長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

413.『コロナ禍の中、ハマっていること』その二・伝説のJAZZマン

2020-09-05 18:35:32 | JAZZ・ジャズ
前回に引き続き、半年を過ぎたコロナ禍の中でハマっていることの第二弾である。

僕がモダン・ジャズを聴き始めて44年が経った。高校二年の春頃、座席が前後だった友人(以後、仮にK君とする)に半端ではない「ジャズ通」がいた。当時の高校生がレコード(LPの時代)で聴いている音楽と言えば,その多くが軽音楽のフォークかハード・ロック、あるいはポップスだったので、このK君の存在は興味深かった。少しだけジャズに興味を持ち始めていた僕はこのことを知っていたので、ある日の休み時間にK氏に思い切って尋ねてみた「ねぇ、モダン・ジャズを聴くなら何から聴けばいい?お薦めのLPを教えてよ」。すると「解った」と一言。翌日には大きな手提げいっぱいにLPを持って来てくれた。「これ長島に全部貸すから聴いてみて、気に入ったらテープにダビングしてみてよ」と気前よく大切なコレクションの1部を貸してくれた。20枚以上はあったと思う。マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、アート・ブレイキー、ミルト・ジャクソン、キャノンボール・アダレイ、…そしてフリー・ジャズのセシル・テイラーなんて難解なジャズまで入っていた。そして自宅に大切に持ち帰って片っ端から無我夢中で聴きまくった。「こんな音楽あったのかぁ…何か大人の世界に1歩入れたみたいだな」そしてハマった。ビギナーズ・ラックである。

この日以来、ずっとモダン・ジャズを聴き続けてきた。コロナになってまず音楽で思ったのは好きなジャズを「まとめ聴き」すること。引きこもりには打ってつけの音楽である。しかし、ただ聴くのでは面白くない。何かテーマを決めて聴こうと考えた(真面目だなぁ)。思いついたのは以前から気になっていた「ジャズ・レジェンド」。その定義はこうである「ジャズマンにとって伝説とは?才能やテクニックが優れていても何某かの理由により演奏活動ができなくなってしまったプレーヤーたち」そしてその目安としては残されたリーダー作品(アルバム)が1枚以上、10枚程度を目安として選出して聴いていくこととした。

自分のコレクション、ジャズの専門書、ネットなどを通して調べ始めていくと、この基準に当てはまるジャズ・メンが、居るは居るは…あっという間に20人以上が選出できた。そのほとんどは1950年代~1970年代の初めに集中していた。そして演奏活動を続けられなくなってしまった理由というのが、また十人十色なのである。例えば、天才奏者として鳴り物入りでデビューし、将来を期待されながらも不慮の事故や病気等で惜しまれつつも早世してしまったジャズマン、ハードな演奏活動に耐え切れず中途挫折してしまったジャズマン、契約したレコード会社の企画内容が自分の表現と合わずに失望し辞めてしまったジャズマン、ジャズの演奏以外にもさまざまな能力があり他の仕事に転職してしまったジャズマン、評論家先生のセクハラに遭い引退してしまったジャズウーマン…等々、いやはや調べだすと実に様々な理由があり、奥が深い。そして思い浮かべるとその理由などは小説家や詩人等の文学者や画家・彫刻家等の芸術家のレジェンドとも共通した部分が多く興味の尽きることがなかった。

という訳で自分のコレクション+持っていなかったジャズマンのアルバムはAmazon等のネット・ショップで購入して聴いた。しかしこうした謂わばマニアックで希少なアルバムは現在CDであっても廃盤となってしまっており、中古で入手したものがほとんどであった。ようやく手に入れたその『伝説のジャズマン』たちの極上の1枚を工房に籠もって聴いていると、なんともしみじみとして感慨深い感情が沸いてくるのである。そしてその音の背後にある情念のようなものまで聴き取れるような気がしてくるのだった。

画像はトップが『伝説のジャズマン』のアルバム・ジャケットの1枚。下が同じくアルバム・ジャケット4枚。


         


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1 コメント

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いつもありがとうございます。 (uccello)
2020-09-19 18:52:09
ブロガーのみなさん、いつもマイブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。リアクションしていただいた方々、感謝いたします。
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