minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

Rio Gallegosの人気者

2012年06月23日 | ライブとミュージシャンたち
「サチ、起きて!」

ドロドロに疲れ果て眠りこけていた私たちをママが起こした。朝の9時だ。もう少し寝かせて欲しいな~と思いつつも「ナニ?」と目をこすると・・・台所のテレビを見上げてママが指差している。



あ、Rioがテレビに・・・。ねぼけた頭で「1昨年に出演したテレビを流しているのかな?」などと思ったが・・・よく見れば今のRioじゃん!!「えええ???何?どうしたの?」と慌ててトシキも叩き起こした。

朝の6時にパパが電話でテレビ局から連絡を受け、Rioとテレビ出演する事になり、8時に出かけて行ったそうな。なんだか、とても堂々とインタビュアの質問に答えている息子がそこにいた。ひえ~~~~!

生放送が終わって家に戻って来たRioによれば、急に起こされてそのままテレビに出演する事になったらしい。本当は私たちも?と言われたが疲れていたので起こさなかったそうな。ありがたや。翌日(土曜)に行うコンサートの宣伝をしっかりやってきた息子とパパに感謝。

しかも「今、カラファテの友人と電話で話したけど、今朝は50cmの積雪で大変な事になっているそうだ。」とパパ。いや~、昨日の夜中のうちに帰ってきて大正解だったのだ!!パパ、偉いっ!

お昼にママが得意なエンパナーダの作り方を教えてくれることになり、夜は私たちが日本食を作る約束になった。


一緒に近所のスーパーへ買い出し。パパの車でRioGallegosの街を案内してくれた。車で5分ほどのところに川と海が混ざりあう海峡がある。昔日本のトヨタがここで汽車を使って工事を行っていた(?)という跡地なども見学。そしてまずは高級魚介店へ。こちらではえび、イカ、貝は高級品なのだ。私は日本のスーパーでアルゼンチンのイカ1匹を100円で買ってるよ、とお店の人に教えて上げた。「そうなのよね、みんな日本に送っちゃうの。イカはここRioGallegosで撮れるものなのに。」


ここが魚介専門店


買い物から帰って、さっそくエンパナーダ教室。エンパナーダは皮が命。中に入れる具はハム、チーズ、コーンのつぶしたもの(この組み合わせのエンパナーダをウミータと言う)、卵、に塩。しかし、餃子の皮のようなものでそれをくるんでくるくるっとひねっていくところがとても難しい。ママは陶芸家だから手先が器用。私と言えば・・・そうだ、陶芸教室に通って一ヶ月、菊練りという最初の段階ができずに陶芸を諦めたんだった・・・・汗。という事で3つくらい作らせてもらってから断念。日本に皮だけ買って帰ってから練習しようっと。



ほら、簡単でしょ!って・・・難しいよぉ。

辛いものがだめ、変わった味は食べられない、といろいろと制約がある中で、鳥の唐揚げ(こちらではいろいろとフライものはあるが、唐揚げはないらしい)、イカ(こちらの魚介は高級品)のゲソバター醤油痛め(アンドレアはイカが食べられなかった)、そして巻寿司風おにぎり(中にマヨネーズ、ウインナ、卵焼き、キュウリを入れたもの)を作る事になった。

下ごしらえをしてから、夜は空手教室へ。ファビアンは空手教室のトップの指導者。この街の100人以上の子供たちを教えている。普段は役所の事務などをやっている(Rioが帰ってから3つも昇格したそうな)のだが、空手をこよなく愛していたからこそ、AFSの交換留学で日本人を預かろう、と思ったのだった。

Rioが一緒に稽古をしたクラス。仲良しの仲間たちがみんなRioを懐かしんで挨拶。パパの取り計らいで、Rioと3人の試合が組まれた。一緒に始めた女の子ショアンナもすでに黒帯になっていたのでびっくりのRio。黒帯が沢山いる上級者クラスなのでとても迫力ある稽古だった。試合は2人に勝ち、最後のホアキン(なんと14歳で黒帯!)に負けたRio。足を怪我するというアクシデントもあったが、よく頑張っていた。結構才能あるな~、一年でこのクラスの人たちとよく頑張ってついていったもんだ、とつくづく関心(親ばか)。



ここでも大人気!

ホアキンと。

空手上級クラス集合!


「明日のコンサート楽しみにしてるよ!」とみんなと挨拶して別れ、家に戻ってからパパ、ママ、アンドレア(お姉ちゃん)がお腹ペコペコで待っている間に食事を3人で用意。興味深々で写真を撮りまくるCamporro家の人々。

一番の難関はごはんだった。こちらのタイ米を鍋で焚くのだ。どんなものに仕上がるのかさっぱり。ようやく炊けてできあがったお米はパラパラ。このごはんで巻寿司を作るのは至難の業だった(汗)。

とりあえず、巻いてこぼれないように、サランラップでくるんで半分に切る。ボロボロとこぼれ落ちるごはんだったけど、みんなとりあえず喜んで食べてくれた・・・。唐揚げの評判が一番良かったw。日本から持って行った醤油は大活躍。食事が終わったら気がつくと夜中の1時。いくらなんでも遅過ぎた~~~。さあ、明日はいよいよコンサートだ!!

