そよ風つうしん

小さな自然の発見をご紹介してきましたが、転居で環境が激変。内容を一部変更し日々の雑感を綴ったりもしています

友田明美さんのこと

2023年02月13日 | 心に残っている言葉
記事を投稿すると「続き希望」と記入される方が、よくいらっしゃいます。
難しいことなのでなかなかご希望にお応えできないでいるのですが、今回は、先日の記事にご紹介した「友田明美さん」のことをすこし書かせていただきましょう。ご参考になるかもと思いますので。

友田さんは大学を卒業後、医師の仕事をしながら二人のお子さんを育てておられました。
研修医として当直をしていたある夜、ひどい虐待を受けて救急救命センターに運び込まれてきた少年の命を結果的に救うことが出来なかった事に、医師としての無力感をかみしめます。

そんなある日、仕事を終えて疲れ果てて帰宅してきた時、一緒に居た小学校一年生のお子さんが、家の鍵を道の側溝に落しました。
疲れてぐったりしていた友田さんは、思わず「ダメじゃないの」と大きな声を上げ、お子さんの頭を小突きます。その夜、お子さんの寝顔を見ながら反省したけれど、親としての自分が問われる日々でした。

転機は2003年。最先端の脳科学の研究をしようと米国に留学、虐待が脳に与える影響についての研究に携わりました。
そして、虐待の経験のある人と無い人との脳を比べると、暴力や暴言、家庭内暴力の目撃など大人の不適切な関わりによって子どもの脳が変形するという衝撃的な結果を発見されます。

以来、虐待のもたらす重大な結果を伝えると同時に、虐待を防ぎ、その影響を最小限にするのが、自分の使命だと思い定めました。

研究のかたわら、全国から訪ねてくる親子を診察、じっくり話を聞き、時には親の治療もされます。
「臨床で診ていると、親も一生懸命で、よかれと思ってから周りしている。子育てのストレスの無い親はいない。親の持つ子育ての困難感をとらないといけない」と力説。
また「今は子どもをまもるだけでは済みません。親を支援しなくては。同時に、どんなことがあっても体罰はダメだという認識を社会で共有する必要があります」

自らが迷い、悩んだ子育ての体験と科学的な研究に裏打ちされた言葉を、社会に、親たちに届ける活動を、今も続けておられます。

(朝日新聞 2018年5月26日 朝刊 より引用 文意を崩さぬよう注意の上、私の言葉で書いている部分があります)

どんなに子どもを愛していても、自分も疲れ果てているとき親は、つい大きな声をだしたり、時には手が出たりもします。
そして子どもの寝顔を診ては反省し、至らぬ親であることに絶望もします。
そんな親の気持ちを経験されたことのある友田さんが居てくださり出会えたことは、私にとっても大きな救いでした。


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写真は、早春の雨上りの草むらで、朝日を浴びて輝く水滴です。
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再び、日野原先生のご本より

2022年08月19日 | 心に残っている言葉
先日と同じく『続 生き方上手』より。

>(人から傷つけられたとき)私たちは生き方を試されているのです。
相手を憎んだり、仕返しをしたり、相手が自分の思うとおりに変わることを一方的に望むより、
まず自分がどれだけ人間らしい行動を選択できるかが試されている。
それは相手から受けた傷を、自分自身の成長の糧に変えられるかどうかということでもあります。

なかなか難しいことではありますが、この文章を読んで以来、何事も自分の成長につなげて行くことが出来たら、積もり積もっていつか、かなりの結果につながっていくのだと、自分に言い聞かせています。


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写真は、遠い日の夏に出会った小さな虹!
不思議な事に、この部分だけ雨が降っていたのでしょうか?
入道雲の形がシロクマに見えて、小さな虹を吹き出しているようだわ♪ と思ったのを思い出します。


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ヒラメキのもとになるもの

2022年05月19日 | 心に残っている言葉
「ひらめき」に関するNHKの番組での、山中伸弥さんの言葉より。

その時は特に目的がなくても、多くの知識を仕込んでおくと、ずっと先になって何か考えが行き詰ったときに、突然「ひらめき」となって表れて助けてくれるものです。

これってほんとにそうだと思います。
読書や講演やTV番組などから仕入れた知識が、何かの時にぱっと浮かんできて、行き詰っていた思考が開けて救われるということが、ありますね!

