河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

11月10日講演内容のまとめ

2019-11-11 11:11:13 | 絵画

島根県江津市川戸町の今井美術館で開催中の天野勝則展で行った講演の趣旨です。

天野氏は江の川で鮎漁を本業とされるプロの川漁師です。趣味で絵を描かれているけれど、今回の展示作品数は40点に及び、自身の生活体験から湧き出るイメージの世界を水彩絵の具で描いています。彼の画業に貫かれているのは鮎漁を通して、自分の願いや江の川や住んでおられる山郷の風景そして漁の最中に出合う動物たちを愛しんでおられるそのままを素直に表現されていることが魅力です。

しかし彼のような表現はこの国の現代美術あるいは現代アートが幅を利かせる中で、決して失われてはならない創作のモチベーションです。天野氏に講演の機会を頂いて是非とも話しておきたい「描写する絵画」とそうでない「現代アート」についてその区別を述べておきたいと思って、講演の主題を「絵を描こう、何をどう表現する?」としました。

講演会に来られた聴衆の方々は美術愛好家でしょうが、昨今の日本における美術の流れに対する誤解などが生じないように、「現代アート」と「現代美術」を区別する方法で話を始めました。

現代に「美術」と呼べる流れはイタリアルネッサンスに始まる「描写の美術」で、この世にない世界を絵にして見せる、つまり虚構として「無いものを在るがごときに」という理念でフランスの印象派が登場する辺りまで続いていた。社会に大きな変革が起きると文化に対する考え方も受け取りかたも大きく変わってくる。神話や宗教画を描くことが画家として優れていたことが、新教のカルビン派が台頭した北ネーデルランド(オランダ)では静物画、風景が、人物画と「偶像崇拝」から離れて画家は地位を保てた。そこにオランダ絵画の黄金時代が到来する。

フランス革命(1789年~1799年)から無政府状態の混乱期、ナポレオンの帝政時代、パリコミューンと変遷する中で、画家たちは生活の庇護者である権力者、金持ち、教会が力を失って、神話や宗教を題材とする絵画は失せ、画家個人の自立意識が高まる。自然主義、写実主義など自然や生活を描いたものは「依頼主」による注文にこたえたものではない。

この時期に登場した印象派は「光と色彩」に表現の力点を置いた「明るい絵画」を描き始めた。(1870年頃)これはある意味で形の表現に厳しかった「描写の絵画」の終焉を意味した。マネ、モネ、ルノワールなどアカデミックな教育を受けてもデッサン力はそれまでのサロンの画家たちと比べ者にならないほど稚拙であった。この時期から世界の画家たちからデッサン力が失われるれ。印象派に参加した画家たちの多くは、経済的に親の遺産を食いつぶせる幸運な者たちだった。

フランスでは芸術の都としてのプライドから、次々と新しい芸術表現が求められたが、旧態依然とした保守的な美術界に対して案的なものが現れた。その一人がマルセル・デュシャンであり、彼はギャラリーの展示室に《泉》と題して小便器を繰り返して展示した。これはたとえ便器でもギャラリーに持ち込めば芸術とされる陳腐な現実に批判を行った。

デュシャンは新しい表現を受け入れるアメリカを目指してしばらく滞在するが、フランスに帰国して晩年は旧来の絵画を描いて暮らしたと言われている。

しかし、一方で彼が残した視覚表現に縛られず「観念的主題」を表現することを主張し、伝統や旧来の習わしに束縛されないアメリカの若い画家たちに受け入れられる。これが今日の「観念アート」であり、今日私が聴衆に分別した「現代アート」である。

現代アートは「主題は何でも良く、表現方法はどの様な方法でも良い」という。表現の目的性が良く分からなくなってきているが、手段は視覚のみでなく、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と五感に訴える方法で良いということで、次第に表現方法を拡大してきた。表現する側は何でも良いと思うが、それを受ける側が感じたり考えるときに混乱していることは置きざりにされてきた。視覚表現に拘らなくなったことで、美術ではなくなったのだ。

