詩人の言葉を読み、『堅実な末路』で立ち止まる。堅実という優等生的な計画性と、落ちぶれたイメージの末路の連続が気分を乱すのだ。2つの言葉が対立しあい安心する意味を持たせてくれない。前に読んだ時もここでショックを受けた。言葉の瑞々しさや面白さを忘れていた自分に気づく。
哲学者の言葉「私に大事なことは、you are wrong(お前が悪い)の宗派に対して同調しないこと」に新鮮な思いする。前に読んだ時はここで立ち止まらなかった。一番肝心なところを。
自分は今、自分の考えを正しく評価できるのだろうか。自分を映す鏡が凸凹ならどうやって直したら良いかわからないが、曇っているのなら何とかなりそうな気分があった。ずうっと変わらずに清潔で親しみがあって偉そうにしない詩人と哲学者の本を一冊づつ本棚から抜き出した。普通の暮らしから生まれるちゃんとした生き方を言葉で考えさせてくれる頼りがい。こういうのを未だ読もうとする自分が頼もしい。
老いたら大事なことは大体整理できているだろうと思う予想はあっけらかんと崩れている。顔だけは「わかってる風」装いながら価値観は揺らぎの真っ最中。だが、若い時にそこのところを突いた読書体験(積読含)が自分を助け支えてくれるだろうと思っていた。いつの間にか頑固な汚れで曇った鏡を、面倒だが丹念に擦り拭き上げていったら間違いや思い込みが薄れ、何が大事だったかを映し出してくれるような感覚。
詩と哲学の読書は、言葉と生き方が健全な時の習慣で、自分で自分を信じられる機会の1つ。それを脅かすぐらいの小説やマンガに出会いたいとも思う。
今年の残りを、哲学者の鶴見俊輔著『言い残しておくこと』(作品社)と詩人の吉野弘著『詩のすすめ 詩と言葉の通路』を再読しながら過ごしたい 画像は坪内和夫氏の『空港』。懐かしさ感じたのは機上から見た当地の空港だからかな。