
我が家の玄関を出たところにある稲田に水が張られ先週末田植えが終わった。
煩いほどに毎夜蛙が鳴いている。
夜帰宅してガレージに車を納めて玄関まで歩くと、大抵一度や二度はちゃぽーんと蛙が飛び込む音がする。
蛙といえば・・・
昨日友人の会社に寄ったらそこの取引先の地元の若者が仕事で立ち寄った。
話をしていたら僕が20年ほど前にカヌーを教えた子だった。
その話から灼熱の時期に川で遊んでいるときに太陽の熱で焼けた河原の石に、潜って捕まえた川魚を乗せてしばらく放置しておいて食べるという話題になった。
魚以外に蛙も皮をむいて食べたというところで、僕より年上の取引先の社長も若い頃食べたと相槌。
そういう人たちと会うと、僕はなんてアーバンでじぇんとるなんだと訳のわからん英単語を並べてみたくなる。
僕は大人しい少年だったので蛙の口に爆竹突っ込んで空き缶被せたり、薄の葉でオペと称してアマガエルを割いてみたりした程度でいたずらのうちにも入らない。
トンボの尻尾に糸をつけて鵜飼まがいに持っていたりはしたが、彼らは爆竹を縛り付けて空中爆発させていたらしい。
悪さ自慢が次々と出て尽きなかったが、次の打合せがあり移動した。
Leica M9-P + summilux 35mmF1.4asph
工芸の5月 クラフトフェアまつもとにて。
煩いほどに毎夜蛙が鳴いている。
夜帰宅してガレージに車を納めて玄関まで歩くと、大抵一度や二度はちゃぽーんと蛙が飛び込む音がする。
蛙といえば・・・
昨日友人の会社に寄ったらそこの取引先の地元の若者が仕事で立ち寄った。
話をしていたら僕が20年ほど前にカヌーを教えた子だった。
その話から灼熱の時期に川で遊んでいるときに太陽の熱で焼けた河原の石に、潜って捕まえた川魚を乗せてしばらく放置しておいて食べるという話題になった。
魚以外に蛙も皮をむいて食べたというところで、僕より年上の取引先の社長も若い頃食べたと相槌。
そういう人たちと会うと、僕はなんてアーバンでじぇんとるなんだと訳のわからん英単語を並べてみたくなる。
僕は大人しい少年だったので蛙の口に爆竹突っ込んで空き缶被せたり、薄の葉でオペと称してアマガエルを割いてみたりした程度でいたずらのうちにも入らない。
トンボの尻尾に糸をつけて鵜飼まがいに持っていたりはしたが、彼らは爆竹を縛り付けて空中爆発させていたらしい。
悪さ自慢が次々と出て尽きなかったが、次の打合せがあり移動した。
Leica M9-P + summilux 35mmF1.4asph
工芸の5月 クラフトフェアまつもとにて。
なんだかすごい話です。
mintonさんの話もすごいですが.....。
この質感描写、ライカならではですね。
大概はいつの間にか怖くなって、やめますよね。
この経験がない大人が…です。
そういう事があると
時の流れを余計に感じますね。
毎年毎年の繰り返し。
かえるの声を長く聞いていません。
昔は蛙の音がうるさい位していましたが
最近は静かです
蛙の音、夜の素敵なBGMでした
子供の頃ってなんであんなに残酷なことを平気でできたのだろうかと思います。
蛙は遊び道具でみつけたらとりあえず手にとるというように、まるでデパートの商品選びのような感覚でおりました。
アマガエルは可愛い友達のような感じで愛でていながらも残酷でありました。
ライカならでは。おっしゃるとおりだと思います。
子供の頃は純粋でありながら残酷でした。
飼っていためだかやアゲハの幼虫が死んだら悲しくて打ちひしがれるのに、蛙を殺したり。でもそれが空しく哀れな行動だということに気づく時が来るんですよね。人と喧嘩もしました。
そういう手の痛みや心の痛みなどが、大人になってからの、行動のストッパーになっているような気がします。
田舎に住んでいるとクリスマスの時期にジングルベルが聞こえることもないのですが、池が凍ったり果樹の花が咲いたり田植えがあったりと生活に密着した中で季節を感じられます。
それは田舎暮らしの特権のようなもんだと思っています。
毎日毎日夜な夜な聞こえるこの大合唱を都会の真ん中にお届けしたいです。^^
そちらでは少しずつ蛙が減っているんですね。
もしかしたらこちらも減っているのかもしれないです。
以前は玄関前に蛍も飛んでいましたが、最近見かけませんし、道路には車に轢かれて潰れた沢蟹も見ることができましたが、このところみかけておりません。
日本中少しずつ自然が壊れているんでしょうか。
一生ワイルドに遊べない人っていますが、地べたに座って草を食べるようなことがなんということもなくできるってのは、アウトドアスポーツをしてこその感覚ですね。
一生のうちのどこかで経験ができればいいと思います。