河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

76年のデッサン

2018-08-04 13:20:44 | 絵画

毎度、写真の撮り方が悪い。黒い部分は画面一杯に映せるということで、無駄を繰り返している。照明はLEDランプ100w4灯で少し白い紙が明るく見える。ここに掲載しているデッサンは木炭紙MBM(66x50cm)の大きさ。ブリュッセル王立美術アカデミーで夜間デッサンクラスで描く一方で、自宅では休みの日には自画像を描く一連の習作の一つだった。今と違って痩せた肉体に安井曽太郎や中村不折がエコール デ ボザールで人体デッサンに挑んだ描き方を真似てみた。風邪をひかない夏であったと思う。もう少し顔をリアルに描けばよかったと思う。当時24歳。

これら以下のデッサンはアカデミーの夜間クラスで描いた習作である。週5日で45分ポーズ15分休みで毎夜2ポーズあった。当時、授業料は無料で勉強させてもらった。有難かった。

デッサンするときは、観る時間5分に対し、描く時間20秒ぐらいである。(66x50cm)観察して形を覚えてから描く。形は少し誇張されている。

 

 ブリュッセル、76年の3月18日と書かれている。体格の良いオランダ系ベルギー人の女性。体の各部にメリハリがあって良かった。

 

 肌の浅黒い中近東系の彼のペニスは包茎カットがされていて、皆が言うには、彼は子供のころ割礼を受けたユダヤ人だと・・・。浅黒く毛深い感じが描けただろうか?

 

 

多くを線で形作ることが出来るようになったのは、人体の形の特徴が見えてきたころだろう。

 

何故時間がなかったような描き方なのか?わからない。

 

鼻をもう少し小さく描けばもっと美人に見えただろう。実際に彼女はモデルさんとしては飛び切りの美人だった。

 

たまにはこうしたコスチュームもデッサンの修練には良い。サンギーヌに白チョーク。

 

 

上のコスチュームの女性と同じモデルさん。体の細い四肢が美しい人だった。

 

 

水彩紙にサンギーヌ。

 

ベルギーでは多くの男子のモデルはサポーターで局部を隠している。

 

始めたばかりの頃であったか?腰のパンツがいけない。

 

この彫刻デッサンは帰国後の82年頃だと思う。実物を見て描いたのではなく、写真を見て描いた。中途でやめて、画面を定着させていなかったために、画面の木炭が摺れて落ちている。30歳にしてまた石膏デッサンをしてみる気分は・・・。日本での経歴にコンプレックスがあったのだろう。

画学生時代のデッサンの公開はこのあたりで終わることにするが、現代アートを信奉しない理由が分かってもらえたであろうか?観念的で実感がない世界より、実感や主観に生きる方が「生きた心地」があるというものだ。

紙一枚、鉛筆一本で何かを表すことは、洞察力と感性を磨く方法を磨くことで、かつての巨匠たちが信じてやまなかった競争原理で生きる表現方法だった。自分の力を磨くことで、観る側に伝わる方法を選択すべきであって、個々人によって解釈の違う観念で表す表現方法である現代アートは、表現のコンセプトが伝わらないと「評論家の言葉」を借りて、自分を主張する。これは「美術」とは言えない方法であるにもかかわらず、美術館で展示したがり、弱い人間のコンプレックスを感じる。現代アートは世界中に蔓延しているが、行き詰まりを感じる。その内、描写によって表現する美術が復権するだろう。

しかし、美術愛好家の好みを描く大衆迎合的なモチーフを描く職業画家もいなくなることはないだろう。また、一度日展に入選したくらいで、県の美術展の審査委員を務めたりする閉鎖的旧習も当分なくならないであろう。私はどちらも興味がないから、自分のスランプと戦って自分の中の「真実」を取り戻すだけだ。

次回は色付きの絵で、未公開作品を取り上げることにする。