波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

牛乳の事情 №13

2012年07月01日 | 新聞掲載

Photo   牧草は厳密な管理で丹精して作られている。酪農地帯の小学校の学級担任として働いて、初めて知った。
 職員室の私たちは、少しでも地域を理解しようと、教師用「酪農の基礎百問テスト」なるものを作ってみた。乳牛=雌牛ぐらいしか知らない私には全て難問だった。乳房の数さえ不確かなのだ。家庭訪問で実物の乳牛に対面しその貫禄に圧倒された。何も考えずに飲んでいたが、牛乳は人が牛と織りなす崇高な労働の結晶だと思った。
 酪農経営者の専門的知識にも驚いた。ほぼ全問が一発正解だった。知らなければマンマの食い上げだと車座の面々が笑った。宵宮の神社にアポなしで押しかけて答えを尋ねたのだ。教材にもするのでネットで再確認したら細かい数値まで一致していた。

 社会科「輸出・輸入」の授業の時だった。飲料用の生乳は100%日本製なんだよと、子どもたちが胸を張った。それがいかに大事なことか、朝早くから手伝いをしている子どもたちが自分の言葉で語った。家族の総力で、日本の「食」を支えている誇りを強く感じた。
 その時だった。「先生、誰が生乳の値段を決めるの? すごく働いているのにとても安いんだ。もっと上げて欲しいってお願いの手紙を書こうよ、先生」と声が上がった。すると、書こうよ、書こうよという真剣な声が教室中に広がり合唱になった。

 生きることは知ることだ、知ることは学ぶことだ。緑燃える7月が今日から始まる。(7/1 北海道新聞)

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自分は何も知らないのに、人を教える仕事に就いてしまった、そんな立場をどこかで詫びたいような気持ちで書いている新聞コラム。先日、「あなたのは必ず『失敗』があり安心して笑える」と言われた。嬉しかった。生きることは失敗と反省の連続。格好つけない、大言壮語しない、人を傷つけない…そんなふうに残りの人生を生きられたらと思う

凡師コラムのイラストを描いて送ってくれる小幸さんのメールに…「今日の波風さんの道新コラム拝見しました。私も、酪農地帯の学校で生徒から酪農の話を始めて聞いたときとても衝撃的だったことを思い出しました。女の子の生徒が『私の特技は、牛を全部自分の方に向かせることだ!』と教えてくれたことを懐かしく思います。」のお便り。教えることは学ぶことの半ばなりを実感。

映画「エクレール お菓子放浪記 」をママヨさんと文化センターで。このお話には相当の思い入れがあるのだが今回は略。ところで、NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」もそうだが、今や前向きに生きる像の創出は終戦直後までさかのぼることが多いようだ。これが、生活を守るのは個人の責任、競争に耐えうる自助努力、という巧みな宣伝なら御免だ。

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「朝の食卓」の反響2

2012年06月06日 | 新聞掲載

Photo  先月、道新「朝の食卓」に書いた「授業」を読んで、同新聞[「読者の声」欄に投書してくれた方がいた。今日、新聞の切り抜きをしていて気づいた。うっかり見落とすところだった。「恩師の言いつけ」の時もそうだったが、人は自分でも気づかない行間を読んでいることに驚き嬉しい。

 次の「朝の食卓」は、7月1日掲載予定。10日前に原稿締め切りだから、そろそろ落ち着かない。今朝から書き始めた。入り口は見えたのだが出口が見えない。書き残しておきたいことなので別の話にはしたくない。今夜はこれが食べたいとママヨさんに言うと、その日は身体全体が受け入れ体制になるのが立男だ。卑しいだけなのだが、文章も妙にこだわるのが立男だ。「朝の食卓」は、公序良俗に反しない限り何を書いても良いのだが。

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授業   №12

2012年05月22日 | 新聞掲載

Photo   おやつのあたらない小学生時代だった。向かいの家にスモモが鈴なりに実った。背中に響く窓越しの「ドロボー」の怒鳴り声も、逃げ道途中の肥だめも、甘い誘惑の前に障害ではなかった。
 許容範囲のつまみ食い、おいしく刺激的なゲームだと錯覚した。仲間同士、1日1人3個のルールなんかも作って楽しんだ。
 しかしこの恵みは、白々と光る切り株を残して突然終わった。信心深く優しいとうわさされたその家のおじさんが、のこぎりで切ったのだ。何とも言えない失望と怖さを感じた。