パタゴニア大冒険

2012年06月23日 | 環境
パタゴニアの冬は朝が遅くて日暮れが早い。そしてコロコロと天気も変わる。まさかこれから大冒険になるなんて思いもよらなかった。


9時に起きると朝焼けがラゴ(沼の大きなもの)に映ってキラキラと輝いていた(上記の写真)。なんて美しい景色なんだろう。と感激しつつ、パパたちと朝食をとっている間に雲行きが怪しくなって雨が降り出した。えええ?困ったな~。



パパはチェーンを探しに出かけ、30分ほどしてから「めちゃくちゃ安いチェーンが買えたよ!!」と普通なら2万円くらいするものが4千円で買えたと大喜び。でかした!といいつつ、さあいよいよ、ここから80k離れた国立公園へ出発。


雨が降ったり止んだり・・。これが「ぞうの沢山いる岩のある山だ!」と教えてくれた。岩の形が象の群れのようなのが解るかな?

国立公園の入り口で入場料を払うのだが、旅行者と地元民とでは料金が全く違うので、パパとママが挨拶をしている間、後ろで私たち3人は帽子をふかぶかとかぶり、口までマフラーをまいて下を向いていたw。うまく地元民になりすまして無事通過。

どんどん山道を行くと小雨が雪に変わり出した。グレーの沼に突然、真っ青な氷がポツンと見えだし・・・「おお、あれか!」







遂に氷河公園へ到着。Rioが一昨年の誕生日にここに連れて来てもらった時の写真を沢山見ていたので「ああ、ここだ、ここだ!」と感慨深い。

さらに車を停めて、氷河探検に。寒さが半端でない上に小雪が降り出したので、長時間いることはできなかった。だから前回のヴィデオで氷河が崩れ落ちるのが見れたのは相当ラッキーだったのね、といいつつ私たちは写真を撮って早々に退散することに。



帰り道で氷河の近くに行ける場所を発見。パパ(ファビアン)はここで1000年以上前の氷をコップに入れてウイスキーを飲もうと企んでいたのだ。私とママ(ヴェロニカ)はあまりの寒さに車の中で待っている事になった。2人だけで会話もほとんど通じないのに、なぜかアルゼンチン国歌を2人で合唱したり、楽しい一時だった。



ようやく彼らが戻って来て、1000年の氷の入ったウイスキーを一口いただく。そしてみんなで持って来たパン、チーズ、ハムをはさんでサンドイッチを車中で食べる。なんだかとっても凄い体験だな~。なんてこの時はこのくらいで感動していたのだが・・・。

バンガローに戻る1時間のドライブの途中で雪が大雪に変わり始め、私たちが車を押したりしたが、ついに坂をのぼらなくなってしまった。男たちは酔っぱらいつつも力を合わせてチェーンと格闘。Rio Gallegosに住んでいると、なかなか雪が降らないので、パパはチェーンをつけたことがないのだ。日本のチェーンとも違うのでこれがまた大変な作業。慌てて持って来たホッカイロをパパの背中にペタリと貼ってあげるとパパは大喜び。ホッカイロ、こちらにはない優れもの。もっと日本から持ってきてあげればよかったなあ。

30分以上かかってようやくチェーンを装着。無事にバンガローに戻る事ができた。今夜もここに泊まるのね。と思ってくつろごうとしているとノックの音。ファビアンが「これからRio Gallegosに戻るよ。」

えええ?もう帰るの~~?ゆっくり休めると思ったのに・・・と思いつつも急いで帰る支度。「雪はほとんどなかったので、少ししたらチェーンをはずすよ。」そう言って、バンガローをあとにした。

ガソリンも入れて、カラファテの可愛い街を出た途端、止みそうだった雪が吹雪に変わり、どんどんと積もり出してきた。チェーンをはずすどころではない。前方が見えないくらいの猛吹雪。ゆっくりと走るパパの運転はいつも以上に慎重だったので安心してウトウト・・・。すると突然キーっとブレーキの音で目が覚め、気がつくと車が一回転して山はだにぶつかって止まった。ひえ~~~、怖いよ~~~(涙)。

対向車がいなくて、しかも崖側でなくて本当に助かった。車も速度がゆっくりだったので、それほどの被害もなく・・・・。とりあえず、一回転してまた何事もなかったようにパパは走り出した...。こういう時に話ができないというのは良い事なのか、悪い事なのかわからないけど、また平常心でBGMを大音量でかけながら鼻歌を歌うパパに命を預ける気持ちはフクザツ・・・(汗)。



またウトウトし始めると今度はカッカッカッと変な音が聞こえ出した。左のチェーンがはずれたようだ。吹雪の中でまたまた男たち3人でチェーンをなんとかしようと格闘。しかし、結局左側のチェーンは壊れ、取り外す事に。神様、これ以上問題が起こりませんように、と私たちは祈るだけ。頭の中に「北の国から」で遭難しかけるシーンなども頭に何度もよぎった。なんでこんな大変な夜にわざわざ戻ろうって言ったんだろ、とちょっとパパの奇抜な判断をうらめしく・・・。

「これがパタゴニアなんだよ!!」とパパは叫んだ。Bienvenido(ようこそ)!!!! とみんなで笑うしかなかった。

さらに1時間ほどして、ついに右側のチェーンも壊れた。「くそっ、今度は高いチェーン買わないとな。」とパパがつぶやきながらチェーンなしで雪道を行く事に・・・。ただ、ひたすら真っすぐ平な一本道で対向車もほとんどない事が幸いして、無事に家にたどり着いた。来る時は4時間,帰りは7時間かかってしまった。くたくたになってドロのように眠った私たちの絆は今まで以上に深くなった。しっかし濃すぎるぜ、パタゴニア!!


途中に一軒だけレストランがあって、そこでようやくスープにありつけた。パパの背中にはホッカイロ。