いろいろある中、亡き父がお世話になったふたいとこにお礼を言いに行ったら、私のブログをいつも読んでいると言われた。スランプが続いているのを気にしてくれていた。ついでに「没頭していないのね・・・」と言われて、がつんときた。
そう言えば、没頭という言葉は縁遠い自分になっていて、高価で簡単に手に入らぬ時間と空間が必要だとおもえる。お金持ちであったなら、猫の世話や掃除や食事の用意を頼んで・・・・絵を描くのに「没頭する」ことが出来るだろう。しかし学生時代はお金などないから・・・・物欲もなく、絵を描くのに没頭していた。3,4日食事も寝ることもなく絵を描き続けたこともある・・・・疲れてパッタンとその場に倒れて、気が付いたら翌々日であったりして。長時間描き続けることが出来るというのは、作品の完成がハッキリしていたということで、視覚的イメージがあって、それに近づくまで描き続けるのが没頭だ。
やはり今、独身で・・・猫に向かって「おーーい、お茶!!」なんて・・・「人の話、聞いていないな・・・」「何?日本語が分からねえ!!」「授業料出してやるから、学校行って勉強して来い!!」で、虚しい。葛飾北斎は自分の娘に「おーーい」という名前を付けて「おーーい、お茶」なんてね。何でもかんでも娘に「おーーい」と言えたから、工房の弟子たちの世話から、ビジネスマネージャーまでこなして、彼は制作に没頭できたのだ。
私も「娘」が欲しかった。今となって遅いが、結婚すればよかったと思う日本女性が居た。アメリカの製薬会社の日本法人の社長秘書をやっている人で・・・・初対面でびっくりの美人だった。「こんなにきれいな人が自分に・・・・」と思ったが、一緒に食事をしながら、とにかく違和感のない人で、ずっと昔から知り合いで、付き合ってきた人のように感じた。それが、今となって一番大事であったのに、その時は衝撃的な出会いを求めていたのだと思う。そして彼女は美人過ぎて、面食いだと思われるのを避けたかった・・・・まあしかし美人であることより、大事な自然な関係を一番としなかったことが、家庭を作り出さなかった原因である。
彼女との間に「娘」を一人。名前を「おーーい」なんて付けて。
そろそろ現実に戻る。
絵が描きたくなってきた。スランプは終わりに近い。描き始めれば瞬間的にでも没頭するに違いない。