私は、忘れっぽいので、そういう仕込んだ知識は、必ずメモに書き残すようにしています。
そして、時折読み返していると記憶にも残りやすいような気がします。

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写真は、雨上がりのエノコログサに残っていた、雨の名残の一粒です。
雨があがると、すぐに消えてしまうので、急いでみつけて写しました。


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人生に無駄な経験など一つも無い

2022年05月14日 | 心に残っている言葉
先日のブログの文章の続きになるでしょうか・・・

古いものですが2000年2月22日 朝日新聞夕刊の「追憶のカルテ」というコラムの切り抜きが手元にあります。
河野博臣さんという外科医が書かれた言葉が、切り抜きは色あせていますが内容は今も胸を打ちます。

その記事よりもさらに40年も以前の事。
いつものように、妻と二人の娘に見送られて河野さんは出勤なさいました。
ところが、それから一時間もしないうちに、次女が電車にはねられたという知らせが届きます。

それからの過酷な日々を、河野さんは耐えに耐えましたが、耐えきれずに心を病みます。
高名な精神分析家の精神分析を受けること5年におよび、ようやく「娘の死は私の死である」ことを理解なさいます。

>私の死。それは若い外科医として慢心し、がん患者が死んでいくのを見送りながら、それも医学的には当然と思い込み、患者、家族の苦しみを共感しようとしなかった自分を思い改める、ということだった。つまり私は予期しない娘の死に遭遇してみて、初めて患者と家族の想像を超す苦しみが分かるようになったのだ。
そのことに気づき、私は自らの道が開けたような気がした。そして救われた。まるで娘が、お父さんは人間として、医師として、患者さんに奉仕しなさい、といってくれたように思えたのだ。

やがて河野さんはガンにかかります。ずいぶん以前のことですから、それは死の宣告のようであったことでしょう。

娘さんを亡くされた直後に、牧師さんがおっしゃった「神のなさることはいつも時にかなって美しい」という言葉が、河野さんのお心にすとんと落ちるまで、長い年月がかかりましたが、
今回ご自分に病を得られて、その言葉を再度受け入れる決心をなさいます。

>患者になって苦悩を実際に味わってみよとの使命を与えられたのだとも感じている。
その使命を果たすことが、娘の死にこたえることにもなるとも思うのだ。

このようにコラムは結ばれています。

人生には無駄な経験はなに一つ無い」ということをしみじみと感じさせてくださるコラムでした。
こんな大きな深い悲しみも、苦しみつつ人生に活かす知恵が人にはあるのだと、深く感動したことを思い出します。その想いは、それからの時間の中で耐えがたいと思える苦しみに出会ったときに、私の心を支えてくれました。


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写真は、以前見晴らしの良いところに住んでいたときに見た、タンジェントアークです。
薄いですが太陽柱も見えています。
そこに住んでいた頃は、おりおりにこんな自然現象が心を癒してくれたものでした。
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末盛千枝子さんの著書より

2022年04月30日 | 心に残っている言葉
『ことばのともしび』(新教出版社・2013)
年をとることのすばらしさの一つは、いろいろな経験が、特に苦しく悲しい経験が、結局は自分を育ててきたという実感を持てることではないかと思います。

著者は、配偶者との死別、幼い2人の子どもを抱えながらの絵本編集者としての生活、ご子息の難病と障害など、たくさんのご苦労を生き抜いてこられました。
その暮らしの中で感じた多くのことを通じて、今あるご自分をみつめて、書かれているご本です。

どの著書を拝見しても感じる温かさは、たくさんの苦しみや悲しみが育て上げたものであると、しみじみと感じます。

多くの有名人が「人生に無駄な経験は一つもない」とおっしゃっています。
年を取ると、本当にそうだと、自信をもって言えるようになりますね


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写真は、葉をすっかり落とした裸木の梢に輝く環天頂アークの姿です。
少し画面を暗く調整してありますが、大阪府枚方市に暮らしていたころのある夕方、見上げた空に見えていました。
思わずご近所の方々を呼び出して、みんなで見上げました。
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福岡伸一さんの言葉より

2022年04月24日 | 心に残っている言葉
コラム「福岡伸一の動的平衡」より筆者の言葉を。
<北斗八星かそけき光>(朝日新聞 2017/5/18 )

>ああ、自然界にあるすべてのものが、くっきりとした輪郭をもって見えていた少年の頃がなつかしい。
そのかわり、年齢とともに、せめて、見えざるものに思いをはせる思索の深度が、いくばくか深まったと思いたい。


この言葉は、少しご高齢な方々なら実感を持ってお読みになったのでは、ないでしょうか?

