波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

詩と哲学

2024年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

詩人の言葉を読み、『堅実な末路』で立ち止まる。堅実という優等生的な計画性と、落ちぶれたイメージの末路の連続が気分を乱すのだ。2つの言葉が対立しあい安心する意味を持たせてくれない。前に読んだ時もここでショックを受けた。言葉の瑞々しさや面白さを忘れていた自分に気づく。
哲学者の言葉「私に大事なことは、you are wrong(お前が悪い)の宗派に対して同調しないこと」に新鮮な思いする。前に読んだ時はここで立ち止まらなかった。一番肝心なところを。

 

自分は今、自分の考えを正しく評価できるのだろうか。自分を映す鏡が凸凹ならどうやって直したら良いかわからないが、曇っているのなら何とかなりそうな気分があった。ずうっと変わらずに清潔で親しみがあって偉そうにしない詩人と哲学者の本を一冊づつ本棚から抜き出した。普通の暮らしから生まれるちゃんとした生き方を言葉で考えさせてくれる頼りがい。こういうのを未だ読もうとする自分が頼もしい。

 

老いたら大事なことは大体整理できているだろうと思う予想はあっけらかんと崩れている。顔だけは「わかってる風」装いながら価値観は揺らぎの真っ最中。だが、若い時にそこのところを突いた読書体験(積読含)が自分を助け支えてくれるだろうと思っていた。いつの間にか頑固な汚れで曇った鏡を、面倒だが丹念に擦り拭き上げていったら間違いや思い込みが薄れ、何が大事だったかを映し出してくれるような感覚。
詩と哲学の読書は、言葉と生き方が健全な時の習慣で、自分で自分を信じられる機会の1つ。それを脅かすぐらいの小説やマンガに出会いたいとも思う。


今年の残りを、哲学者の鶴見俊輔著『言い残しておくこと』(作品社)と詩人の吉野弘著『詩のすすめ 詩と言葉の通路』を再読しながら過ごしたい  画像は坪内和夫氏の『空港』。懐かしさ感じたのは機上から見た当地の空港だからかな。

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応援できる嬉しさ

2024年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

当地の『子ども食堂』に今年も応援費を届けられる。嬉しく我ながら清々しい。波風食堂のイベント(読書交流会参加費や手作り時計代金、ウドン代)、昆布干しアルバイト、波風家カンパの総計で3万円。去年の2.3万円より多いのは、少しづつ増やしたいから。スクワット每日目標の回数増と同じ(笑)自己満足の心。今、この言葉を打ったら『事故満足』と出た(涙)。


既に『新しい貧困』の言葉を使う必要がなくなった貧しい私の国。子ども食堂に期待ししつつ来たるべき閉店に全く責任感じていない政治。皆で思えば、この国も生きてるうちに良くなるのかなあ 当地の子ども食堂は、大人も利用できるよう名称変えているが、『子ども食堂』は『子ども食堂』で何が悪い?と思う。「子どもが主役、大人も利用できる」が筋 固い歯応えとほのかな甘味、柔らかくなるにあわせて甘み増し、トロトロになった甘味で喉うるおす。いただいた次郎柿で堪能する年末TVドラマ『団地のふたり』終わり、『光る君へ』、『宙わたる教室』を見ている。ニュースやドキュメントを信じられないこの頃。

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『悪口』にまつわる話

2024年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

職場の同僚や知人から人の『悪口』を聞きたくない、という悩みは多いらしい。「らしい」というのは、最近も人から相談されたが波風氏自身はそういう体験が少ないからだ。新聞の人生相談(11/16朝日『悩みのるつぼ』)に「愚痴聞き役をやんわり断りたい」(女性50代)を見つけ、これ同じだなと思った。新聞は悪口含む『愚痴』だが、へきへきする困り具合は同じ。

回答者(文筆業)は、こと荒立てず理由をつけて役回りから一線を引くのが無難としつつ、長いつきあいの中で共感もあったはず、一番の問題はギブ&ティクのバランスが崩れ、ケアの余地が無くなっていることと言う。もしそうなら、崩れた境界線を引き直し、適切な距離感を再構築するコミニケーション改善だと結論づける。バッサリ断らず「悪口は苦手なので避けたい」「30分なら話を聞けそう」「来月まで待って」など。加えて別の誰かに愚痴こぼすガス抜きも大事だと。相手との関係を切りたくないならこういう手なのかと思うが、スッキリしない。人間関係の問題はだいたいスッキリしないが。相談と回答から少し外れるが、俺ならこうするを書いておきたい。

波風氏は、『悪口』を聞くのが嫌いだ。「それ、本人に直接言ったらよいだろう」と思う。ただただ貶める話なら聞く時間がもったいない。いずれにせよ、「この人(=波風氏)には、人の悪口を言っても大丈夫だ」という波風観(人間観)があるわけで、それは信頼とは違う下卑た心情。別のところで波風氏の悪口を言って恥じないクセの持ち主でもあるはず。波風氏に悪口を簡単に言わせてしまう落ち度があるのだ。実に暗澹たる気分、黙って悪口聞ける器は未だ持たない。
今までの人生、面と向かって「あなたは間違っている」と『批判』したらみんな向こうから離れて行った。新卒の時の校長先生、教頭の時の校長先生、組合の・・・全員揃って年上だが我慢に我慢を重ねた上で・・・。「こういう時の立男さんはとても怖い」とママヨさん。
前にも書いたが、「〇〇が波風さんのことを悪く言っていた」とご親切に知らせてくれる人がいて、「本人(=波風氏)に直接言いなよ」と頼むのだが、まだ一度も来てくれた方がいないし、悪口の意味が全く分からない。その親切な人が波風さんはそんな人ではない!と反論したという話も聞いたことがない。どっちもどっちなのだ。

