自分のアトリエを建てるのに気が付いたことがある。
自分で作ったプロットの建築図が在来工法を得意とする大工の手で小さな家、小さなアトリエにされた。基礎を見て「これは小さい、小さい!!」と言ったら「大きい、大きい」と言い返した建築会社の営業に大工。彼らは注文主の希望を全く考えずに、「世間ではこれおを大きいと言う」と自分たちの基準や常識でものを言う。こういうところに、今の日本社会が相手のことを考えずに突き進むシステムで成り立っていることを証明している。
そこに基準や常識があるから良いではないかと・・・思っている。気が付いてからでは遅い。貴方たちは何かが起きる前に先入観を持つべきだ。自分の時は大丈夫だとバイアスを働かせてはいけない。注文主つまり「客」の言うことを聞いていたら「めんどう」なのだ。
日本の家屋は尺寸で出来ている。「さぶろく」をご存知か?畳一枚の寸法で、3尺と6尺(1尺は30.3cm)だが、畳の大きさにも京間畳、江戸間畳とあって、江戸間は京間より少し小さく2尺8寸と5尺8寸とする。
そこで、部屋の大きさが4畳半、6畳と割り振られて、寝室がその程度であれば上等であった文化がまだ続いている。6畳に布団を2枚敷いたら、もう何もできない。ベッド2つであるなら刑務所並みである。1970年以降であれば、国民の食糧事情も良くなって、日本人の平均身長は大きく伸びたが、在来工法の部屋の大きさは変わらなかった。畳の部屋が少なくなって板の間に代わっても尺寸で計算されている。
まえのブログの記事に「元号制」の無駄を書いたが、西暦に一本化することで、どれほど簡単になるか分からないのと同じ。尺寸をメートルに直せば廊下も階段も少しは体に合った「寸法」と変わっていくだろうが・・・この「寸法」という言葉も古語にすべきだ。貴方はスコップやツルハシを使ったことがるだろうか?柄が短くて腰を曲げないと使えない道具になっている。
要するに受け継がれる尺寸文化が不快であると思わず、そういうもんだと受け入れる日本人が多勢に無勢であるがため改善はしないだろう。
今の浜田の家の2階で「坐骨神経痛」を患って救急車を呼んだ時「狭い階段87cm幅だから」と申し訳なく伝えたが、今回あれほど伝えても95cmにしましたと大工が言う。たった8cm幅の拡張が何になるのか??
住む人間、そこで生きる人間が将来どんな生き方をするのか、将来が見えないほど理解が出来なくなっているのだ。
ウサギ小屋が減る訳は無い!!!!!