あなろぐちっく

mintonのスナップと気まぐれつぶやきブログ。コメントは古い日記でもお気軽に。写真の無断利用は厳禁。

負け犬

2006年07月11日 23時18分57秒 | NOKTON35mmF1.2
家族、恋人など、愛するもののために、人は頑張る。必要以上の欲も絡んで人の心は複雑にゆれてしまう。

そのために泣いたり憤ったりもする。

一番大切な部屋にとってある優しい心だけは残しておきたいと思う。
ぼくはそれさえもときどき置き忘れそうになる。
変わらずにいたいと願うことが最近よくある。

憤慨やる方なく憤りをぶちまけるみっともない自分がいる。こうして吼えるのは負け犬だなあと自分でわかっているのに。
仕事、金、立場、いろんなものに縛られて、もし柵のない素の自分なら笑えることに心をすり減らす。

すり減らす自分がいなくなったら灰になった自分になりそうだから、何がよいのかはわからないけど、ぼくの背中に乗っているいろんなものがなくなるまで、ぼくは負け犬でも吠え続ける。


吠えてるうちは上がる目もある。声が出なくなったらもっと悲しい。かっこ悪くてもいいじゃない。

きょうの写真は今年の冬に撮影した渋谷を俯きながら歩く女性
R-D1+Nokton35mmF1.2
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いただきます

2006年07月11日 16時02分23秒 | GR28mmF2.8
arcticcharさんの書き込みを拝見して、方言のところを読んで思いついたことを書きます。


日本語の乱れを話してきたが、乱れとは別の地域的な言い回しというものがある。

ぼくの地方では、「いただきます」と言って御飯を頂き、「いただきました」という言葉で箸を置く。
「行って来ます」と言って出かけて、「行って来ました」という言葉で帰宅する。
ぼくはこれが普通じゃないかとずっと思っていた。
「ただいま」は「ただいま帰りました」あるいは「ただいま行って来ました」の前半だけが残ったものである。
ちなみに「もしもし」は土佐弁か薩摩弁の「申す申す」という話し始めの言葉が変形してもしもしになった。つまり「わたくしが申す」という言葉の省略形だと思われる。
これが東京の人間だったら違う言葉になっていたかもしれない。

こんなことを考えているぼくは変でしょうか・・・・


今日の写真はR-D1+GR28F2.8
コメント (6)
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