萩元晴彦さんは地元の出身のプロデューサーで、もう亡くなられましたが音楽をこの地に根付かせようとしてくれた方。
このコンサートは今年で15回目だ。
コピペですが
飯田市馬場町に生れました。1953年(昭和28)、早稲田大学ロシア文学科を卒業して、ラジオ東京(現TBS)に入社しました。翌年に制作した番組、「神これを癒し給う―心臓外科手術の記録―」が、民放祭番組コンクールラジオ教養部門で、第1位の郵政大臣賞を受けました。1971年(昭和46)に、TBS社員と共にテレビマンユニオンを創立し、初代社長に就任して、日本で最初の3時間ドラマ「海は甦る」を制作しました。その後、サントリーホール初代総合プロデューサー・カザルスホールのプロデューサーを勤めて、小澤征爾・カラヤン等と共に活動を行い、1998年(平成10)には、長野冬季オリンピックの開・閉会式のプロデュースを担当しました。
という経歴の方。
斎藤秀雄先生のメモリアルコンサートが1984年に松本で開催されたのがサイトウキネンの発端となったが、これを企画しドキュメント番組としたのが萩元さんだった。
サイトウキネンが松本で開催されたのは鈴木メソッドの発祥の地であったことや、ホールがあったことや萩元さんが松本深志高校の卒業であったことも影響しているのではないかと思われる。
萩元さんは小澤先生とN響のことや、その後の海外での活躍を追いかけて取材をしながらバックアップをした方で、古い傷のような歴史を知っていた人だと思う。
古い話はさておき、今年のコンサートの演奏者は宮田大さん(チェロ)、田村響さん(ピアノ)、守屋剛志(ヴァイオリン)。
5年前にも宮田さんは同じホールで演奏されている。
もう10数年前に小澤先生と桐朋の学生のオーケストラとロストロポービッチ氏がこの片田舎でコンサートをした。
そのロストロポービッチチェロコンクールの2009年の優勝者が宮田さん。(4年に1度の開催)
彼のチェロは斉藤秀雄先生愛用のチェロ。
今年1月の水戸室内管弦楽団が指揮者小澤征爾、ソリスト宮田大という顔合わせでハイドンのチェロ協奏曲1番ハ長調を演奏した。
サイトウキネンでも今年は指揮をしない小澤先生なので、とても貴重な演奏なのだ。
小澤先生は先日桐朋の礎を作られた吉田秀和氏の追悼でタクトを振ったが、ソリストを招いての演奏者としては宮田さんが最も最近の方となっていると思う。
この曲は十数年前に小澤征爾とロストロポービッチの演奏で聴いた曲。彼らの深い因縁のようなものを感じた。
S.ラフマニノフ
ピアノ三重奏曲 第1番 ト短調「悲しみの三重奏曲」Op.49
G.フォーレ
ピアノ三重奏曲 ニ短調 Op.120
L.V.ベートーヴェン
ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調「大公」Op.97
アンコール
S.ラフマニノフ
How fair this spot!!
素晴らしい演奏会だった。
同世代の20代の若者たちの才能と若さが迸っていた。
SIGMA DP2
増水した保津川にラフトを戻す作業を撮影。
写真に見える対岸も土砂崩れしている。数時間前までは下の広場も完全に水没していたようだ。
このコンサートは今年で15回目だ。
コピペですが
飯田市馬場町に生れました。1953年(昭和28)、早稲田大学ロシア文学科を卒業して、ラジオ東京(現TBS)に入社しました。翌年に制作した番組、「神これを癒し給う―心臓外科手術の記録―」が、民放祭番組コンクールラジオ教養部門で、第1位の郵政大臣賞を受けました。1971年(昭和46)に、TBS社員と共にテレビマンユニオンを創立し、初代社長に就任して、日本で最初の3時間ドラマ「海は甦る」を制作しました。その後、サントリーホール初代総合プロデューサー・カザルスホールのプロデューサーを勤めて、小澤征爾・カラヤン等と共に活動を行い、1998年(平成10)には、長野冬季オリンピックの開・閉会式のプロデュースを担当しました。
という経歴の方。
斎藤秀雄先生のメモリアルコンサートが1984年に松本で開催されたのがサイトウキネンの発端となったが、これを企画しドキュメント番組としたのが萩元さんだった。
サイトウキネンが松本で開催されたのは鈴木メソッドの発祥の地であったことや、ホールがあったことや萩元さんが松本深志高校の卒業であったことも影響しているのではないかと思われる。
萩元さんは小澤先生とN響のことや、その後の海外での活躍を追いかけて取材をしながらバックアップをした方で、古い傷のような歴史を知っていた人だと思う。
古い話はさておき、今年のコンサートの演奏者は宮田大さん(チェロ)、田村響さん(ピアノ)、守屋剛志(ヴァイオリン)。
5年前にも宮田さんは同じホールで演奏されている。
もう10数年前に小澤先生と桐朋の学生のオーケストラとロストロポービッチ氏がこの片田舎でコンサートをした。
そのロストロポービッチチェロコンクールの2009年の優勝者が宮田さん。(4年に1度の開催)
彼のチェロは斉藤秀雄先生愛用のチェロ。
今年1月の水戸室内管弦楽団が指揮者小澤征爾、ソリスト宮田大という顔合わせでハイドンのチェロ協奏曲1番ハ長調を演奏した。
サイトウキネンでも今年は指揮をしない小澤先生なので、とても貴重な演奏なのだ。
小澤先生は先日桐朋の礎を作られた吉田秀和氏の追悼でタクトを振ったが、ソリストを招いての演奏者としては宮田さんが最も最近の方となっていると思う。
この曲は十数年前に小澤征爾とロストロポービッチの演奏で聴いた曲。彼らの深い因縁のようなものを感じた。
S.ラフマニノフ
ピアノ三重奏曲 第1番 ト短調「悲しみの三重奏曲」Op.49
G.フォーレ
ピアノ三重奏曲 ニ短調 Op.120
L.V.ベートーヴェン
ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調「大公」Op.97
アンコール
S.ラフマニノフ
How fair this spot!!
