高齢者医療制度 拙速な見直しは混乱を招く(読売社説)
・後期高齢者医療の見直しを、それほど急ぐ必要があるのか。
今は無用の混乱を避けて、現行制度を適切に検証・評価し、議論を積み重ねるべき時だろう。
・現行制度で後期高齢者は都道府県単位の独立した保険に加入しているが、骨格案では、市町村の国民健康保険か、本人や世帯主が勤める企業の健保などに入る。
ただし、高齢者の8割以上が加入することになる国保では、高齢者の収支は別勘定で運営する。
・その運営は、現行同様に都道府県単位で行う。税金と現役世代の支援金で9割、本人の保険料は1割、という現行制度の負担割合も維持する。
・高齢者が家族とは別の保険証を持つことはなくなる。ただし、膨らみ続ける高齢者医療の負担割合を明確にするため、事実上の別枠方式は残す、という案だ。 (詰まり新制度の良い所は高齢者が家族と同じ保険証を持つことだけ)
・読売の主張する問題点
長妻厚労相は、高齢者を区別しない医療制度を作るとの原則を示したが、上記のように高齢者への別枠方式を残している。 (読売は現実問題として区別していると主張。)
高齢者の保険を変更には相当な準備を必要とし、少なからぬ混乱も生じる。
財源の議論がまったくないこと。制度をどういじっても、高齢者の医療費が縮小するわけではない。
・現行の後期高齢者医療制度は、呼称などに対する感情的反発が先行したが、負担軽減措置もとられて制度は定着しつつある。
・手直しするならば、超党派協議で社会保障の財源をきちんと確保した上で、年金や介護などと共に高齢者施策全体を抜本改革する中で進めるべきだ。
[私の意見]
後期高齢者医療制度が問題になったのは、
・後期高齢者と言う差別的と言われた名称(当事者の一人の私は何とも感じませんでした)
・その料金の徴収方法が当時論議が沸騰していた年金天引きというと言う心ないやり方(私の家内は面倒な手間かいらないと歓迎していました。)
・上記のような感情問題は別として、全体として約70%の対象者の負担が減った(私の場合では個人負担が2割から1割になり、保険料も施行前より減っていました。)と言う大過ない制度でしたが、唯一問題になったのは、保険料は給料から天引きされるサラリーマン達と違って、自営業など保険料の支払い確実に出来ない人達で、原則的には本人の問題としても、この対処がおろそかになっていたことです。
そして新制度でも依然としてこの問題が就いて廻るし、読売の言う費用の大半はこの処理に使われるような気がします。
だから当事者の私の眼からみれば、読売の主張するように今までの制度の問題点を修正するだけで良かったような気がすのですが。
私の経験
これらかの高齢者医療制度の問題を考える前に私の経験を聞いて下さい。
・若い頃からの現在までの登山経験
会社から言えば山登りで休暇を取る人より、それ取らずに働く人の評価が高くなるのは当然です。然し私は昇進や昇給など殆ど気にしなかった。 (またそれで済む時代だった。)
・趣味はクラシックギターだったが、約20年間の電車通勤での英語のミステリー小節の読書のお蔭で読み書きの力がついた。 (ヒアリング、スピーキングは今でもさっぱりです。)
・定年後も英語力を買われて海外技術者支援のボランティア団体に誘われ80歳まで勤められ、毎日の通勤で規則正しい生活を送られ、惚けずに済んだ。
・定年後の地域の人達との関わりで、中年以後の不摂生、定年後の健康管理が拙くて、早く亡くなる人達や、家での閉じ籠もりで心身共早く老化してきた人達を多く見てきた。
・定年後、現役からのギター、英語のクラブ活動のほか、老人大学で川柳を習って、そのいずれも約20年近くになる。
・表立ったことをするのが嫌いで、山登りは頼まれれば道案内程度、ギターは伴奏専門、英語はアドバイザー、川柳は会計など裏方で何とか役に立っている(と思っている。)
お断りして置きますが、これは全くたまたまこの様になったことで、計画的に人生設計したわけですありません。
私の提案
国も企業も地域の人達は高齢者を厄介者扱いにしないで活用すること。
・働かせる。給与は年金が減らない程度の安い給料で良い。ワークシェアリングで無理のない労働。 (働くのが健康の源、国としては所得税などで税収の増収に繋がる。)
・地域のボランテイアやクラブ活動などの活動に参加させる
・家に閉じ込めない、一日テレビで過ごす人もいるが、体力や知力の低下に繋がり、結局は医療・介護などの負担増になる
国も企業も高齢化を見越して従業員や高齢者の健康管理を強化する。
・病気や身体が弱ってからの医療費や介護費に比べれば、健康管理強化の費用はタダ同然だ。
・特に中年以後の健康管理を強化する
無理な残業をさせない。 (企業で主要な地位を占めているであろう彼らに如何に部下を上手く使うかの教育になる。)
・中年から高年者に対しては定期健康診断を義務づける(なんらかの飴と鞭の政策を考える)
・高齢者に対しては定期的な健康指導を行う。 (これも飴と鞭の政策を考える)
特に成人病の予防、予知の方法の教育、適切な病院の選択とそのための情報公開(成人病と言う生命に関わる病気を通院の便が良いといって、近くの普通病院の通院中に亡くなった人が如何に多いか。)
・企業は目先の厳しい環境に惑わされることなく、ぎりぎりの合理化でなく従業員の健康維持や管理(テーマとはずれますが育児も )のための時間や休暇を取れる位の余裕を持った人事管理するほうが長い眼で見ればはるかに有利であることを知ること。
・政府もその点に就いて企業を支援すること。
後期高齢者予備軍の方へ
上記の提案は理想論で現実問題として政府や企業が対応してくれるかどうかは判らないと言うか、どちらかと言えば難しいと思います。
然し60~65歳で定年になった後に20~30年の言う長い生活が待っています。
一昔なら企業や仕事に殉じて定年後か現役でエネルギーを使い果たすこともあったかも知れないし、その信念を持っておられる方もおられると思います。
然しもしそうは思わない方は定年後に如何に生き甲斐のある暮らしを送るかも考えて頂けたら良いと思います。
私の経験からすれば中年後の生活管理が余生に大きく影響してきている例を見て来ましたが、一方ではその頃は仕事の責任も重くなって、如何に仕事と自分の健康管理のバランスを取るかという難しい選択をすることになると思います。
どうぞ後々後悔をされることのないような判断を願いたいものです。
実はこの様な大きなことを何度も書いている私自身の娘が、小学校の教頭の激職で仕事にかまけて、手遅れになり若くして亡くなりました。
このエントリーは私の反省を込めての提案です。
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