上映会の席は、2列の右端。ジュリーのライブならば垂涎の神席ですが、映画鑑賞には近すぎると敬遠される席です(^^;
少なからずネタバレしていますので、この先、まっさらの状態で映画の公開に臨みたい方は読まないでください。菅田さんとのW主演で、出番は少ないのかな?とあまり期待していませんでしたが、私の想像よりもジュリーの出番は多かったです(^-^)
エンドロール。「沢田研二」の名前が、一人だけ、てっぺんにクレジットされました。私が今まで見てきた一生分の「沢田研二」の名前のどれよりも輝いて見えました。
映画の冒頭から、コロナ禍の中の日本が描かれ、シルバー人材センターで働くジュリー演じるゴーは、ギャンブル好きの借金まみれのダメ親父です。
あのカッコいいジュリーが、シルバー人材センターで掃き掃除・・、この世の中の誰よりも美しいジュリーが、こんなに老けた見すぼらしいジジーになって・・💦 まだ少年の匂いの香り立つような、19歳の輝く若いジュリーからずっと見続けていた自分には、それまでの幻想を次々に打ち砕くような、相次ぐカウンターパンチを受けているような気分になりました。
どっから見てもジジーやわ(-_-;)(服は派手)
おかしいな、ライブのジュリーはもっと、ず~っとカッコ良かったのに、そんな気持ちを抱きながら、ダメ親父のジュリーを見続けました。しかし話す声の甘さ可愛さは、見た目とは不似合いな年齢を感じさせないものが有る。愛すべき憎みきれないろくでなしは、やっぱり間違いなくジュリーや!
ジュリー演じるゴーを見ながら、知らず知らずのうちに、ジュリーの演技に亡き志村けんさんの姿を重ね合わせて、ハっとする自分がいました。志村さんなら、どう演じたのだろうか。そう思ってしまう自分が、目の前のジュリーに対して、すまないような気分になりました。
今までの50余年のジュリーのファン人生で、ジュリーは絶対的で、ジュリーに誰かを重ねる等、有るはずもないことです。誰もジュリーにはなれないように、ジュリーが誰かに重なることも有り得ないことだったのに。
物語はごく自然に、ジュリーから菅田将暉さんが演じる、古色蒼然の昭和の映画界へと転換してゆきます。菅田さんのまだ少年の面影の残る若さ、きかんきだけど素直で繊細でもある感じは、無理なくジュリーのゴーに繋がっていきました。二人の持つ甘さは、志村さんの個性よりも似ているかもしれません。
ゴーと淑子の二人の恋には不慣れな姿には、いかにも昭和的な不器用さともどかしさが有り、いじらしい。それは令和の時代の、とっくに擦れてしまった観客の私は、一昔前の恋人みたい・・あか抜けなさ過ぎる。そんな思いを巡らせながら見ていたら、いつの間にか 志村さんの影は、ジュリーのゴーちゃんと重なっていってしまっていました。
スクリーンにいるのは、ジュリーの演じる、ろくでなしのゴーちゃん。そして菅田さんのゴーは、間違いなくゴーの純粋で生真面目で一本気だった、映画人時代の若き姿でした。
志村さんを忘れないでください、と山田監督は言いました。ジュリーほどのキャリアを持つ人でも、志村さんの遺志を継ぐことは簡単なことでは無かったに違いありません。志村さんの影を残しつつ、役を自分のものにしてしまったのは、ジュリーだからこそと思いました。ジュリーの仕草や台詞に、観客からの笑い声が度々あがりましたが、最後はホロリとさせられました。
エンドロール。
「沢田研二」の名前が、一人だけ、てっぺんにクレジットされました。
「沢田研二」その文字が、今回ほど嬉しく思えたことは有りません。私が今まで見てきた一生分の沢田研二の名前のどれよりも輝いて見えて、とても感激してしまいました。