余市町に当薬局の付属薬草園がありますが、一部、放置されて居ました果樹があります。
自然に、なすがままの状態が良いと言う人も居ます。でも、収穫や管理をする時になると大変です。単に自然のお庭でしたらそれでも良いのでしょうが・・・・
色々と試して見まして、行きついた結論が、
「どう植物が生きたいのか、どう果実を付けたいのかを考える事」です。(子育てにも似て居ますよね)
風通しが良く、日に当たったほうが好きな植物も居ますし、逆に日陰で仲間と肩寄せ合っているのが好きな植物も居ます。
一本一本の植物と対話をしながら、手入れのお手伝いをするようになった途端、植物が生き生きしてきました。結果、実りが良くなりました。
私は、大学で最先端の医学・薬学を一生懸命に勉強をし、それなりの成績で卒業も出来ました。社会に出たら、困っている人をどんどん治してみせる!!そんな思い上がった気持ちでした。が、天狗の鼻は簡単にへし折られたのです。
で、両親の後姿を見て育った私の体に流れている医療のDNAが、漢方を指し示していました。
哲学にも似た難しい概念と言葉に戸惑いながらも、ビギナーズラックで、病院で治らない難病を次から次となせるようになり、これまた天狗になっていました。テレビ、ラジオ、新聞等からひっぱりだこで頻繁に出演するようにもなり、患者さんが全国から来られるようになっていました。
でも、はっと気がついたのです。難しい病気を治すよりも、そんな状況にならない、なる前に治したり、予防をする方が重要ではないかと・・・・
難しい病気を治した方がスポットライトを浴び、仲間内からは羨ましがられ、患者さんからは手を合わせられ・・・・、結果、自分の為の仕事だったのだと気がつきました。
漢方の知識もそうですが、少ないよりも多い方が良いです。ですが、本当の知識は心の奥底から納得が出来る物なのです。以前に読んだ本(もう1000冊は超えていると思います)は、表面の字面しかみていない知識でした。
先日、漢方の私の師匠が夢に出てきて、「中村君に、漢方の極意をさずける」の一言依頼、直観的に気になる本・資料を読み直して居ますと、その当時に気がつかなかった医療の極意がすーっと心に染みてきました。頭じゃなく心に染み込んで来る感覚なのです。
そうなんです。植物と同じく、人間も病気の症状を通して、どう治りたいかを東洋医学の物差しで診て、お手伝いをするだけです。心や自然のエネルギーの流れる“気”の入り口や流れ方、病気の瞬間の気の状態の意味など・・・・・
植物は、争う事もなく、自分の役割を素直にこなしているだけです。
人間も争う事も無く、他人の幸せを願い、妬み・ヒガミをなくせば、病気と無縁になる世界の入り口になるのではないかと、薬草園を開いています。
漢方は、生き物が、どう生きようとしているのか、どう治ろうとしているのかをお手伝いする知恵ではないでしょうか?
それを体験していただきたく、余市町の薬草園の手入れをしております。