河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

AIと共存できるか?

2024-05-27 10:39:32 | 絵画

スマホ文化によって・・・いや文化を通り越して「文明」と言うべきかもしれないが、人工知能がいろんな形で試されて、我々の生活に大きな影響を与え始めている。このAIに知能を与えるのは人間であっても、人間以上に知能を働かせて・・・ちょっと人間が出来なかったことをして見せると・・・・人間の側が「勘違い」をし始めている様に思える。その勘違いと言うのは「人間より優れている」と思うこと。

AIが人がやってきた仕事の時間の短縮やちょっとしたアイデアのバリエーションを作って見せることで、大きな助けになることは事実だろう。それは「知性」の幅の拡大であって、実際の創造性の拡大ではない。私が危惧するのは、現場を持たずに「観念的労働」をする者に、現実とはかけ離れた結果をあたかも「評価できると満足感」のような幻想を与えることである。

それでなくとも役人や会社の幹部など現場から遠い者は社会で起きている現実から遠くなりつつある。まさかと思うが財務所の役人はAIを使って「新たな税金の徴収方法」でも創りかねない。所得の47%を税として取られる日本国民がどこかに痛みの感性を忘れているのは「のど元過ぎれば熱さ忘れる」国民性のせいであるが、もしAIが社会に食い込んでくると日本人の生活がどんなに変化してくるのか想像したくもないが、AIに仕事をさせる世の中が始まっている。

ハッキリ言って「生きた心地を無くす」だろう。AIと現実を分けられないと、自分の感性はどこに行ってしまったのだろうかと疑問を持つだけではなく、失望や怒りが芽生えてくるだろう。人が人であれるのは「自意識」があるからだ。

あるとき自分の名前でブログを見ようとしたら、「河口公男の絵画」の項目があってクリックしたら・・・・「なんじゃこりゃ!」。私がブログにアプロードしたデッサンの類が掲載されているが、その下に「類似品のデッサンや絵画」が並んでいる・・・いやこの類似品は誰か担当者が選んだのではなく、AIが選別したもので、私に関係ない。その目的や意義が分からないから、むちゃ腹が立つ。ここでも私の「感性」が無視されているが、AIに向かって「余計なことをするな」と言っておこう。

AIが責任を取るとは思えないから、腹を立てると損だ。これを利用する者に責任感があればの話だ。