「サチ、起きて!」
ドロドロに疲れ果て眠りこけていた私たちをママが起こした。朝の9時だ。もう少し寝かせて欲しいな~と思いつつも「ナニ?」と目をこすると・・・台所のテレビを見上げてママが指差している。
あ、Rioがテレビに・・・。ねぼけた頭で「1昨年に出演したテレビを流しているのかな?」などと思ったが・・・よく見れば今のRioじゃん!!「えええ???何?どうしたの?」と慌ててトシキも叩き起こした。
朝の6時にパパが電話でテレビ局から連絡を受け、Rioとテレビ出演する事になり、8時に出かけて行ったそうな。なんだか、とても堂々とインタビュアの質問に答えている息子がそこにいた。ひえ~~~~!
生放送が終わって家に戻って来たRioによれば、急に起こされてそのままテレビに出演する事になったらしい。本当は私たちも?と言われたが疲れていたので起こさなかったそうな。ありがたや。翌日(土曜)に行うコンサートの宣伝をしっかりやってきた息子とパパに感謝。
しかも「今、カラファテの友人と電話で話したけど、今朝は50cmの積雪で大変な事になっているそうだ。」とパパ。いや~、昨日の夜中のうちに帰ってきて大正解だったのだ!!パパ、偉いっ!
お昼にママが得意なエンパナーダの作り方を教えてくれることになり、夜は私たちが日本食を作る約束になった。
一緒に近所のスーパーへ買い出し。パパの車でRioGallegosの街を案内してくれた。車で5分ほどのところに川と海が混ざりあう海峡がある。昔日本のトヨタがここで汽車を使って工事を行っていた(?)という跡地なども見学。そしてまずは高級魚介店へ。こちらではえび、イカ、貝は高級品なのだ。私は日本のスーパーでアルゼンチンのイカ1匹を100円で買ってるよ、とお店の人に教えて上げた。「そうなのよね、みんな日本に送っちゃうの。イカはここRioGallegosで撮れるものなのに。」
ここが魚介専門店
買い物から帰って、さっそくエンパナーダ教室。エンパナーダは皮が命。中に入れる具はハム、チーズ、コーンのつぶしたもの(この組み合わせのエンパナーダをウミータと言う)、卵、に塩。しかし、餃子の皮のようなものでそれをくるんでくるくるっとひねっていくところがとても難しい。ママは陶芸家だから手先が器用。私と言えば・・・そうだ、陶芸教室に通って一ヶ月、菊練りという最初の段階ができずに陶芸を諦めたんだった・・・・汗。という事で3つくらい作らせてもらってから断念。日本に皮だけ買って帰ってから練習しようっと。
ほら、簡単でしょ!って・・・難しいよぉ。
辛いものがだめ、変わった味は食べられない、といろいろと制約がある中で、鳥の唐揚げ(こちらではいろいろとフライものはあるが、唐揚げはないらしい)、イカ(こちらの魚介は高級品)のゲソバター醤油痛め(アンドレアはイカが食べられなかった)、そして巻寿司風おにぎり(中にマヨネーズ、ウインナ、卵焼き、キュウリを入れたもの)を作る事になった。
下ごしらえをしてから、夜は空手教室へ。ファビアンは空手教室のトップの指導者。この街の100人以上の子供たちを教えている。普段は役所の事務などをやっている(Rioが帰ってから3つも昇格したそうな)のだが、空手をこよなく愛していたからこそ、AFSの交換留学で日本人を預かろう、と思ったのだった。
Rioが一緒に稽古をしたクラス。仲良しの仲間たちがみんなRioを懐かしんで挨拶。パパの取り計らいで、Rioと3人の試合が組まれた。一緒に始めた女の子ショアンナもすでに黒帯になっていたのでびっくりのRio。黒帯が沢山いる上級者クラスなのでとても迫力ある稽古だった。試合は2人に勝ち、最後のホアキン(なんと14歳で黒帯!)に負けたRio。足を怪我するというアクシデントもあったが、よく頑張っていた。結構才能あるな~、一年でこのクラスの人たちとよく頑張ってついていったもんだ、とつくづく関心(親ばか)。
ここでも大人気!
ホアキンと。
空手上級クラス集合!
「明日のコンサート楽しみにしてるよ!」とみんなと挨拶して別れ、家に戻ってからパパ、ママ、アンドレア(お姉ちゃん)がお腹ペコペコで待っている間に食事を3人で用意。興味深々で写真を撮りまくるCamporro家の人々。
一番の難関はごはんだった。こちらのタイ米を鍋で焚くのだ。どんなものに仕上がるのかさっぱり。ようやく炊けてできあがったお米はパラパラ。このごはんで巻寿司を作るのは至難の業だった(汗)。
とりあえず、巻いてこぼれないように、サランラップでくるんで半分に切る。ボロボロとこぼれ落ちるごはんだったけど、みんなとりあえず喜んで食べてくれた・・・。唐揚げの評判が一番良かったw。日本から持って行った醤油は大活躍。食事が終わったら気がつくと夜中の1時。いくらなんでも遅過ぎた~~~。さあ、明日はいよいよコンサートだ!!
