そよ風つうしん

小さな自然の発見をご紹介してきましたが、転居で環境が激変。内容を一部変更し日々の雑感を綴ったりもしています

私の願い

2022年03月27日 | どんぐり屋のつぶやき
さすがにそろそろ疲れてきました。

コロナは先が見えないし、戦争もどうなるやら私には予想も出来ないし、北朝鮮からその気がなくても誤ってでもミサイルが飛んできたら?

考えすぎでしょうか?

心配性だよ! 考えすぎだよ! 
と言われても、これが私なんです。

でも、だからといって「疲れたから、恐いから、もう死にたい」とは言いません。
たしかに
高齢者になり体にも故障や痛みが多くて、生きている日々は確かに辛く、死んだら楽になるのかな?とふと考える事はあります。
でもこの命、自分の力で生きているわけではありません。
神さまなり天なりに生かされているのです。
「もう休んでも良いよ」と言われるまで、なんとしても生き抜かなくては!!

一人でもいい、誰かの役に立てるように努力しながら!
それは家族でなくても良い、
友達でなくてもいい、
見知らぬ、
行きずりの、
誰かでも良いのです。

一瞬でいいから、
誰かの心にささやかな灯火を差し出しつつ、
今日も生きたいのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真はウシハコベの花です。
普通のハコベより大きくて逞しい感じがします。
なかなか見つかりませんが・・・
花の中心にある花柱が、普通のミドリハコベなどでは3本ですが、ウシハコベのみ5本あります。
探してみませんか?
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生きているのが奇跡のような日々のなかで

2022年03月24日 | 心に残っている言葉
コロナに疲れていたら戦争が始まり、どちらも終りそうにありません。
そして北朝鮮もなんだか不穏で。

そんな中で、当ブログは17歳になりました。紆余曲折の内容ですが、見に来てくださる皆さまに励まされて、えっちらおっちら、、、
心からのお礼を申しあげます。

さて今日のお話しです。少し長いですが、お読みいただけたらうれしいです。

自然であれ神であれ、ゆだねる相手をしっかりと信じることができれば、たとえ明日が人生最後の日だとしても、人は穏やかに、幸せに過すことができるのではないでしょうか。『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』小澤竹俊・アスコム刊

昔、母がある宗教の勉強をしていた頃、師と仰いでいた人のことです。
太平洋戦争まっただ中、お住まいだった大阪府堺市に大きな空襲がありました。
燃えさかる火の中を避難するしかなく、表に出ると多くの人が近くの川めざして走っていきます。
人波に飲み込まれて否応なくご自分も川へ!

泣き叫ぶ人々にもみくちゃになりながらも、一心にお経を唱えておられたそうです。
日蓮宗の方ですから、長いお経文のなかの一部を思い起こされました。

妙法蓮華経如来寿量品第十六にある >「大火所焼時 我此土安穏 天人常充満・・・」
(だいかしょうしょうじ がしどあんのん てんにんじょうじゅうまん)
の一節だったそうです。
大火事の中でも我の住むところは安穏で、そこには天人がたくさんいてとても安楽で安心であるよ、というような意味です。

なんじゃそれ、と言ってしまえばそれまでですが、固く信仰されている人の心の中では、この一節が大きな救いと安堵につながっていた事でしょう。

また、こんなことも。
第一室戸台風に襲われて、校舎が倒壊したウイルミナ女学院では、下敷きになった生徒たちの唄う賛美歌「主よみもとに近づかん」が流れていて、助けてあげることも出来ないままに次第に声が小さくなっていくのがとても辛かった、とその場に居合わせた方のお話しを聴いたことがあります。
この生徒たちも、体はとても苦しかったでしょうが、心は静かであったのではないかと想像します。

冒頭に書きました言葉から思い出したことなど、書いてみました。

特に宗教でなくとも、なにか自分の運命をゆだねられるものの存在を信じることは、心の平安のためによいかも、と騒がしい世相の中で考えています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は、近くの土手で見かけた、仲良しツクシです。ここは平和でした♪
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雙葉小学校の学校説明会で配布される資料より

2022年03月18日 | 心に残っている言葉
「親の祈り」

神様
もっと よい私にしてください。

子どものいうことを よく聞いてやり
心の疑問に 親切に答え
子どもを よく理解する私にしてください。
理由なく 子どもの心を傷つけることのないように
お助けください。

子どもの失敗を 笑ったり 怒ったりせず
子どもの小さい間違いには目を閉じて
良いところを見させてください。

良いところを 心から褒めてやり
伸ばしてやることができますように。

大人の判断や習慣で
子どもを しばることがないように
子どもが自分で判断し
自分で正しく行動していけるように
導く知恵をお与えください。
感情的に叱るのではなく
正しく注意してやれますように。

道理にかなった希望は できるかぎりかなえてやり
彼らのためにならないことは
やめさせることができますように。
どうぞ意地悪な気持ちを取り去ってください..
不平を言わないように助けてください。

こちらが間違った時には
きちんとあやまる勇気を与えてください。
いつも 穏やかな広い心を お与えください。

子どもといっしょに 成長させてください。
子どもが 心から私を尊敬し慕うことができるよう
子どもの愛と信頼にふさわしいものとしてください。

子どもも私も 神様によって生かされ
愛されていることを知り
他の人々の祝福となることが できますように。

この文はTwitterで知り、引用させていただきました。
キリスト教系の学校なので、親としてこうありたいという神さまへのお願いという形で書かれていますが、これは子どもからの親への切なる願いでもあるとも思います。