 朝刊配達の時はナシを見つけた。スモモとは別の家の高く金網を巡らした厳重な畑で、屋根の高さに実っていた。忍者に魅せられていた私は素早く金網を登り、難なく屋根に飛び移って1個もいだ。
 一仕事終えた気分で朝焼けの町を見下ろしていた時だ。軒下から仁王立ちの丹前姿のおじさんに、「上にいるのは誰だ」と怒鳴られた。スモモの恐怖感が突然襲った。やっとの思いで、「新聞配達です」と返事した。すると、「何だそうか、気をつけて下りなさい」と言い残しておじさんは消えた。私は震えが止まらなかったはずだ。

 この二つの話は一見対極だが、大人が子どもにしてくれた一対の授業だ。
 やっと暖かくなった今年の5月、ふるさと旭川でふと目にした、白い小粒の花が咲き誇る樹は、間違いなくスモモだった。                           (5/22 北海道新聞)


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染色家の芹沢銈介展を旭川美術館で。生活の美をこんな色と形と風合いで昇華させられるることに驚嘆。偶然、ここで中学時代の美術の先生に。4月に「朝の食卓」で書いた恩師。不思議なご縁だ。先生が若い頃からこの作者の文字を学んだことを知った。

ママヨさんが、今回の「授業」に苦言。もう立男は、子ども時代の悪さを書いても良い境遇になったと思ったのだが…。

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短い話   №11

2012年04月13日 | 新聞掲載

 以前、新任の中学校で張り切っていた頃、先生の話が長くて生徒や親がPhoto 困っているようです、とPTA会長さんから言われた。さりげない口調だが、目が真剣だから間違いなく大勢を代表した直訴だった。
  全校集会で、「私の話が長過ぎて何を言いたいのかわからないという変な噂が学校周辺で広がっています」と真剣に切り出したら生徒の顔が上がった。「北海道で2番目ぐらいに話の短い校長になってみせます」と決意表明した。生徒は、本当かなあ?という顔つきだったが拍手してくれた。

 市内の小学校から、そこの校長先生の話が長くて、集会前に児童用トイレが大混雑して困っている、という噂も入ってきた。話の短い前任校長の評判が急上昇しているらしい。子どもたちからのシンプルかつ強烈な授業評価だ。いつ終わるかわからない壇上からの話を、身もだえして我慢しているかわいそうな幼い姿を想像した。

 その後私は、「えっ、もう終わり?」と言われるあいさつに努めてきた。立場上、修行の成果を披露する機会は少なくない。だが、「若い時のあの迫力はどしたの先生。随分話も短かくなったけど、身体どっか悪いんでないの?」と、今は大人になった教え子たちから温かく冷やかされる。
 今月から地元の大学で教えている。困ったことは、授業、いや講義1コマの時間が小中学校の倍ぐらいもあることだ。(4/12 北海道新聞)

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果たして、大学の「90分授業」は妥当なのか。一方的な講義の90分で、1日4~5コマなら絶望的な感じすら。学問を超え修験者の道場だ。立男の大学時代も90分だった。学ぶ価値観も、学ぶ方法も、子どもの忍耐力も変わっているはずなのだが…と、波風教授はつくづく思うのであった。

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反響

2012年03月16日 | 新聞掲載

Photo  昨日の北海道新聞(読者の声)に、コラム「恩師の言いつけ」の感想が載った。嬉しかったのは、標題「子供たちを導く教師にエールを」に表現される、過酷な中で子供たちに寄り添うすべての先生たちを応援してくれていることだ。心がポカポカした。私自身、退職間際だから、子供たちだけでなく、先生に対する応援歌を書いた、いや書けた。書こうと思った。
    それを、こんなふうに読み、全道にわかるように筆をとってくれた方がいる。感謝する。コラムに書いた「未来は満更でもない」気持ちだ。
                               
 更に嬉しかったのは、この読者の声のことを恩師が電話で知らせてくれたことだ。読んだかい?とても嬉しかったよ、と伝えていただいたことだ。ああ、よかった、本当に良かった。
                                                                                                                       
 感想やコメントはなかなか難しい。退職記念に作ってみた「校長室新聞」をお世話になった方々に勝手に送っている。読んでくれ、感想まで書いてくれる方もいる。ありがたいことだ。なかなか出来ないなあ、自分ならまず書けないなあと思う。世の中には凄い人がいっぱいいる。 

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