私も、そうでした。
何歳頃からでしょうか・・・月や星等を見上げたときに、若い頃のように、すっきりした輪郭で見えなくなってきたと感じて、ひどくガッカリしたことでした。

けれども、福岡先生には遠く及びませんが、「見えざるもの」を考えるときには、若い頃よりは多少なりとも深く考えられると、かくありたいという希望と共にささやかですが感じています。


<北斗八星?>
北斗七星のひしゃくの柄の下から2番目にある「ミザール」という星は、そのすぐ近くに
「アルコル」という4等星があります。アルコルはアラビア語で「かすかなもの」と言う意味です。

今のように夜空が明るいと、都会の夜空で肉眼では見えないかもですが、私が若い頃には見えていました。
福岡先生もきっとご覧になっていたのでしょう。

それも、今では思い出の中の一つになってしまいました。

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長島選手のステキな言葉

2022年04月06日 | 心に残っている言葉
昔、まだ長島選手が現役だった頃。
シンガーソングライターのさだまさしの『坂の途中で』という本を読んだ時のメモに、長島選手と、さだまさしのこんな言葉がありました。
さださんは、長島選手のことを「僕の神様」と言っていたくらい尊敬していました。

引用します。

>「さださん、私はたった一つ自慢出来ることがあります。私はグラウンドで一度も手抜きをしなかった」
「五万大観衆の中には一生にたった一度だけ、長島に会いに来てくれる人がいる。その人の前で手抜きなんて出来ない」
「結果は良い時もあれば、悪い時もある。だが、自分は一生懸命やるということで自分を許していた」

以下は、さださんの言葉です。
>僕はそんな神様のセリフに涙をこらえられなかった.やっぱり、この人を尊敬してよかったと思った。結果ではなく、自分はベストを尽くしたか? これが男の勝負のすべてだと、その時に改めて確信したのだった。

これは、男だけでなく全ての人間に当てはまるのではないでしょうか?


私はグレープ時代から、さださんのファンでした。
とことん辛いとき、どれだけさださんの唄に励まされてきたことでしょう。
さださんの唄をきいていると、こらえていた涙がどっとあふれて、その涙と共に悲しみや苦しみが流れ去るのです。

長島さんも、さださんも、いい人だな~~と、改めてしみじみと想いました。


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写真は、ガガイモの種が風に乗って飛んで行くところです。
気持ち良さそうでしょう?
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いじめをとめるのは やさしい心

2022年04月02日 | 心に残っている言葉
新年度が始まりました。 新しい生活が始まって張り切っている人も、たくさんいることでしょう。

学校はまだ春休み。
春休みが終らないと良いのに・・・と心の底から思っている子供たちが居るはず。
来週には始まる新学期。
辛いだろうなあ~~

ずっと前に読んだ新聞の書評欄(96年1月14日 朝日新聞)より、引用します。
『いじめ』(たくま・たけとし著 サイエンス社刊)についての米沢富美子さんによる紹介記事より。

>本書の第2部では、いじめの問題をどのように考えるべきかが解説されている。
いじめを止めるのはやさしい心、そしてその「やさしい心が発達するためには身近にやさしい心」をもった人がいることが必要というくだりは、当たり前だけど実は大人だってそうなのだと、感銘深く思った。親も子供も先生も、一読に値する本である。>

いじめをする人は、たいてい自分より弱いものに当たることで、日頃の鬱憤を吐き出しているのですよね・・・
いじめる人(子)こそ、愛を求めているのかも?
先生も親も、そのことをもう一度切実な問題として考えていただけないでしょうか?

本当に「やさしい心」とは?
私自身もいま考え込んでいるところです。

えせ優しさは、そこいらへんにいっぱい転がっているし、自分も持ちやすいけれど、本物のそれとなると、かなりの心の大きさ深さがないと、なかなか難しいですよね。
私はどうなんだろう? 肝に銘じて生きて行かなければ!


