かのアインシュタインがこんなことを言ったのだそうですね。
「
常識とは、人間が18歳までに集めた偏見のコレクションである」
まあ、ちょっと乱暴な発言だとは思いますが、まったくウソでもないでしょう。
幼い頃から、耳にしてきたたくさんの言葉や出来事の積み重ねが、ヒトの考え方のベースを作るというのは本当だと思うからです。
そして、うっかりすると自分の考えが絶対正しくて、違う部分は相手がおかしいのだなんて思い込んでしまいかねません。
たとえば結婚してまず戸惑うのは、相手とその実家の考え方や習慣の諸々です。
夫婦もそうですし、嫁と姑なんかも同じこと。
事あるごとに、相手がおかしいのだ間違ってるのだと思っていると、大喧嘩のくり返し
相手が許容範囲の広い人であれば、話し合いを繰り返しているうちに、自分たちの新しい文化をつくりあげていけますが、ひどく頑固であったりすると悲惨です。
もちろんそれは、こちらの側についても言えることですけどね。
世の中の色々な出来事についても同じで、「そうか、そういう考え方もあるな」と先ずは許したり、受け容れたり出来ると、気持ちが楽になります。
でも、自分の考えや気持ちにしがみついていると、とても苦しくてどうしようもなくなります。
まあ、事と次第によりけりではありますが・・・
いずれにしても、とにかく自分が正しくて相手が間違っていると決め付けると、なかなかしんどいことになります
少なくとも話し合いの余地を残しておかないとね。
かく申す私も、若い頃には絶対自分が正しいと思い込んで、悔し紛れに夫に「あなたの家族は絶対間違ってる、おかしいよ!」と言ったりしたことも有りました。
その結果は、お定まりの大喧嘩
「なんだよ、お前の方の親こそおかしいんじゃ~!!」ってね。
歳をとった今、あれは私が若くてアホやった・・・と反省していますが、いまや後の祭りです。
なので、嫁に対してはそんなことの無いように、心がけています。
イラッとしても、深呼吸してネ。
要は精神的な許容量の問題なんですね!
明らかに先方が違ってると思っても、「ああ、このヒトはこういう考えなんだな」と受け止められたら、後で落ち着いて話し合いも出来ようというものじゃありませんか。
結局は自分が楽なんですよ、人生得しなきゃ~ネ
(上の写真は、今年も咲いたギンスジツユクサ。こちらは昨日の大夕焼けです)
こんな夕焼けを見るたびに、親友をなくした日の夕方に父が詠んだ句を思い出して、胸が痛みます。
< 君逝きて 大夕焼けのただ虚し >