この絵は、橋本関雪の「失意」という絵です。
しばらく行方不明になっていた時期があったらしく、私は昨年の展覧会で、初めて見ました。
そして、この絵の前で立ち尽くし、しばらく動くことが出来ませんでした。
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向かって右の人物は杜甫、左は李亀年という人物です。
杜甫については、国語の教科書の漢詩「春望」(国敗れて山河あり)を思い出していただけるでしょう。
李亀年という人は、私は知らなかったのですが、杜甫と同じ時代の有名な宮廷歌人(歌い手)であったようです。
共に、玄宗皇帝と楊貴妃の催す宴の会で活躍。華やかに暮らしていたのです。
しかし、そんな時代が永遠に続くわけもなく、やがて起きた安禄山の戦いによって、国が混乱し政治も変わり、宮廷の中で華やかに暮らしていた人々も皆、散りじりになり、それぞれに苦しみの人生へと押し流されていきました。
今に名を残す杜甫でさえも例外ではなく、生活のために家族を抱えて漂泊の旅に出ます。
そしてそんなある日、町を歩いていると、懐かしい、確かに知っている人の歌声が流れてく来るではありませんか。
近づいてみると、あのころ、玄宗皇帝と楊貴妃の前で華やかに唄っていた李亀年が、なんと街角で歌い、見物の人たちからお金をもらっていたのです。
お互いに思いもしない惨めな生活の中での再会・・・
近くの店で思い出を語り、現在の暮らしを嘆く二人。
それが、この絵の背景です。
もっと詳しい物語をお知りになりたい方はこちらでどうぞ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
展覧会場でこの絵を見たときの私は、そんな背景の事情はまったく知らなかったのですが、見ているうちに、画面いっぱいにあふれる悲しみの波が心に伝わって、思わず涙がこぼれました。
すごい絵だと思います。
因みに、この絵を書いた頃の橋本関雪自身も、その頃は、さまざまな悲しみを抱えていたそうです。
でもね、思うのです。
私が、もし若いときにこの絵を見ても、今のように胸に迫るものを感じることは出来なかったのではないだろうかと。
74年の人生の中で、愛する人の自死、結婚の破局、父の急逝、やがて住む場所も失い、老いた母と二人の子供を抱えて、41歳にして初めて世の荒波にもまれる生活を経験。
そんな時間を生きてきたからこそ、この絵が訴えてくるものを感じ取ることが出来たのかもしれないと思うのです。
「悲しみも苦しみも、人生の中で起きることで無駄なものは何一つ無い」
多くの人生の先輩方が、いつも口にされる言葉です。
今また、深い悲しみと苦しみに翻弄されている私ですが、負けてしまわないように自らを励まし、がんばりぬこうと思っています。
いつか、この経験が何かの役に立ってくれると信じて。
(橋本関雪は、没後50年以上を経過していますので、この絵をここに掲載しても、著作権法には触れないと思い、載せさせていただきました。また、絵を見ていただかないことには、私の気持ちや言いたい事も皆様に伝わらないと思いますし・・・)
しばらく行方不明になっていた時期があったらしく、私は昨年の展覧会で、初めて見ました。
そして、この絵の前で立ち尽くし、しばらく動くことが出来ませんでした。
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向かって右の人物は杜甫、左は李亀年という人物です。
杜甫については、国語の教科書の漢詩「春望」(国敗れて山河あり)を思い出していただけるでしょう。
李亀年という人は、私は知らなかったのですが、杜甫と同じ時代の有名な宮廷歌人(歌い手)であったようです。
共に、玄宗皇帝と楊貴妃の催す宴の会で活躍。華やかに暮らしていたのです。
しかし、そんな時代が永遠に続くわけもなく、やがて起きた安禄山の戦いによって、国が混乱し政治も変わり、宮廷の中で華やかに暮らしていた人々も皆、散りじりになり、それぞれに苦しみの人生へと押し流されていきました。
今に名を残す杜甫でさえも例外ではなく、生活のために家族を抱えて漂泊の旅に出ます。
そしてそんなある日、町を歩いていると、懐かしい、確かに知っている人の歌声が流れてく来るではありませんか。
近づいてみると、あのころ、玄宗皇帝と楊貴妃の前で華やかに唄っていた李亀年が、なんと街角で歌い、見物の人たちからお金をもらっていたのです。
お互いに思いもしない惨めな生活の中での再会・・・
近くの店で思い出を語り、現在の暮らしを嘆く二人。
それが、この絵の背景です。
もっと詳しい物語をお知りになりたい方はこちらでどうぞ
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展覧会場でこの絵を見たときの私は、そんな背景の事情はまったく知らなかったのですが、見ているうちに、画面いっぱいにあふれる悲しみの波が心に伝わって、思わず涙がこぼれました。
すごい絵だと思います。
因みに、この絵を書いた頃の橋本関雪自身も、その頃は、さまざまな悲しみを抱えていたそうです。
でもね、思うのです。
私が、もし若いときにこの絵を見ても、今のように胸に迫るものを感じることは出来なかったのではないだろうかと。
74年の人生の中で、愛する人の自死、結婚の破局、父の急逝、やがて住む場所も失い、老いた母と二人の子供を抱えて、41歳にして初めて世の荒波にもまれる生活を経験。
そんな時間を生きてきたからこそ、この絵が訴えてくるものを感じ取ることが出来たのかもしれないと思うのです。
「悲しみも苦しみも、人生の中で起きることで無駄なものは何一つ無い」
多くの人生の先輩方が、いつも口にされる言葉です。
今また、深い悲しみと苦しみに翻弄されている私ですが、負けてしまわないように自らを励まし、がんばりぬこうと思っています。
いつか、この経験が何かの役に立ってくれると信じて。
(橋本関雪は、没後50年以上を経過していますので、この絵をここに掲載しても、著作権法には触れないと思い、載せさせていただきました。また、絵を見ていただかないことには、私の気持ちや言いたい事も皆様に伝わらないと思いますし・・・)