素晴らしい演奏会だった。
同世代の20代の若者たちの才能と若さが迸っていた。
SIGMA DP2
増水した保津川にラフトを戻す作業を撮影。
写真に見える対岸も土砂崩れしている。数時間前までは下の広場も完全に水没していたようだ。
小澤さんもいつまでも指揮できると思っていたのですが
なかなかそうはいかないものですね。
最近、コンサートに行っていません。
先人の功績が受け継がれていくことの大切さを感じます。
サイトウキネン、一度行ってみたいです。
それにしても小澤さんの若手を見つけ、伸ばす力は素晴らしい。
小澤さんと村上春樹さんの対談にあった、小澤征爾スイス国際音楽アカデミーのエピソードを改めて思い返しています。
若手の力を引き出すのに何が必要か。それは技術だけではなく、志とか、何に注目するのかという「気持ち」の問題ですよね。
大津の事件報道を見ていて、学校側に決定的に欠けているのも、この「気持ち」だと思います。
私も学校にはいい思い出がないので、ついそう感じてしまいます。
おはようゴザイマス!!
人の命って儚いですね。夢と希望を持って何かをしたい気持ちはありますが
なかなか上手くいかないモノです。人の業績って残念ながらなくなった後で
その人の偉大さや功績に築いたり注目されたり....。↑の方も記載されてるけ
ど、伝えていくべき・受け継がれていくべきものは技術ではなくて気持ちや情
熱なのでしょうね。
僕の中の小澤さんは飛び跳ねるように指揮をする姿ですが、最近は悲壮感漂うほど壮絶な指揮になっています。
コンサートは行くぞと気合を入れないとなかなか行けませんよね。
松本はいい演奏家が集うのでその気になればいつでも行けますね。
サイトウキネンは機会があれば是非行ってみて下さい。
演奏もいいですが、会場のスタッフが素晴らしいです。
できれば車でない方法で。
開場前からお酒なども出ます。
長野県はサイトウキネンに限らず各地で歴史ある音楽イベントが多いです。
宮田さんの経歴などをご覧いただくとわかると思いますが、素晴らしい経歴です。
CDはまだ1枚しかないのですが、演奏を聴けば説明の必要がない人でした。
このまま育てば世界的な演奏家になっていくと思います。
小澤征爾スイス国際音楽アカデミーのことですが、人はその時間ではなく環境と人で一気に花開いていくいい例ですよね。
小澤さんがカラヤンのところにいた期間もたしか2年半程度だったと思うのですが、その経験が一生を左右するほどに大きかったのですから。
あのアカデミーに行くだけの努力と才能のある若者たちも、その短い経験で一回り大きな演奏家になっていくのでしょうね。
この人から学ぼうという貪欲さと謙虚な姿勢と、教え込みたいものがある人がいれば、道を反れることなんてないのです。
人の命は儚いものですよね。
今回の萩元さんのコンサートで思ったのは、儚いけれどいきざまってのはずっと残るんだということです。
生前の斉藤秀雄メモリアルなどへの熱い情熱を注いだ姿はその人がいなくなっても引き継ごうと思わせるだけのものがあったということですものね。
誰かの記憶に残っていく人になることは稀有なことですが、そうなれることは素晴らしいです。
クラシックは好きなのですが、あまりというか
全然明るくないので分かりませんが・・・
一度じっくりと生で聞いてみたくなりました。
僕もあまり詳しくないんです。
作曲家や演奏家のバックボーンがわかればより楽しめるんじゃないかと思ってはいます。結構知らないことだらけです。もともと歴史とか苦手でした。