悪口や愚痴で支えあう人間関係はある。自分はそういう人間関係なら結ばなくて良いと思う人間。愚痴や悪口の相談に対する結論は決まっている、関係が切れるのを覚悟して「悪口はもう聞きたくないので止めて欲しい」と言うこと、「自分は陰で悪口を言わない」ことも伝えてね。


高校のトイレで、同級生が大便器の個室に入ったのを確かめた後、小便器に並んだ我々が盛んに大便器の友をほめそやし先に教室に戻る。少し遅れて教室に戻ってきた大便器の友の上気した何とも言えない顔(笑)。種明かしして2倍楽しんだ先週1週間、波風夫妻は風邪で寝ていた。微熱、食欲不振で体重が減ったが昨日から回復傾向。5日ぶりスクワット再開(70回)し気分良し公式裏ブログを「『波風食堂函館製作所』から」で更新しました。

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雑巾を絞る老人

2024年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム

回言いたかったのは、身辺的自立が中途半端なまま老人になってしまったことと、そのままでは情けないから普通ぐらいのレベルになって日常の身辺雑務をこなし身辺整理も自分でやり終えたいということ。「普通レベル」というのは、テレビのリモコンが見当たらない時に、「ママヨさん、リモコンどこにあるの?」と聞かないで自分で探す気力と体力を身につけること。なんだ-と言うなかれ、自立とはこんなこと。

クワット始めて1ヶ月半、回数の目標はあるが目的は口で頼む前に身体を動かす習慣。分かったのは、体力というか筋力があれば身体は動くという事実(笑)。歩くのが楽になるし「ウンコ座り」のオマケもついた。今まで足裏に違和感があったが血流のせいか改善した。筋力が衰え続けたら依頼心のお化けになるかもなあ。波風氏自身が言うのもどうかしているが、母もママヨさんも優しく親切な分、波風立男育成計画が間違っていたと思う(偉そうにお前が言うな!)

 

巾がけをしている。中腰が前より苦にならないことに加えて、雑巾絞りが面白い。そのコツをきちんと教わってこなかったせいもあるが握力が弱かった。それで握力計使って鍛錬中。まともに家事のできない者は、少し要領がわかるとすごく嬉しいのだ。雑巾をギチッと絞れるの快感、それを表裏と返しつつ床拭きする、こうなるときちんと後始末もしたくなるもの(笑)。誰かのお褒めの言葉が欲しいのでなく、自分の中で完結する達成感。世間の方々からすれば馬鹿げた話だが、経験無く無知な波風氏には無尽蔵な興味関心の家事世界。


画像は前回と同じく坪内和夫氏のイラスト。京都が好きだと言っていたなあ 風邪をひいた、この前いつだったか思い出せない、微熱36.7℃、筋力トレーニングできないのが悲しい・・・・人はこんなふうに変われるのか

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布団をたたむ老人

2024年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム

を洗い歯を磨き、布団を敷き、パジャマを着て寝る。トイレにも行き、時々風呂に入る。朝になったら、布団を畳み押し入れに片付け、パジャマを脱いでハンガーに掛け顔を洗い歯を磨く。トイレにも行く。これを人の助けを借りず自分でやる。4歳の頃に今のようではないがその基礎が出来たはず。4歳の時に父が長く入院して病死したから、母が波風氏の身辺自立の躾けを全てやってくれた、1歳にならない妹に乳を与えながら。その時、26歳だったお嬢さんの葛藤と悲しみの中の自立を思う。4歳ぐらいが身辺自立の時期だが、父の記憶がほとんど無いように躾けられた記憶も無い。

 

いを感じるようになり、一人でも生きていける力を考える。母がいてママヨさんがいてくれたから、『独身生活』がない。だから、普通なら身に着く健康な生活習慣や家事の技術がすっぽり抜け、その空白を生活習慣病が埋めた。色々と理由はつけられるが自分に甘いのだ。なのに、『自立』(身辺・身体・経済・精神)を育てる仕事に従事し、終いには自立の蘊蓄を学生に教えた。笑うしかない喜劇、家族にはとんでもない悲劇だ。寿命の残り時間、身辺的自立を意識し続けたい。できないことが増えるばかりだが、今までの他立の罪滅ぼし。これで運良く一人になっても生きられる心と技習得が可能になったら、家族にも縁ある人たちにも役に立てるかもしれない。親にも少し顔向けできる。
(次回に続く 下の始末 1人の逝きかた もの食って終わる 縁の続き などが浮かぶ)


画像は、坪内和夫氏のイラスト。彼がドイツにいた時の風景だろうか。質感と色調が面白い  茹で上がったタコを持って来てくれた知人、その時に集中して本を読んでいた。同じ本をネットで注文して送った。感想を話してみたいと思った念願の『うんこ座り』が出来るようになった。顛末を裏ブログに書いた好きな顔は多様だけで嫌いな顔はなぜか似ている。形や部分でなく自分が歪ませられる巧妙に騙されかねない直観。これも生きる力。

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