人生の岐路だと感じる時に、貴方は思い切り選択をできるだろうか?これは自律した自分があるかどうかの問題だ。
国政選挙で保守を選択するひとは「変化を求めない人」だと言っても過言ではあるまい。今の状態が続けばそれで十分だと思う人は、この国には多いのに驚く・・・。今の自分に満足している?また未来にも希望がある?自分の周辺との絆にも問題はない?・・・と思えるのだろうか。
自分では決断が出来ずに時間が過ぎていく。
父親が亡くなって、遺産を相続した。その遺産は「物」である。それまでの自分には関係のない・・・父親のモノである中の「物」である。父にとっては大事な先祖から受け継いだモノであっても、私には「物」でしかない。そのものを維持しなければいけないのか?
少し片づけられるかと思って、父の職業であった法律家としての書籍を山口県や岩国市の図書館に寄贈できないか問い合わせたら、どちらも「地域に関係した資料となるもの以外は要りません」と言われた。裁判官であった時の事件関係資料は、個人情報が満載で・・・燃やすしかないのか?そう言えば裁判所に問い合わせてはいない・・・な。
他に田畑、山林、実家。私が生まれた家であるが、ここに戻れば私の人生が終わったように思える。終着駅みたいに思える。
私はまだ絵を描いている。それは自分の中にある「世界観」を描写することが目的で、まだ発展途上でしかなく、なるべく目的達成以外の他のことをしたくない。しかし誰かに認めてもらいたくて描いているわけではなく・・・つまり完成していないものを途中で評価されたくないからだが。
そのためなら田舎の実家も田畑も草ぼうぼうで、屋根にはぺんぺん草でも良いと放置できるのか?
ここのところ体調が悪い。毎晩寝るにあたって「せきと痰」で苦しんでいる。咳で苦しくて過呼吸になって飛び上がり。ぜえぜえと声も絶え絶えにのたうち回る。痰や咳をおさえる風邪薬を飲んでみるが、対処療法で根本的な解決にはならない。医者はアレルギー性肺炎の一つという。そう・・「ほこりアレルギーとスギ花粉アレルギー」があるそうだが。いくつかホコリ対策などしているが改善しないから・・・こんな感じで死ぬのかなあと・・・自分に言い聞かせる。しかしのたうち回る私を猫たちは見ていて、何とも思わないらしい・・・・無反応だ。
実家も売れるものなら売れば良いのだが・・・都会の家とはわけが違う。そこいら中無人住居が増えて、朽ち果てるのを待っている。実家は岩国、徳山、下松、光とも25km近く離れていて、山の中だ。私も買わない、こんなもの。
本当は自分の未来を考えて。もっとヨーロッパ旅行や上京するにも便利の良い山口市の新幹線駅である新山口駅の近くで宇部空港も近い場所を探し続けたのだが、時間ばかり過ぎてしまって土地も一度だけそれらしき候補があったのだが、役に立たない不動産屋で話は途切れてしまった。そのころは父は生きていたから、気持ちの選択は楽だったのだが・・・・相続して荷物が増えて、重しとなった。断捨離はもともと「持てない」ことが良いに決まっている。
いや逆に「宝くじ」でもあたってくれ。それなら人生の最期をブチ切れるように出来るかも。