私の母は、かたくなに謝らない人だったので、子どもとしての私は、時に苦しみ口惜しい思いを
しました。
なので、以下の文には涙がこぼれました。母に見てもらいたかった、と。

>こちらが間違った時には
きちんとあやまる勇気を与えてください。
いつも 穏やかな広い心を お与えください。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は、いま私の回りにたくさん咲いている野草、ノハラムラサキです。
ワスレナグサやキュウリグサの仲間です。
キュウリグサより一回りほど大きく、花の直径は4ミリほどあります。
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星の王子さま&北原白秋

2022年03月13日 | 心に残っている言葉
今日のタイトルをご覧になって???と思われた方は少なくないのでは?
実は私も、ちょっとこじつけかも、と思わなくもなかったのですが、「見る」ということについての大事な共通点があるような気がして、書いてみました。

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」 サン=テグジュペリ作『星の王子さま』の有名な(?)言葉です。

そして、北原白秋が歌に詠み込んでいる言葉「見つつ観ざりき」。

ちょっと意味が違うので、やっぱり無理かな~~

でもでもどちらの言葉も、心から気合いを入れて観ようとしないと、ほんとのところは見えないだよね~といってるのだと思うのです。

白秋の言葉は、時に身に沁みています。
知っていると思っていたことなのに、いざというときになって「あれ??」となり、実は正確には知っていなかったことに、仰天させられるのです。
ブログの記事を書いているときにも、驚くことがあります。
困ったものです・・・

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風の電話ボックス

2022年03月11日 | どんぐり屋のつぶやき
今日は誰の心にも、深い悲しみがよみがえる日。
何年経ってもけして忘れることのない日。
皆がそうなのですから、まして当事者の方々には、耐えがたい想いの日でしょう。

そんな深い悲しみを多少なりとも癒してくれる
風の電話」のこと、覚えていらっしゃいますか?

何度も 新聞紙上でも、このブログでも取り上げていますのでご記憶の方も多いことでしょう。

今朝の新聞(朝日)にも紹介されていました。

電話線のつながっていない電話機に、想いのたけを話すことで、すこし、あるいはかなり救われるということ。
ご存知なかった方は、「風の電話」で検索していただくと、私の過去記事も含めて、詳しい説明をご覧いただけます。

風の電話までは遠くて行けない方は、ノートを1冊用意してそこに想いを書き綴る事でも、ずいぶん救われるものです。お試し下さい。

心に深く想う人の魂は、その人の体が無くなってしまっても、想ってくれる人の中に生き続ける、それを「死後生」と呼ばれたのは、柳田邦男さんですね。

高校生の時に親友を自死で突然亡くして、心の持って行きどころが無くなった私は、ノートに想いを綴りながら、長い時間の後に、その人が残していった人生を共に生きようと決心しました。
「死後生」という言葉を知ったのは、比較的最近の事でしたが、同じように考えて下さる人の言葉がうれしかったです。

風の電話でお話をされた方々の多くも、「実際に相手が聴いていてくれると感じた」と仰っています。
そんな馬鹿なことがあるわけないやんかと思う人は、ある意味幸せな人生を歩んで来られたのでしょう。


私は、懐かしい人に聴いてもらえたと感じる方々に、深く深く共感するのです・・・
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とても困ったときに考えるべきこと

2022年03月08日 | 心に残っている言葉
困難(不幸)に直面して問うべきは
「なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか」ではなく「さて、どうするか」である。

『続 生き方上手』(日野原 重明 箸)より。

だいぶん若いときにこの本を読んだので、何度かこの言葉に救われました!

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写真は飛ぶ鳥のような雲が綺麗だったので。
春になると、こんな雲が見られるようになりますね♪


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苦しいときに、その人の本性が見える

2022年03月05日 | 心に残っている言葉
『人生の実力』(柏木哲夫著・幻冬舎)より

物事が順調に進んでいる時には、その人の本当の力は見えにくい。

つらい、悲しい、苦しい、やるせない状況、すなわち自分にとって不都合な状況になった時、どのような態度で与えられた状況に対処できるかで、その人の「人生の実力」が決まる。


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写真は、弦の渦巻きに溜まった雨水です。
弦の渦巻きの面積以上の水は溜められませんよね・・・



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少し長いですが

2022年03月01日 | 心に残っている言葉
ウエイン・W・ダイアーの『自分のための人生』(三笠書房)より。

 全てのことは考え方によってガラリと違って見えるものである。
例えば良い天気、悪い天気ということを、農家の人、運動会や祭り、ゆっくり読書をしたい人と立場を変えてみると、ある人には良い天気となり、別の人には悪い天気となる。
本質について考えると、実際には天気の良し悪しはないのである。

            

『いのちの言葉』日野原重明 (春秋社)より

人はえてして自分の不幸には敏感なもの。
誰しも幸福を望みますが、それを実感することに於いてはきわめて鈍感です。

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写真は、外来種のルリニワセキショウの、さらに改良(?)種だと思います。
とても綺麗でした。

 
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