に凝るのが流行したのである。
だがしかし、実物の優れた作品を見せられてもそれを身につけるに至った者は居なかったのは、どういうことだったのだろう?これが文章で案内された技法書であれば猶更理解し実技を身につけるなどは非現実的であろう。実はさらにもう一冊絵画技法に関する本K.WEHLTE, WERKSTOFFE UND TECHNIKEN DER MALEREI 1967.クルト・ヴェールテ著 絵画の材料および技法という本があるがこの日本語訳本は私は購入していない。この本の訳者はドルナー本の役者と同じ佐藤一郎氏他であり、私がニュールンベルグのゲルマン民族博物館で研修生をしていた1975年にドルナー本ではなくヴェールテ本を買うように言われた。その理由は両方とも同じ部類の本である事とヴェールテ本の方が様々な技法について詳しく解説しているからであると。実は私はこのヴェールテ本を翻訳しようとベルリン滞在中に知人を通して筑摩書房(だったと思う)と交渉していたのであるが、原本が900ページで訳本にすると二冊本となり、合わせて1万円を超える価格になるだろうと断られた。そうこうしている内に佐藤氏と彼の知人が共訳で出すことが美術出版社で決まったということであった。だからこの日本語役を購入しなかったのではなく、失礼ながらドルナー本では佐藤氏の翻訳で専門用語が彼独自の解釈による「新語」となって非常に読みづらく、ヴェールテ本でも同じ苦痛を味合うなら「ならばドイツ語で読んだ方が良いや」と結局、買わなかったのである。だが今となって今回のように訳書の比較を行いながら「絵画技法」について講釈を垂れるには一つ不満が残るであろう。
絵画技法に関しての訳書の「大先輩」はチェンニーノ・チェンニーニ著 芸術の書 昭和39年中村つね(つねは当用漢字にないため)改訂版 昭和51年に翻訳家・藤井久栄氏により語句の修正 があるが、訳者の個人的なこだわりによる通用語ではない「新語」というか発明語によって構成されることはなかった。これらは翻訳の約束事であり、もしどうしても専門用語としての具体的な適合性が認められるならば、その内容を説明して広く公に問うべきであろう。さもなければ読み手は理解困難な状況に置かれて、勝手に推測するほかなくなる。これは技法書であればあってはならないことである。「世するに読んで分からない訳書」ということだ。それと言語の表記が横書きであるので、役所も横書きに倣ってほしいものである。なぜなら訳注などに言語を入れれば頭を横に振らねばならなくなる。冗談抜きで・・・。
ドルナー本の新語の適用について述べれば、多くの技法の場面で使われる「透層=とうそう」と書いて、横にルビを振って「ラズール」としている。ラズール Lasur(独語:辞書には透明塗料ラッカーと書かれている) とはどちらかというと日本でも通用されている英語のグレイズのことで、御存じのように透明に近い色味の絵具のこと。これを新発明の「透層」にしたわけだが、新語を作るには何らかの手続きが必要だろう。どうしてもこうしなければならない理由が必要だ。これに準じて「地透層=じとうそう」というのがあり、インプリミテウアとルビが振られている。これはインプリミトゥラ Inprimitura のことで一般的に「下塗り」と訳されるが、訳者は「透層」とは関係なく地が透けて見える層という意味でこの新語を発明した。この言葉の発明を擁護したものによるとルーベンスが盛んに描いたオイルスケッチに見られる褐色の刷毛目の目立つスケッチ画には適切な表現だと・・・。しかし通常用いられるインプリミトゥラは上層にくる絵具に下塗りとして、上からは見えないあくまでも下塗りである。その色味が強く発色し、例えばボルース赤であれば赤みあるいは温かみと言うべき印象を与え、グレーであれば絵全体が冷たく透き通った感じになるように施し、それは透けて見えるほどではない。新語を発明するには享受者の共通認識が得られえるようにすべきであろう。
他に訳者の趣味であろうか、やたら難しい漢字が当てられてドイツ語が原語である感じがしないこともある。訳者は「スタンド油のような稠性」と書いて, カタカナのルビをコンシステンシーと振ってある。コンシステンツ Konsistenz のことであろうが、要するに「ねばり」という意味である。「稠性ちゅうせい」という言葉は岩波の広辞苑にもなかったが・・・。新造語だろうか?別ページの訳注に稠性(コンシステンシー)非常に粘い液体を変形するときに生じる力学的抵抗・・・とあるが、何故「ねばり」と書かなかったのか?ものによっては非常に親切な訳注もあるのだが。
ドルナー本の技法解説部分は原本にある付録の図版が訳書には無いので、より分かりづらいと思う。ドルナーはフランドル絵画に見られるグリザイユが下描きとしてあるように描画法で解説しているが、その技法の中で「白抜き浮き出し」という訳語は実際の状態を理解するに困難であり、原本に付録としてある図版からやっと「これのことかもしれない」と思う次第である。白抜きがどの様に行われたのか実在する絵画の例がないと理解が出来ない。なぜならグリザイユはボッシュなどの祭壇画の裏面に単色で描かれた程度で、白抜きではない。それ自体で独立した表現の作品が見当たらない。それが多彩色の絵画の下塗りとしてあったような表現はドルナー自身の思い込みであろう。
翻訳とは全く困難な仕事で、専門的な言葉や意味を一般的な言葉、意味に置き換えなければならない仕事だ。ドルナー本の訳者佐藤一郎氏は始めてから引き返せない大変な苦労をしょい込んでしまった。彼の性格上、訳語のこだわりが引き返せなかったのだろう。
私はヴェールテ本の翻訳を断られて良かったと今更に思う。