ドロドロに疲れ果て眠りこけていた私たちをママが起こした。朝の9時だ。もう少し寝かせて欲しいな~と思いつつも「ナニ?」と目をこすると・・・台所のテレビを見上げてママが指差している。
あ、Rioがテレビに・・・。ねぼけた頭で「1昨年に出演したテレビを流しているのかな?」などと思ったが・・・よく見れば今のRioじゃん!!「えええ???何?どうしたの?」と慌ててトシキも叩き起こした。
朝の6時にパパが電話でテレビ局から連絡を受け、Rioとテレビ出演する事になり、8時に出かけて行ったそうな。なんだか、とても堂々とインタビュアの質問に答えている息子がそこにいた。ひえ~~~~!
生放送が終わって家に戻って来たRioによれば、急に起こされてそのままテレビに出演する事になったらしい。本当は私たちも?と言われたが疲れていたので起こさなかったそうな。ありがたや。翌日(土曜)に行うコンサートの宣伝をしっかりやってきた息子とパパに感謝。
しかも「今、カラファテの友人と電話で話したけど、今朝は50cmの積雪で大変な事になっているそうだ。」とパパ。いや~、昨日の夜中のうちに帰ってきて大正解だったのだ!!パパ、偉いっ!
お昼にママが得意なエンパナーダの作り方を教えてくれることになり、夜は私たちが日本食を作る約束になった。
一緒に近所のスーパーへ買い出し。パパの車でRioGallegosの街を案内してくれた。車で5分ほどのところに川と海が混ざりあう海峡がある。昔日本のトヨタがここで汽車を使って工事を行っていた(?)という跡地なども見学。そしてまずは高級魚介店へ。こちらではえび、イカ、貝は高級品なのだ。私は日本のスーパーでアルゼンチンのイカ1匹を100円で買ってるよ、とお店の人に教えて上げた。「そうなのよね、みんな日本に送っちゃうの。イカはここRioGallegosで撮れるものなのに。」
ここが魚介専門店
買い物から帰って、さっそくエンパナーダ教室。エンパナーダは皮が命。中に入れる具はハム、チーズ、コーンのつぶしたもの(この組み合わせのエンパナーダをウミータと言う)、卵、に塩。しかし、餃子の皮のようなものでそれをくるんでくるくるっとひねっていくところがとても難しい。ママは陶芸家だから手先が器用。私と言えば・・・そうだ、陶芸教室に通って一ヶ月、菊練りという最初の段階ができずに陶芸を諦めたんだった・・・・汗。という事で3つくらい作らせてもらってから断念。日本に皮だけ買って帰ってから練習しようっと。
ほら、簡単でしょ!って・・・難しいよぉ。
辛いものがだめ、変わった味は食べられない、といろいろと制約がある中で、鳥の唐揚げ(こちらではいろいろとフライものはあるが、唐揚げはないらしい)、イカ(こちらの魚介は高級品)のゲソバター醤油痛め(アンドレアはイカが食べられなかった)、そして巻寿司風おにぎり(中にマヨネーズ、ウインナ、卵焼き、キュウリを入れたもの)を作る事になった。
下ごしらえをしてから、夜は空手教室へ。ファビアンは空手教室のトップの指導者。この街の100人以上の子供たちを教えている。普段は役所の事務などをやっている(Rioが帰ってから3つも昇格したそうな)のだが、空手をこよなく愛していたからこそ、AFSの交換留学で日本人を預かろう、と思ったのだった。
Rioが一緒に稽古をしたクラス。仲良しの仲間たちがみんなRioを懐かしんで挨拶。パパの取り計らいで、Rioと3人の試合が組まれた。一緒に始めた女の子ショアンナもすでに黒帯になっていたのでびっくりのRio。黒帯が沢山いる上級者クラスなのでとても迫力ある稽古だった。試合は2人に勝ち、最後のホアキン(なんと14歳で黒帯!)に負けたRio。足を怪我するというアクシデントもあったが、よく頑張っていた。結構才能あるな~、一年でこのクラスの人たちとよく頑張ってついていったもんだ、とつくづく関心(親ばか)。
ここでも大人気!
ホアキンと。
空手上級クラス集合!
「明日のコンサート楽しみにしてるよ!」とみんなと挨拶して別れ、家に戻ってからパパ、ママ、アンドレア(お姉ちゃん)がお腹ペコペコで待っている間に食事を3人で用意。興味深々で写真を撮りまくるCamporro家の人々。
一番の難関はごはんだった。こちらのタイ米を鍋で焚くのだ。どんなものに仕上がるのかさっぱり。ようやく炊けてできあがったお米はパラパラ。このごはんで巻寿司を作るのは至難の業だった(汗)。
とりあえず、巻いてこぼれないように、サランラップでくるんで半分に切る。ボロボロとこぼれ落ちるごはんだったけど、みんなとりあえず喜んで食べてくれた・・・。唐揚げの評判が一番良かったw。日本から持って行った醤油は大活躍。食事が終わったら気がつくと夜中の1時。いくらなんでも遅過ぎた~~~。さあ、明日はいよいよコンサートだ!!