コロナに疲れていたら戦争が始まり、どちらも終りそうにありません。
そして北朝鮮もなんだか不穏で。
そんな中で、当ブログは17歳になりました。紆余曲折の内容ですが、見に来てくださる皆さまに励まされて、えっちらおっちら、、、
心からのお礼を申しあげます。
さて今日のお話しです。少し長いですが、お読みいただけたらうれしいです。
自然であれ神であれ、ゆだねる相手をしっかりと信じることができれば、たとえ明日が人生最後の日だとしても、人は穏やかに、幸せに過すことができるのではないでしょうか。『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』小澤竹俊・アスコム刊
昔、母がある宗教の勉強をしていた頃、師と仰いでいた人のことです。
太平洋戦争まっただ中、お住まいだった大阪府堺市に大きな空襲がありました。
燃えさかる火の中を避難するしかなく、表に出ると多くの人が近くの川めざして走っていきます。
人波に飲み込まれて否応なくご自分も川へ!
泣き叫ぶ人々にもみくちゃになりながらも、一心にお経を唱えておられたそうです。
日蓮宗の方ですから、長いお経文のなかの一部を思い起こされました。
妙法蓮華経如来寿量品第十六にある >「大火所焼時 我此土安穏 天人常充満・・・」
(だいかしょうしょうじ がしどあんのん てんにんじょうじゅうまん)
の一節だったそうです。
大火事の中でも我の住むところは安穏で、そこには天人がたくさんいてとても安楽で安心であるよ、というような意味です。
なんじゃそれ、と言ってしまえばそれまでですが、固く信仰されている人の心の中では、この一節が大きな救いと安堵につながっていた事でしょう。
また、こんなことも。
第一室戸台風に襲われて、校舎が倒壊したウイルミナ女学院では、下敷きになった生徒たちの唄う賛美歌「主よみもとに近づかん」が流れていて、助けてあげることも出来ないままに次第に声が小さくなっていくのがとても辛かった、とその場に居合わせた方のお話しを聴いたことがあります。
この生徒たちも、体はとても苦しかったでしょうが、心は静かであったのではないかと想像します。
冒頭に書きました言葉から思い出したことなど、書いてみました。
特に宗教でなくとも、なにか自分の運命をゆだねられるものの存在を信じることは、心の平安のためによいかも、と騒がしい世相の中で考えています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は、近くの土手で見かけた、仲良しツクシです。ここは平和でした♪
そして北朝鮮もなんだか不穏で。
そんな中で、当ブログは17歳になりました。紆余曲折の内容ですが、見に来てくださる皆さまに励まされて、えっちらおっちら、、、
心からのお礼を申しあげます。
さて今日のお話しです。少し長いですが、お読みいただけたらうれしいです。
自然であれ神であれ、ゆだねる相手をしっかりと信じることができれば、たとえ明日が人生最後の日だとしても、人は穏やかに、幸せに過すことができるのではないでしょうか。『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』小澤竹俊・アスコム刊
昔、母がある宗教の勉強をしていた頃、師と仰いでいた人のことです。
太平洋戦争まっただ中、お住まいだった大阪府堺市に大きな空襲がありました。
燃えさかる火の中を避難するしかなく、表に出ると多くの人が近くの川めざして走っていきます。
人波に飲み込まれて否応なくご自分も川へ!
泣き叫ぶ人々にもみくちゃになりながらも、一心にお経を唱えておられたそうです。
日蓮宗の方ですから、長いお経文のなかの一部を思い起こされました。
妙法蓮華経如来寿量品第十六にある >「大火所焼時 我此土安穏 天人常充満・・・」
(だいかしょうしょうじ がしどあんのん てんにんじょうじゅうまん)
の一節だったそうです。
大火事の中でも我の住むところは安穏で、そこには天人がたくさんいてとても安楽で安心であるよ、というような意味です。
なんじゃそれ、と言ってしまえばそれまでですが、固く信仰されている人の心の中では、この一節が大きな救いと安堵につながっていた事でしょう。
また、こんなことも。
第一室戸台風に襲われて、校舎が倒壊したウイルミナ女学院では、下敷きになった生徒たちの唄う賛美歌「主よみもとに近づかん」が流れていて、助けてあげることも出来ないままに次第に声が小さくなっていくのがとても辛かった、とその場に居合わせた方のお話しを聴いたことがあります。
この生徒たちも、体はとても苦しかったでしょうが、心は静かであったのではないかと想像します。
冒頭に書きました言葉から思い出したことなど、書いてみました。
特に宗教でなくとも、なにか自分の運命をゆだねられるものの存在を信じることは、心の平安のためによいかも、と騒がしい世相の中で考えています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
写真は、近くの土手で見かけた、仲良しツクシです。ここは平和でした♪
これからも末永く続けていらっしゃってくださいませ。
信じるものがあるのは心強いでしょうね。
それは感じます。
ブログを始める少し前に生まれた、一番上の孫が先日二十歳になりました。
私も年をとったものだと、驚きました。
もうしばらくは頑張れるかと思いますので、どうかよろしくお願いいたします
長いご無沙汰をお許しください。
ブログを数年前に辞めた○○椿です。わたしの住む地方では、満開の桜が少しずつ葉桜となりつつあります。妹の闘病中は、ブログを通して、数々の励ましや温かいお言葉、ありがとうございました。闘病に終止符を打ち、やっと痛みや苦しみから開放させてやることができました。最期は、緩和ケア病棟で寝泊まりし、看取りました。順番が違うのに、逝くならわたしが先なのにと、いたたまらない気持ちでしたが、こうして生かされていることは、まだまだ使命が残っているのだなあと思い直しています。
桜の季節が巡ると、尚一層、森のどんぐり屋さんの優しさと気高さを思い出しています。ブログ歴史17年のひととき、森のどんぐり屋さんと触れ合うことができ、感謝しております。
ようこそいらして下さいました、とても、とても嬉しい、大感動です。
ブログを続けていた甲斐がありました。
こんな再会があるなんて!!
時々、妹さんも○香さんも、どうされてるかなあ~~と、ご連絡をするすべもなく想いを馳せていました。
そうでしたか、妹さんは虹の橋を渡ってお空へいらっしゃったのですね、、、
でも、苦しみから解放されて、ほんとうに良かったと心から思います。
悲しみの中にも、ほっとされた○香さんのお気持ちが、コメントから伝わってきました。
私も82歳となり、満身創痍の体なので、子供たちに「私が死んだら悲しまずに、楽になれて良かったネ、と思ってよろこんでね」と言い聞かせています。
何のお力にもなれなかったのに、過分のお言葉をいただいて、申し訳ないことです。
人の寿命は、産まれて来る時のカミサマとの約束と言います。
仰る通りに、生かされる命は、なにかこの
世に使命があるのです。
私も、苦しいけれど頑張っている姿を通じて、誰か一人で良いから自分もがんばろうと思ってくださったら、いいかなと・・・
○香さん、どうかこれからも妹さんのためにもお元気で居てくださいネ。
それが一番のご供養になることと信じます。
よかったら、また時々ブログをのぞいてください。誰かに元気を感じてもらえるブログをめざしていますので・・・
今日は、ほんとうにありがとうございました。
気にかけて下さり、お見守りいただきありがとうございます。
時々、立ち止まりながらも元気でいようと思います。
私も、ぼちぼちと頑張ろうと思っています