知り合いの結婚式で、挨拶と乾杯の音頭を、と依頼がありまして、何を話そうか胃が痛い思いで過ごしております。
もう明日に迫り・・・・・・
人間、切羽詰ると何かひらめくもので、一応、話す内容を紹介いたします。
皆さん、頭の両脇に「耳」がありますね。
耳という字は、そのままでは、「のみ」とも読みます。つまり、「それだけ」と言う意味ですね。単に顔の両側にあるだけです。
そこで、門の中に耳が入ると、「聞」(きく)と言う字になります。耳の字が入る「門」は、「・・・に入門する」と言う「入門」の「門」ではないかと思います。入門とは、何か自分のやりたい事、すべき事が見つかり、何かを行動を起こした時に入門をします。例えば、なにか目標があって勉強しようと決意をした瞬間に、今まで、雑音でしかなかった人の言葉がようやく聞く体制が出来た段階に思います。
次に、人の話を聞いているうちに、今まで両親や祖父母などの先祖、先生、友人達が、私の事を思って言ってくれた言葉の意味を理解するようになり、耳に心がつくようになります。耳に心を一つ置く様になって、自分の未熟さや足りない部分を感じ「恥じる」と言う字になるかと思います。人の話を聞く様になり、「恥」を知る状態です。
ですが、耳に心が一つだったものが、目に見えない言葉も、耳に沢山の心を尽くすことで、次の聞くになるのではないでしょうか。十四の心を耳の横に置いてみます。
そうです、「聴く」(きく)と言う字になりますね。耳をそばだてて聴く状態です。全神経を耳に集中して、心を尽くし聴いている状態です。門の中に耳のある状態と、まったく違う聴くですね。
でも、聴くだけでは、頭でっかちの知識を詰め込んだ状態です。折角、自分の進むべき道を見つけ入門し、人の話を聞くようになり、恥を知り、言葉を通して本当の意味を理解しても、実際に行動して見ないと理解した事にならないのではないでしょうか
つまり、「聴く」を行動する。「聴く」の左にある「耳」から「行動する」の「行」に変えると「徳」と言う字になります。「徳をつむ」「陰徳をつむ」の「徳」と言う字です。
同じ行動するにしても、心を尽くして行動する時に「徳」がつめるのではないでしょうか。
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自分なりの解釈した言葉で、間違っているかもしれませんが・・・・・
新しい門出の二人に、「おめでとう」です。