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写真は、近く土手で見付けた寄り添うツクシです!
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生きているのが奇跡のような日々のなかで

2022年03月24日 | 心に残っている言葉
コロナに疲れていたら戦争が始まり、どちらも終りそうにありません。
そして北朝鮮もなんだか不穏で。

そんな中で、当ブログは17歳になりました。紆余曲折の内容ですが、見に来てくださる皆さまに励まされて、えっちらおっちら、、、
心からのお礼を申しあげます。

さて今日のお話しです。少し長いですが、お読みいただけたらうれしいです。

自然であれ神であれ、ゆだねる相手をしっかりと信じることができれば、たとえ明日が人生最後の日だとしても、人は穏やかに、幸せに過すことができるのではないでしょうか。『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』小澤竹俊・アスコム刊

昔、母がある宗教の勉強をしていた頃、師と仰いでいた人のことです。
太平洋戦争まっただ中、お住まいだった大阪府堺市に大きな空襲がありました。
燃えさかる火の中を避難するしかなく、表に出ると多くの人が近くの川めざして走っていきます。
人波に飲み込まれて否応なくご自分も川へ!

泣き叫ぶ人々にもみくちゃになりながらも、一心にお経を唱えておられたそうです。
日蓮宗の方ですから、長いお経文のなかの一部を思い起こされました。

妙法蓮華経如来寿量品第十六にある >「大火所焼時 我此土安穏 天人常充満・・・」
(だいかしょうしょうじ がしどあんのん てんにんじょうじゅうまん)
の一節だったそうです。
大火事の中でも我の住むところは安穏で、そこには天人がたくさんいてとても安楽で安心であるよ、というような意味です。

なんじゃそれ、と言ってしまえばそれまでですが、固く信仰されている人の心の中では、この一節が大きな救いと安堵につながっていた事でしょう。

また、こんなことも。
第一室戸台風に襲われて、校舎が倒壊したウイルミナ女学院では、下敷きになった生徒たちの唄う賛美歌「主よみもとに近づかん」が流れていて、助けてあげることも出来ないままに次第に声が小さくなっていくのがとても辛かった、とその場に居合わせた方のお話しを聴いたことがあります。
この生徒たちも、体はとても苦しかったでしょうが、心は静かであったのではないかと想像します。

冒頭に書きました言葉から思い出したことなど、書いてみました。

特に宗教でなくとも、なにか自分の運命をゆだねられるものの存在を信じることは、心の平安のためによいかも、と騒がしい世相の中で考えています。

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写真は、近くの土手で見かけた、仲良しツクシです。ここは平和でした♪
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雙葉小学校の学校説明会で配布される資料より

2022年03月18日 | 心に残っている言葉
「親の祈り」

神様
もっと よい私にしてください。

子どものいうことを よく聞いてやり
心の疑問に 親切に答え
子どもを よく理解する私にしてください。
理由なく 子どもの心を傷つけることのないように
お助けください。

子どもの失敗を 笑ったり 怒ったりせず
子どもの小さい間違いには目を閉じて
良いところを見させてください。

良いところを 心から褒めてやり
伸ばしてやることができますように。

大人の判断や習慣で
子どもを しばることがないように
子どもが自分で判断し
自分で正しく行動していけるように
導く知恵をお与えください。
感情的に叱るのではなく
正しく注意してやれますように。

道理にかなった希望は できるかぎりかなえてやり
彼らのためにならないことは
やめさせることができますように。
どうぞ意地悪な気持ちを取り去ってください..
不平を言わないように助けてください。

こちらが間違った時には
きちんとあやまる勇気を与えてください。
いつも 穏やかな広い心を お与えください。

子どもといっしょに 成長させてください。
子どもが 心から私を尊敬し慕うことができるよう
子どもの愛と信頼にふさわしいものとしてください。

子どもも私も 神様によって生かされ
愛されていることを知り
他の人々の祝福となることが できますように。

この文はTwitterで知り、引用させていただきました。
キリスト教系の学校なので、親としてこうありたいという神さまへのお願いという形で書かれていますが、これは子どもからの親への切なる願いでもあるとも思います。

私の母は、かたくなに謝らない人だったので、子どもとしての私は、時に苦しみ口惜しい思いを
しました。
なので、以下の文には涙がこぼれました。母に見てもらいたかった、と。

>こちらが間違った時には
きちんとあやまる勇気を与えてください。
いつも 穏やかな広い心を お与えください。


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写真は、いま私の回りにたくさん咲いている野草、ノハラムラサキです。
ワスレナグサやキュウリグサの仲間です。
キュウリグサより一回りほど大きく、花の直径は4ミリほどあります。
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