河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

死ぬのが怖い

2024-12-22 16:01:45 | 絵画

朝起きようとしたら目まいがして起きられなかった。無理に起きようとすると吐き気もしてくる。ひょっとしてインフルエンザにでも罹ったのだろうか・・・と。12月18日が五回目の公判で、だれもマスクもしていなかったし・・・。被告の坂本が現場の写真を撮りたいと言っているが、許可するかと裁判官に言われて、「ああ、いいですよ。私も行ってみようかなあ・・」と言ったら、裁判官は困った顔を一瞬みせた。「いやー人で撮影するだけのことで・・・と私が来てほしくなさそうだったので「いやー、飛び掛かったりしませんから・・・」と言ったら、その場の全員が大笑いで、その日の公判は終わった。

その翌日は掛かりつけ医の処に市の高齢者健康診断の結果を聞きに行くつもりだったが「眠かった」ので寝坊して・・・・毎日が日曜日の気分・・・・で翌日にした。医者にかかるときは開院前の8時半に行かないと、年寄りがわんさか居て順番が、記名してから2時間後ぐらいになるので、覚悟がいる。で、20日にとにかく行って薬だけはと思ったが・・・とりあえず診断結果は毎度のこと、メタボである以外大きな問題はなさそうだった。

で翌日のこと、その気持ちが悪い朝、目がくらくら、吐き気がして起きられない。腰も痛い。起きなくては・・・おしっこ行きたい・・・猫が3匹枕元にいて邪魔だ。いずれにせよ頭を動かすだけで気持ちが悪くなる。寒いのにファンヒーターは切れてしまって、猫たちが私のベッドに集まり団子になってきた。・・・だれかヒーターのスイッチを押してくれ。役に立たない猫たちよ!!

どうすればいいのか・・・また救急車を呼ぶか??いやそれまでにおしっこが漏れそう。私は何をしているのだろうか・・・独り者は困る。ベッドの下に尿瓶(しびん)が置いてあるが、手が届かない・・・猫が邪魔だし。今度からバケツと尿瓶に紐をつけておくことにする。枕元でひっぱれば良いかも。しかし吐き気がする、めまいがするのに出来るだろうか。

何故、こんな具合になったのか、本当にインフルエンザだろうか。

なんだかむかつくような胃の具合がしてるような、よくわからない。吐き気がして・・・とうとう目まいでくらくらしても立ち上がってトイレに行く。生唾しか出ない。胃の中に何かある気がしないが、消化不良で十二指腸あたりに何か詰まっているのかも・・・で三共胃腸薬を4錠飲む。それを吐き出すような気配はしないから。また横になって、朝7時半になった。いつもならモーニングコーヒーをマグカップに一杯,砂糖も大匙に2杯飲むのだが、気が引けて・・・様子見。吐き気も目まいも治らない。寒いがヒーターに灯油がないのが分かった。だが下の階まで歩けないし、灯油缶を持つなど出来ない。猫たち悪いけど我慢シーや。父ちゃんも寒いのだ。

何か他の薬はないか、枕もとにガスターテンを見つけて水を一口と一錠飲む。そして寝る。しかしこの時、未来が見えなくなっていた。このまま何もできなくなって死んだらどうなる・・・・?

事件では「許せない」から頑張て来た。山口の警察で告訴状に告発状を出して捜査をお願いしてきた。訴えたものが死んだらどうなる?猫たちはどうなる。この家、岩国の実家に嘉川の新しい家と・・・うんざりする責任を感じる。

それでも気分が良くならないから寝る!!死んだらシラン!!

加筆します!!

結局、一日半ばかり寝て過ごして、様子を見た。気持ちは悪いが、ガスターテンが効いたのか胸焼けのような、胃に何かが詰まったような気持ちは薄れてきた。窓辺まで動いた。腰が痛い!!外の天気はすこぶる悪い。雨交じりの西の風が風速15mだと。傘は効かない。そのままベッドに戻る。

猫が「お腹が空いたんだニャー」と啼きながら私の顔を見る。私も空いた。気持ちが今一だが…チョイっと何か食べてみようか??

いっそのこと吐き出すのも病状を知る方法かもと・・・そうめんを作ることを考える。ご飯は無いので「おじや」は作れない。消化の良いそうめんくらいか・・・と寝ながら考えてみた。

一日前より、かなり「生きる」方へ向かっている。恐怖から解放されて、少し気が楽になった。

そういえば、私が絵に描こうとする世界は「生きることと死ぬこと」だ。生きることを考えると「死ぬこと」が見える。これまで「死ぬとき」には、畑の真ん中で草をむしりながらスーッと逝くのが良いと思っていたが、もっと生々しく「いやだ、いやだー」と死ぬかもしれない。猫たちもホッタラカシテ。

絵の中に「死の世界」は描けない。私はダンテやスエーデンベルグのように死の世界を旅していないから・・・虚構を思い描くだろう。それで少しでも恐怖から逃げようとする・・・それが私の「生」であると、ちょっと情けないなあ。