twitterで知りました。⇒東映太秦映画村、映画資料を収集 初代ゴジラの脚本も
京都市右京区にあるテーマパーク「東映太秦(うずまさ)映画村」が、映画の脚本や衣装などの収集と公開を進めている。100年近く映画やドラマが撮られている太秦を、撮影や観光だけでなく映画資料の集積地にもする取り組みだ。未発掘の「お宝」も眠っている。
撮影所に残る衣装に衝撃
映画村が脚本や衣装など「非フィルム」資料の収集に力を入れだしたきっかけは2017年、東映経営戦略部フェローの山口記弘さんが映画村社長に就任した際、撮影所に残る「旗本退屈男」シリーズの衣装に衝撃を受けたことだ。・・・・・・・・・・ 山口さんは「実際の衣装やプレス資料を見て、当時いかにお金をかけて映画を作っていたか分かった。芸術作品だ」と言う。
国際日本文化研究センター(京都市西京区)の石川肇研究員(近代文学)と連携し、今年からは、1981年に公開された映画「魔界転生」の衣装の整理や調査に取り組んでいる。沢田研二さんが演じた天草四郎時貞らの衣装も見つかった。人形作家の辻村寿三郎さんが担当したものだ。
山口さんは言う。「浮世絵も大衆娯楽と言われていたが、後に美術的価値が見いだされた。日本映画という世界に誇る文化を受け継いでいくためにも調査や保存が急務だ」
いままで、貴重な衣装を整理保管していなかったのですね。一般の人が見られるのがいいですね、四郎様の衣装が見たいです。
東映太秦映画村には、2019年の秋にジュリーのライブの前に行きました。ジュリーが魔界転生を撮影した聖地巡りです。⇒「魔界転生」聖地巡礼、東映太秦映画村
入り口を入ると、魔界転生の撮影をしたのであろう、大きな撮影所が左手に並んでいた。入ってすぐに飾ってあったのは、リメイク版のポスターで、なんでジュリーのじゃないの(-_-;)
「魔界転生」といえば、他の誰よりも沢田研二であろう!!と気を悪くした。リメイク版は当たっていないしね。
映画村の中に、中村座という芝居小屋があり、その入り口を入ったところに、ジュリー版のポスターが有った。当然ですわ!光ってわかりにくいけど。
「妖怪ハンターヒルコ」が公開から30年で、「魔界転生」は40年もたったのか・・と、しみじみします。「魔界転生」は、角川映画が大量CMで、エロイムエッサイム!と流してくれたので、姫路の映画館でも客は入っていました。ジュリーの映画で入ったのは、タイガースを除けば、これと「寅さん」くらいかしらね(^^;
東映太秦映画村という場所は、時代劇のセットが広い敷地に並んでいて、各場所で子供向けのイベントをやっているというテーマパークです。私としては東映の会社の歴史や、スター達の列伝などを見たかったのに、そういうものは2019年には簡単にしか無かったです。
貴重な映画の資料や、衣装などが、体系的に収められて見られる場所になれば、お子様向きの映画村が、博物館の側面もある、大人のための映画村になりそうです。
一度行ったら、次はもういいわ、と思った映画村でしたが、あの天草四郎のキャラクターを形作ったともいえる、貴重な衣装が見られるのなら、そるは見たいな!と思います(^-^)v
「妖怪ハンター ヒルコ」全国で続々公開に、さらに追記です。
⇒塚本晋也『ヒルコ 妖怪ハンター』30周年!ヒロインも駆けつけ当時を振り返る目
(※一部のみ抜粋)塚本晋也監督と沢田研二がタッグを組んだ映画『ヒルコ 妖怪ハンター』レストア&リマスター版の初日舞台あいさつが9日にテアトル新宿で行われ、塚本監督と特殊造型・特殊メークを担当した織田尚、ヒロインの月島玲子を演じた上野めぐみが登壇。当時の撮影の裏側を明かした。
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『ヒルコ』の主演は沢田研二。塚本監督にとっては「テレビで圧倒された記憶しかない」というほどのスーパースターだったが、テレビCMでひょうきんなキャラクターを演じている姿を見てキャスティングを決めたという。「諸星さんの原作はファンが多くて、主人公の稗田は岸田森さんしかありえないという声が多かったのですが、すでに亡くなっていたので、だったら文句のない人にしようという思いもありました」という塚本監督。「でもスーパースターなのに、撮影現場の佇まいは最後の最後まで静かな方でした」と沢田との撮影を振り返った。
岸田森さんは、若い方はご存じ無いと思いますが、懐かしいお名前を聞きました。顔も演技も個性的な俳優さんで、樹木希林さんが結城ちほ時代に、裕也さんの前に結婚していたお相手です。「傷だらけの天使」にも出演していましたっけ。
「主人公の稗田は岸田森さんしかありえない」という声があったそうですが、「ヒルコ」の映画化のずーっと前(1982年)に、すでに亡くなっているので土台無理なお話です。