CubとSRと

ただの日記

リサイクルショップ

2019年10月02日 | 日々の暮らし
 9月26日の日記
 昨晩、9時過ぎに散歩に出た。
 太腿の張りはない。
 帰って来てみると、今度はふくらはぎ(左足)と向う脛(右足)が、痺れが切れたように痛い。
 横断歩道を駆け足で渡ると、腰から下に鉛をぶら下げたような感じで、脚がこれまでの数倍の重さになったような気がする。
 昔、「老化体験ベスト」(?)を着たことがある。
 異常に重いとは思ったが、足腰が痛いわけではなかったから
 「バランスは悪いが言うほどのものじゃないな」
 と思っただけだった。早い話がどうってことはない。
 けど、
 「筋力が、痛み(又は痺れが切れた感じ)のためにその力を十分に発揮できなかったら?」
 、というところまでは考えが至らなかった。
 まさかの、65近くになってからの、突然の腰痛。付随して腿、脚、足でのゲリラ的な痛みの発症。
 ここに至って、やっと老化というものに目を向けざるを得なくなった。
 
 今日は、昨晩のふくらはぎ(左足)と向う脛(右足)の疲れは、痛みとしては残っていない。
 けれど、脚・腰の痛いのは相変わらず。
 それらの文句を言ってるだけじゃ何も始まらないから、これからは気がつけばその場でストレッチ、屈伸運動をやり続けることにする。
 この歳になるまで使って来た身体だ、メンテナンスをしてたって草臥れて来るのは当たり前。手入れをしてなかったからって「だからしょうがない」、と諦めているわけにはいかない。それなりに動き続けるようにしなければ。

 草臥れたと言えば、昨晩、散歩の途中でリサイクルショップを覗いたんだった。
 「カブに乗る時に合いそうなジャケットはないか」。
 数か月前から機会があれば行ってみようと思っていた店だった。
 合いそうなジャケットは数点あった。
 だが、それなりに草臥れていて(当たり前か)、洗濯もしないで出した品物も多いのだろう、時折り汗のにおいが鼻を衝く。
 そんなでも定価の半分くらいで売られている。勿論洗えば済むことだ。自身、他人が着ていたって気にならない。
 ただ、カブとは言え、立派なバイク。バイク用ジャケットは普通の街着とは違う。
 守備範囲の広いカブだけど、バイクであることに変わりはないから、選べる範囲は限られる。
 例えば袖口。調節できるか、絞ってあるか。で、ないと袖口から季節の風が吹き込んで、ジャケットの意味をなさなくなる。
 前合わせはジッパーで、必ず深い重ねが必要だ。でなければ、胸・腹が冷えて一気に体温が下がる。
 首回りはもっと大変だ。重ね着をして下のシャツを見せるのは、バイクではあまり意味がない。意味がない以上に袖口と同じく首回りが冷えて身体が硬くなる。それは事故に直結する。
 リサイクルショップの衣類も、自身の身体も、ともに草臥れている。
 初めはそれなりに大事にしよう、とか鍛えよう、とかしてきた。
 その気持ちがだんだん薄れて、バテて来たら「処分しよう」とか「もう歳だから」、と諦める。
 衣類はリサイクルで掘り出し物があるかもしれないが、身体の替わりは売ってない。
 
 

コメント
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