題名の言葉は、私が心の師と仰いでいる鈴木秀子さんのご本にあった言葉です。(『自分の花を精一杯咲かせる生き方』致知出版社 余談ですが、この出版社からは素晴しい本がたくさん出ています)
この方はシスターなので、聖書の中に出ているお話しの一つでしょう。
いつだったか切り抜いた新聞のはしっこが、この言葉のあるページに挟んであるのですが、またまた、いつどなたの言葉であったのかが解らなくなっています。申し訳ありません。かすかな記憶では、朝日新聞の記者さんが、何かの記事の後にお書きになっていたような・・・
それはさておき、
私たちは、日々の暮らしの中で、出来る事なら楽しいことが多い方が有難いと願っています。
ですが、当然ながら辛いと感じることもたくさんやって来ますよね。
新聞の切り抜きの記者さんの言葉は、そんな時に思い出すと良いという気持ちを含んで書かれていたと思います。
>生きる限り不運は避けようがないが、不運を不幸として受け止めるのは、また別の話だ。
『聖書』には「ヨブ記」がある。
神とサタンの議論がきっかけで、富裕な義人ヨブは全てを奪わわれる。しかし彼は、
我ら神より福祉(さいわい)を受くるならば災難(わざわい)をもまた受けざるを得んや と答えた。
この覚悟、我にありや?>
と結ばれています。
このことは、形を変えて仏教でも言われているようです。
人はみな、神や仏に御利益ばかりを望むけれど、そんな事はあり得ないと、このことは、実は誰でも知っているでしょう。
どちらも受け入れて、心安らかに生きようではありませんか・・というのが鈴木さんのお気持ちでしょう。
「苦しい時は、これに負けずに乗り越えられる力を与えてください」と祈るのよとは、私が若い頃に母が教えてくれたことです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は、枚方に居たころ、ひどく寒い朝の草むらで見かけた「凍露」です。
凍露(とうろ)とは、朝早くに結んだ露が、厳しい寒さに凍ったものをいいます。
この方はシスターなので、聖書の中に出ているお話しの一つでしょう。
いつだったか切り抜いた新聞のはしっこが、この言葉のあるページに挟んであるのですが、またまた、いつどなたの言葉であったのかが解らなくなっています。申し訳ありません。かすかな記憶では、朝日新聞の記者さんが、何かの記事の後にお書きになっていたような・・・
それはさておき、
私たちは、日々の暮らしの中で、出来る事なら楽しいことが多い方が有難いと願っています。
ですが、当然ながら辛いと感じることもたくさんやって来ますよね。
新聞の切り抜きの記者さんの言葉は、そんな時に思い出すと良いという気持ちを含んで書かれていたと思います。
>生きる限り不運は避けようがないが、不運を不幸として受け止めるのは、また別の話だ。
『聖書』には「ヨブ記」がある。
神とサタンの議論がきっかけで、富裕な義人ヨブは全てを奪わわれる。しかし彼は、
我ら神より福祉(さいわい)を受くるならば災難(わざわい)をもまた受けざるを得んや と答えた。
この覚悟、我にありや?>
と結ばれています。
このことは、形を変えて仏教でも言われているようです。
人はみな、神や仏に御利益ばかりを望むけれど、そんな事はあり得ないと、このことは、実は誰でも知っているでしょう。
どちらも受け入れて、心安らかに生きようではありませんか・・というのが鈴木さんのお気持ちでしょう。
「苦しい時は、これに負けずに乗り越えられる力を与えてください」と祈るのよとは、私が若い頃に母が教えてくれたことです。
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写真は、枚方に居たころ、ひどく寒い朝の草むらで見かけた「凍露」です。
凍露(とうろ)とは、朝早くに結んだ露が、厳しい寒さに凍ったものをいいます。