去年の春、息子は長く勤めていた職場から転勤を命じられた。
一生懸命に努力を積み重ねて働いてきたのに、それらのすべてが認められることなく、まったく違う職種への転勤、、、
私は、呆然自失状態になってしまった。
息子の一方ならぬ努力を知っていたから。
あれだけ頑張っても、一切認められないなんて、一体どういうことなの?
息子も同じ状態だったと思うが、
「それなりに考えてみると、努力の方向が違ったのだろう」と思うとつぶやいた。
そして夏。
遅まきながら息子は結婚して、独立した。
みんなは「おめでとう」と言ってくれたけれど、私にとっては大きな衝撃だった。
幼稚園からずっと作って来たお弁当を作ることが無くなり、
仕事場から持ち帰る泥だらけの衣類を洗うことも無くなり、
色々な生き物の愉しい話も聞けなくなってしまった。
どこかへ連れて行ってもらうということも、望めなくなった。
一人ではどこへも行けない私には、これはとても辛くて、不便なこと・・・今までが恵まれすぎていたと言えば、それまでのことなのだけれど。
そして、それより何より、もう私の存在は必要なくなってしまったということが、なんともいえず虚しかった。「生きている価値のない者」という烙印を押されたみたいで。
明日はおろか、今日の生活の中で、誰からも必要とされずに、なんの希望も楽しみもない暮らしは、途方も無くつらいものだった。
ずっと若い頃に、愛する人が死んだとき、今とは比べものにならない深い悲しみだったはず。
その時の私は何日も眠り続け、このまま死ぬのかと心配したと、母から聞いたことがある。
そして、それから何十年もその悲しみを抱いて、彼の分も生きねばと頑張った。
それにくらべれば、状況はまだまだマシなはずなのだけれど・・・
ただ、若いときには一つの救いがあった。
今のように健康を害しておらず、何でも出来たし、どこへでも行けた。
そして、長い時間をかけてではあったけれど、命を削るような悲しみも、少しずつ軽くなった。
時間がやさしく包んでくれたのだった。
しかし今は・・・どうしたらいいのだろう、助けて! だれか!
溺れかけている者が、救いを求めるように、私は毎日もがき、叫び続けた。
と、ある日「時間が心の痛みを和らげてくれるのでしょう」と、ある方がお声をかけてくださった!
その方は、私よりもずっと大きな悲しみを抱えて生きておられるというのに。
何年か前に、その方の悲しみとの戦いのことが新聞に取り上げられて、私はとても感動して、切り抜いて何度も何度も読み返していた。文面を暗記してしまうくらいに。
先日、なんとその方とツイッターを通じてお話しする機会があって、その言葉をいただいたのだった。
そうだった、時間というありがたいものが、優しく私を包んでいてくれたのに、すっかり忘れて焦ってしまっていた・・・
そのことに気づかされて、私は憑き物が落ちたような気持だった。
とことん悲しみ苦しんだら、きっとどこからか救いがやって来る。
私はそれを何度か経験して信じていたのに、それさえも忘れてしまうほどに、落ち込んでいたのだだろう。
それまでは、一言の言葉を交わしたことも無い無縁の人から
「時間が心の痛みを和らげてくれるのでしょう」という一言をいただいて、ハッと正気に引き戻されたのです。
ありがたかった、やはり天からの救いの手は差し伸べられたという思いで、胸がいっぱいになりました。
焦らずに生きます。時間というゆりかごに身をまかせて。
そうだ、このブログを誠意を持って創っていかねば!
淋しいとき、悲しいとき、イライラしてるとき、寝る前にこのブログを開いては、癒してもらっています、といううれしいお声に応えていかなくっちゃね
僅かであっても、私の存在価値がここにはあるのかもしれないと、そのことにも気づかされ、ささやかな希望がわいてきました