丘の上に赤れんがの大学がある。だが、そこで何が行われているのか私は長 く知らなかった。「子育て運動の街」稚内の教員として失格かもしれない。大学の敷居は昔から高い。恥ずかしい話だが、最近まで単位不足の悪夢で何回もうなされていた。
少し変わったのは、大学のすぐ下の中学校へ転勤してからだ。大学で作文を教える機会があった。数学の楽しさを中学生に伝えたい、大学を応援してくれる稚内に貢献したい、という青年たちの熱い思いを知った。生徒と学生の行き来が始まった。遠足をもじった進路学習の「近足」では、「大学生ってすごい。僕たちが絶対に理解できない授業を真面目に勉強している」という感想があった。豊かで真剣な学問の世界を肌で感じることは、若い時ほど大切だ。
近くて遠い学校が、近くて近い学校に変われば、近道の斜面に道ができ、そこに階段ができるかもしれないと生徒に話した。すると、PTAが鉄製の階段を作ってくれた。往来が急増した。道内初の「公設民営」が、この大学の出発点だったことを思い出した。
先日、社会人になった教え子が学んでいる夜間授業をのぞかせてもらった。アフリカの「子ども一人育てるには村中の人が必要」ということわざを教わった。この街の精神を、この大学で実らせたいと強く思った。外は暗くなったが、眼下の街の灯に照らされたあの階段が教室の窓から見えた。(8/9 北海道新聞)
今回は苦労した。書きたいことをもっと絞る必要が…と思いつつ時間が無かった。触れておきたいと前から思っていた大学のことを何とか書いた。
「辛かったけど読んで良かった」の感想。韓国のTVドラマには、「これでもか、これでもか」のいじめシーンの印象が。「チャングムの誓い」も半分は目をそらしていた(笑)本書も相当気が重い。「残る余韻が嫌じゃ無かった」に励まされ、さあ読むか。4月1日開始の仕事も明後日で一段落…この4ヶ月、長かった。
「腕に20ヶ所たばこの火や殴る蹴る、複数の同級生か らいじめ」で、仙台の私立高校生が親と警察に被害届と7日の朝刊。ところが、学校は被害者側の高校生に自主退学を求めたという。昨日のTVニュースで「やけどの跡を他の生徒に見せていたから」と教頭の意味不明な説明に取材記者が絶句。夕食中の波風家は唖然。どこまで事実かわからないことも多いが「あってはならないことを、あってもない」ことにしてしまう学校体質を絵に描いたような感じ…。学校ってなんだ?先生ってなんだ?…やりきれない報道が続いている。
「読書感想文 小学校5.6年生」(立原えりか監修:成美堂出版)を寝しなに。「実例作文がいっぱい」が売りの宿題やり方指南書。掲載の作文を真面目に読んだらつまらなかった(笑)これを上手に盗用する子もいるんだろうなあ。書き方の要領を知っても、読書好きにはならないなあと強く思った。読書世界への優れた案内書こそ大事だと思ったが、それは読書好きな子にも嫌いな子にも不要な一冊だと思った。国語教師を退職したから手にした一冊。大手通販サイトの本書の口コミ書評に苦笑。
「退職後、何するの?」と聞かれて、「うどん屋」、「誰でも集まりやすい大衆食堂」、「名付けて『波風食堂』」と、昨年の秋頃から吹聴した。電信柱におしっこする犬みたいに、あちこちで。だいぶ話が巧みになり真実味が(笑)「先生」だから嘘ではないようだと周囲(笑)立男らしいとも言われた。このごろ、ママヨさんも「仕方がないわね」とつぶやき始めた(笑)しめたものだ。波風国会は無事に法 案通過だ。なんやかやでお金もかかるし…親友のママヨさんが唯一の従業員なんだし…。
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この気持ちが変わらないように……いや、開店前だけど開店を祝して、教え子たちが「波風のれん」を贈ってくれた。昨日は、凡師さん一家が来てくれて「波風前掛け」(小袋付き)を贈ってくれた。開店の夢が一歩近づいた感じ。外堀が埋まっていく感じ。ただ、 大勢の方々に負担をかけているなあ、と思う。申し訳ない。その折には、いっぱいサービスしますからね。商売のつもりが全く無いんだから。みんなで夢を描きながら、その楽しい気持ちを少しでも形にできるように…という感じかなあ。
仕事でもないし、趣味とも違う、ただただ「面白そう」という気持ちだけで人と何かしているのが好きなんだなあ、立男は。「偉い人」でなく、明らかに「エライこと」になるのはわかっていても行動に移してみるところが立男の人生観というか、業というか…。ゴメンネ、ママヨさん。老後も引き続き迷惑かけますネ。
息子とコンビニで買い物。荒馬さんの目を盗むように買った「甘い物」。ベンチに座り、息子と2人でさっそくパクリ。うまい! 隠れて食べてる訳ではないが、どことなく内緒にしてるという雰囲気が、甘さを引き立てる。
落ちそうなホッペを気にしながら舌鼓を打っていると、息子が突然「あっ、やせないゴミだね」とポツリ。空になったプリンの容器を手にドキッとする凡師。なるほど、子どもの発想は素晴らしい。父親が母に内緒で食べたプリンの空き容器を「やせないゴミ」と表現するあたり、本好きの荒馬さんの血を引いているに違いない。「すごい発想だね!」と褒めようとした凡師に息子が、「じゃあ、やせるゴミってなあに?」とポツリ。「やせないゴミ」と「やせるゴミ」を対比するあたり、国語好きの荒馬さんの血を再確認。「やせるゴミっていうのは、油っぽくない食べ物の袋や、甘くないお菓子の袋とかだよ」と息子に向かって話す凡師。
凡師の後ろで、遠慮がちにたたずんでいる「2つの箱」に気づいたのは、息子との心温まる会話が一段落し、「やせないゴミ」を捨てようとした時だった。
2つの箱には「燃やせるゴミ」と「燃やせないゴミ」と書かれていた。
小1に「燃」は読めないよなぁ・・・。