充電
歩けるようになったまめたは、両親の姿をとらえると、自分から歩み寄ってくるようになった。とても嬉しそうにテコテコと歩いてくるその姿は本当にかわいらしく、1日の疲れを吹き飛ばすほどの癒しの力を持っている。「今が一番かわいい時期だ」とあらゆる方面から言われることもあり、「ならば今のうちにこの可愛さを存分に味わっておかなければ」と、そうでなくても存分に威力を発揮している親バカフィルターが、どんどん強化されていっている気がする。
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そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、「充電!」と言いながら抱きしめると、「どうぞどうぞ、いくらでもどうぞ」みたいな感じで、おとなしくしていてくれるまめた。ちょっとドタバタと余裕のない日が続く中、彼は「癒し係」というとても大事なポジションを、家庭内で担ってくれている。
昨日に続き、昔描いた絵。
柔らかいゴムの雨合羽を硬い感じで。黒い材質が作る皺の微妙な感じ、黒と緑のバランス、平面なのに奥深い感じ、色面と線が作るリズムなんかを描きたかったのだろう。描いては削り、削っては塗りを何度も何度もやっていた。右の青いナップサックが懐かしい。
家に残っているのはこの絵ぐらい。描き終わったのは、だいたい嫌な絵だから、塗りつぶすか欲しい人に持って行ってもらった。この絵は、珍しく邪魔にならなかったのは邪気が無いからだ。125CCの赤い単車に乗り、雨の日は合羽を着て走っていた27歳の頃。
その時から絵を描き続けていたら、どうだったのだろう。絵を描かないのを後悔したことは無い。描くことを許さない仕事だったし、仕事が断然面白かった。両立できるような仕事でもなかった。今やっと、生活の中にごく自然に、『描くこと』があるのは、仕事がきっかけなのだから、面白いことだ。
久しぶりに「波風食堂、準備中です」更新しました。
やっと補修終了。ところどころ剥げてきていた34年前に描いた油絵。昨年の夏に預かり、目につくところにおいて直す約束を忘れないようにした。下手をすると全面描き直しみたくなりかねないので注意した。もう波風立男氏の持ち物ではないのだ。
題は『日曜日』。展覧会出品のため、適当につけた。何だか鬱屈とした感じ、抜け出したい気持を形にしたかった。「明るいはずの『日曜日』なのに暗い絵」とか「何を描きたいのかわからない」と言われた。本人もよくわからない。時間をみつけて真面目に描いていた。
剥がれたところをアクリル絵の具で補修。思っていた以上に、乾燥しきった油絵具との相性は良かったが、今後どうなるかは未だわからない。油彩と違って乾燥が早いのと匂いが無いのは嬉しい。クレパスとの相性も悪くない。
今回で昔も今も、描きたいものは全然変わらないと思った。この絵で変えたところは背景に何本かの線を入れたぐらいだ。持ち主にやっと来週渡せる。この50号の大きな絵を大事に飾ってくれているのはとても嬉しいことだ。
ごく最近描いたのを「2016イラスト」として一括整理。今年度4月から夏になるまで一枚も描かず、ママヨさんが桔梗を描いている横で何となく始めたら、やっぱり面白くなった。夏の1ヶ月、こんなのを時間があれば描いていた。大きさはバラバラだが、箱の蓋に描いた「シシャモ」ははがき大だが、他はどれも大きいスケッチブックに。そのうちの何枚かは10月に展示予定。
シシャモを置いた皿を気に入っている。裏が黒色で表が灰色。小さいが重く存在感があり、小さなものなら何を乗せても似合う。手にもずっしりなじむ。意外なくらい縁が繊細で、この皿の個性になっている。彫った□模様も嫌味が無い。少し高価だったから1枚しか買えなかった。普段は、梅干しを乗せて楽しんでいる。