「2014年6月27日に書かれた記事をお届けします」とgooブログからメールが届いた。
その日のタイトルは「天皇・皇后の対馬丸記念館ご訪問」。
「対馬丸記念館」は、対馬丸事件を顕彰するための施設。子どもら1476人が犠牲になった学童疎開船の悲劇を後世に伝えようと国が建てた施設だ。
民間人を含め鉄の嵐と呼ばれる太平洋戦争末期の熾烈な沖縄戦では、民間人を含む20万人ともいわれる多くの犠牲者を出し、その後も駐留する米軍の基地に囲まれ、今も大きな痛みと苦しみに耐え続ける沖縄の方々に、両陛下には強い思い入れがあることだろうとご推察できる。
2014年6月26日のブログには、「那覇空港に到着された両陛下は糸満市の平和祈念堂と国立沖縄戦没者墓苑を訪問し、慰霊碑にお揃いで白菊の花束を供えられ、沖縄戦犠牲者の霊を慰められた。翌27日、対馬丸の学童慰霊塔『小桜の塔』にお参りになられ花束を供えられ、その後『対馬丸記念館』をご視察になられた。と書かれている。
そののブログを読み返すうちに、戦後70年にあたり、天皇皇后両陛下が今年4月に、太平洋戦争の激戦地パラオ共和国をご訪問になり戦没者を慰霊されたことを思い出した。
パラオは、赤道近くにある約200の島々で構成された共和国。第2次世界大戦中にパラオ諸島を構成するペリリュー島で日米両軍が激突し、最終的に日本兵は1万人以上が戦死し、捕虜も含む生存率は約2%という悲惨な戦場となったところ。米軍も当初予想した以上の約1800人の戦死者を出した太平洋戦争屈指の激戦地の1つ。その慰霊が今回のご訪問の大きな理由という。
さらに6月13日の新聞に「天皇、皇后両陛下は17日から2日間の日程で宮城、山形両県を訪問される。17日は太平洋戦争の激戦地となったパラオから引き揚げてきた人たちが住む『北のパラオ』、宮城県蔵王町北原尾(きたはらお)地区を訪れ、住民らと懇談する。4月に戦没者慰霊でパラオを訪問した両陛下は、かねて北原尾に関心を寄せていたという。」とあった。
陛下は昨年傘寿となる80歳を迎えられ、
「もっとも印象に残った出来事は先の戦争。前途に夢を持った人たちが若くして命を失ったことは本当に痛ましい。平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って今日の日本を築いた。」と、振り返えられた誕生日のお言葉。実に力強いお言葉だった。深く頭が下がった。
日本は憲法9条に守られた素晴らしい平和と民主主義の国。何と素晴らしいお言葉だろう。両陛下の先の戦争犠牲者に対する慰霊の旅はまだまだ続くことだろう。