家族でキャンプ。今度は美深のキャンプ場。気温は30度を超すも、風のおかげでとても心地よい。新しく買ったカメラも大活躍。家族の一瞬を切り取った。夜は昼とは打って変わり、肌寒いぐらい。子どもを寝かしつけ、外にでるとそこには満点の星空。広い夜空、輝く星、静まりかえった空間に、荒馬さんと一緒に酔いしれた。この日は荒馬さんの誕生日。誕生日に向けていろいろと計画を練ったが、この星空が最後の最後に花を添えてくれた。凡師一家はツイている。
家族でキャンプ。今度は美深のキャンプ場。気温は30度を超すも、風のおかげでとても心地よい。新しく買ったカメラも大活躍。家族の一瞬を切り取った。夜は昼とは打って変わり、肌寒いぐらい。子どもを寝かしつけ、外にでるとそこには満点の星空。広い夜空、輝く星、静まりかえった空間に、荒馬さんと一緒に酔いしれた。この日は荒馬さんの誕生日。誕生日に向けていろいろと計画を練ったが、この星空が最後の最後に花を添えてくれた。凡師一家はツイている。
【前号から続く】 忙しいから片付けられなかったのではなく、もともとの体質だ。何か始めると全身がさっさとそっちに傾き、それまでを忘れる。さっき脱いだ靴下も行方不明だ。ママヨさんは言う、「君は物をなくし見つけられない天才」、「私は君の物を探して人生の半分を使ってきた愚妻」。
有名人たちの老後話は何だか縁遠い。「還暦後の10万時間、過ごし方の優先順位は、健康、パートナー、財政、趣味」なんていうのも、今ひとつだ。膨大な未整理物を前に呆然と佇む立男には、「後片付け」の入らない老後論には現実感無く価値感じない。これまで歩いてきた道をゆっくり、楽しみながら、時々立ち止まり…という片付けこそ、人生後半の大きな楽しみだと何としても思い込みたいからだ(笑)、前半人生を辿る旅だと…が、全然手をつけていないから偉そうに語れないのが残念だ。決意表明しかできないが、目標は「散歩風片付け」。目的は、「『もしも』の場合はここを開け」と、きっぱりと子どもにも言えるようになること。「おおっ、オレもそんなことを考える人間に成長してきた」なあんて、父の日を前に、しみじみ立男は思うのであった。【終わり】
画像は、発売100年の「森永ミルクキャラメル」。レトロな「風味絶佳」「滋養豊富」の秀逸なコピー健在。一粒の形と包み紙変わり、入れ歯にくっつきにくく進化。昔、遠足の定番、小箱10円、大箱20円。競争相手は、明治のさっぱり味の赤箱。昨日、ママヨさんとおやつに。片付けは、昭和の思い出探しにつながって 恒例、昭和40年代中頃の友と入浴付き宴。その友たちの結婚式の栞と座席表を持って行ってやろう。大学時代のガリ切りビラを持ってきた奴がいて花に花が咲いたのもこの宴。
片付け始めている。還暦過ぎて1年、重い腰上がる波風家。この先使うはずなんかないはず、いや場合によっては…どうでもよい物を前に逡巡する老いた両人。出席した40年分の結婚披露宴の栞や座席表、やり繰りしてやっと買えた電化製品の取扱説明書類なんかを前に。過ぎた時間は幸せで残酷。写真の片付けが最後になるだろう。
家の外も変わった。木製の花壇土止めは朽ち、「うどん屋」見越した家屋も大型ゴミ置き場…中を片付ける前に外が先かと迷っているうちに、本を読み始め、気づくとうたた寝。雑草片付けのママヨさんが、朝顔の苗に水を遣る夕暮れ。
すでに人生の後半。はるか遠いはずの「もしもの場合」は、「明日かもしれない場合」に変わる。その時、「見られたくない恥ずかしいもの」は始末し「あれはどこにある」と騒がなくても良いようにしたい。だが、その恥ずかしいもの、大事ものが何だったか、それをどこに保管したかがわからない。【次回に続く】
表紙画像は「寺山修司: 天才か怪物か」 (別冊太陽 日本のこころ)。筆跡とイラストが「やばい」。が、昔から何だか気持ち悪い変なお兄さんは変わらない。真面目に読まず、カタログ風に見て楽しむ。代表歌「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国は在りや」はやはり今も強烈。石川啄木を読みたいと思う2013年の6月。大人の絵本を開いてうたた寝する休日の午後。
6月9日は荒馬さんの誕生日。荒馬さんの喜ぶ顔を想像しながら、せっせと計画を練った。プレゼントも用意し、息子と一緒に手紙も書いた。ケーキも買った。ご馳走も用意した。あとは9日を待つのみだったが、待ちきれない凡師。誕生日前々夜祭と前夜祭を敢行。プレゼントは前々夜祭で渡し、ケーキは前夜祭でみんなで食べた。明日の本番を前に、全てネタがつきてしまった。う~む、明日どうしよう。
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もう100回を超える「一寸凡師の隙間コラム」は、立男が某中学校の某教諭にお願いして書いてもらっている。この前、「あの一寸凡師…って言うのは、波風さんの一人二役なんですか?」なんて言う質問が。凡師と立男は別人格。凡師家のようなキャンプや相撲…舌戦中心の波風家では無理 凡師コラムは朝日新聞「先生のつぶやき」でも読める。中学校・男・40歳…少し前は39歳が凡師さん。ほぼ毎回掲載はすごい。昨日の「保健室」(デジタル版は未収録)も良かった 公式裏ブロで「友人はバーにいる」UP
詩集「わたしを束ねないで」(新川和江作)に、ドキリの一編。言葉の秘密を知りたくて、書き写したりする。
幼ければ恋、若ければ愛を歌っている詩なのだろう、異性に対する終わってしまった心。立男には、もっと広い人間関係の。前には随分と親しかったのに今は途切れてしまった人たちのことが浮かぶ。「鳴らなくなった」のでなく「鳴らせていない」自分を考える。相手も、こんな気持ちなのかな、なんて思ったりする。
そして、最後の「知らない同士でいたかった」で、もう戻れない、戻りたくも無い人間関係の断絶を思う。自分の、騙される弱さ、怒りと失望の弱さに今も辟易しながら。
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昨日、映画「福島 六ヶ所村 未来への伝言」見る。原子力と命は共存できないメッセージ。「今が良ければ」でなく「前も今も悪い」をタンタンとした映像でヒシヒシと迫る。知らされていない事実と証言、実に自分の問題。3.11解決のかの字も全くないのに再稼働や「輸出」の政治家。…「星が違っていたのですね」では済まない。