以前に述べたことが在るが、ドイツの社会学者であるアーノルド・ハウザー言葉を紹介した。「芸術とは何か一言に説明できないが、少なくとも芸術作品というものは、この我々が住む世界から離れ自律し、それ自体で充足した世界であり、その世界の存在が感じられる錯覚が強ければ強いほど感動が大きい。」という意味は「芸術が虚構である」ということであり、そこに我々の生活する世界とは次元が異なる世界が存在しなければならないということだ。

現代アートから、目的性を感じられなくなって、表現の完成形(行先)が見えなくなっていて、彼らは終りなく試し続ける行為だと言う。

講演の中で「あいちトリエンナーレ」の問題を取り上げて、混乱する問題の「表現の自由」を要求している点で、何が混乱の元かという話をした。展示された「慰安婦像」や「天皇の写真を燃やす映像」は歴史問題や人道主義と混同して扱われていて、事実関係が調査研究されてしかるべき内容であるものを、表現の主題として扱った点にあること。これを彼らは「芸術表現」や「美術作品」と述べており、「・・・である」かどうかの議論を封印している。「歴史的事実だ」として考えると、其れは虚構でなく、事実を批判する目的の政治的プロパガンダだとしか言えない。

これらを現代美術として理解してはいけないと述べた。現代アートは美術とは全くの別ものであり、現代美術は「虚構の世界を描写したもの」として流れているのであって、今日ではまるで観念アートが主流で、「描写する美術」は骨董品のように扱われているが、個人の感性をもう一度大事にしてほしい。絵を趣味で描く人は「自分が最も描きたいことを描きたいように」するために、画材を買ってきて頭で考えて形から入らずに、自分で感じる実感を大切にして、デッサンを重ねてから始めて欲しい述べておいた。

講演の時間を気にしすぎて、話の中身はそのようなもので終わってしまったが、もう少し聴衆の興味に沿えるように話すべきであった。

左の子はしょうゆちゃん、現在拘置所に収監中で廊下にウン子、おしっこを100回ぐらい繰り返して、器物損壊の罪で、反省を待っています。檻の中には砂のトイレが入れてあるので、毎日使うように仕向けています。その右隣りはみりんちゃん、私の食事中に膝の上に乗り、強烈なおならとウン子を漏らして、ズボンを汚し、食欲を無くさせた罪で、書類送検。対応策が見つかりません。

講演内容は、もう少し言い足りなかったことを描き足すことにする。

地方の美術の問題は、おそらく県立美術館などが出来た当時、美術教育、制作活動など盛んにするために、地元の作家に呼び掛けて、県展などに出品するように働きかけてから、いつの間にか各美術団体の勢力争いの場になってしまって、美術文化を盛んに出来なくなってきているのが現状だと言える。島根県展も、既成の日展系、二科、国画会、東光会などの25人のメンバーで審査を行い、己の陣営を有利に入選させようとするあらその場になっていると聞いた。

こうした環境はビギナーにとって最も悪く、候補作品の品評会でアドバイスをもらうのに、「自分は偉い先生だ」と威張っている者が、ろくでもない意見を言う例が多くみられて、「権威主義」に近づかないようにアドバイスしたい。

日本が不得手なのは「自己主張」であるが、個人性を明確にして生きようとすると、この国では「集団の価値観」を押し付けられる。しかし個人の自由であることには、目覚めて欲しい。周囲や歴史から学ばないものは愚か者だが、ビギナーが人まねをするのは当たり前で、日本語も真似して覚えたはずだから、基本的なことは先人の優れた成果を真似るのが良い。先人の優れた作品に触れて絵を描き始めることは自然なことだ。「他人の真似をすると個性がなくなる」と言われた人がいたが、言った者は「無能」であるに違いない。個性は自分の中に時間をかけて育まれるものだ。最初からあるものではない。

昨日、レオナルドの少年時代まで遡って彼の天才を検証するNスペがあったが、幼少期は親からも見捨てられて学校にも行けず、独り自然の中で、現象を観察することで才能が開花していった内容だったが、天才はともかく、普通の人も観察によって、現象を洞察し,真理を見つけ出す行為は「凡人」にとっても同じである。

絵を描くビギナーにとっても大切なのは「観察」から始める好奇心である。それは個人のものである。