波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

こめの学習帳:7ページ目【「暮らす」試論】

2017年05月18日 | 【保管】こめの学習帳
「暮らす」試論
 
今の住まいは平屋の一戸建て、職場に借りている。部屋は8帖の洋室と和室、10帖のリビングに6帖ほどの台所。4月からここで一人暮らしをしているわけだが、どうも落ち着かない。部屋がよそよそしく感じられるようになった。
             
相方さんの新居は、そうは感じない。自分の物が少ないため「ゲスト感」はあるが落ち着く。自宅と新居の違いは、「使われていない物」の量かもしれない。自宅には相方さんと息子が残していった物が多くある。忙しさを言い訳にして片付けきれていないそれらが違和感の正体かもしれない。
             
「暮らす」は、頭の隅にありつつも深められていないテーマだ。今の住まいは自分たちで選んだものではないが、相方さんと一緒に少しずつ工夫して居心地を良くしていった。息子が生まれてからは、彼も過ごしやすくなるよう手を加えた。今度は一人暮らしに合わせていくことになるのだが、この部屋の違和感をどうしてくれよう。自分の仮説が正しければ、息子のおもちゃで遊ぶことで少しは薄れるはずなのだが・・・。
 

 
波風立男氏から】『こめの学習帳』も今回7回目。時々、読者の方から質問が来ますので、くどいようですが解説しておきます。筆者の『こめさん』は本ブログ専用エッセイストで波風立男氏ではありません。配偶者は既に皆さんご存知の方です公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」、お題「古本バイバイ」で更新状態の良い武田百合子著「富士日記」(全三巻)を格安購入。漫画大半の地元古本屋にこんなのがあったなんて。
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楷書の美文字 

2017年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム
画『鍵泥棒のメソッド』(12年)をVDで見ていてハッとした。こういう大事さを忘れていたなあ。
 
頭から確かな脚本と演技で引きつけられ最後まで緊張感失わず笑って見た。真面目で事務能力抜群の凄腕の殺し屋(香川照之)と、計画性皆無の売れない俳優(堺雅人)の入れ替わり、どんでん返し、爽やかなエンディング。だが、波風立男氏はそれとは違う一点に強く心を動かされたのであった。殺し屋香川(映画ではコンドウ)の几帳面な楷書の文字と緻密に整理されたノートだ。うーむ、美しい。こういう日常整理の仕方を俺はしたかったのではないだろうか、なあんて。

月から書き始めた走り書きの忘備録(1日分の計画と出来事のメモ)を全て破棄して書き直した。「えっ、あの映画で、そこんとこなの」と横目で見ていたママヨさん。そこんとこなんですよ僕って。このぐらいですっきりできるのだから、全面的『老前整理』できたら生前整理に変化しても悔いはないと確信した。未だ3日目だが、会合の出欠連絡や、買い物メモも楷書で丁寧に書くようになった。忙しさの間に合わせでなく、ゆとりの丁寧さを楽しみたい。成果主義のデジタル世界をようやく退出し、やっと風味絶佳のアナログ世界に入ることができたのだから。

■映画『鍵泥棒のメソッド』予告編
 



書き文字については、金曜夜のTVドラマ「つばき文具店」で考えさせられていることも大きい。先週は『おもじ』に泣く美女の話だった。美しくなくとも丁寧で読みやすい文字を書きたい。同時進行で、丁寧で波風氏しか書けない文字(文字の形を借りた絵ですね)も書いていきたい。 ※「美文字」に対する「汚文字」
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続 「あの頃」を読む。

2017年05月13日 | 読書
(前回の続き)
じ時期(夫が亡くなった直後)のエッセーから。「ふいに涙が出てきて、やっぱり悲しいだけだなあ、と思う。丸まってお湯につかり、ケッと泣いた…お悔やみの電話をかけてくれた親切な誰彼のことを、その人が男であれば(丈夫だなあ。なぜ死なないのだろう)と、女であれば、(あの人のつれあいだって、いまに死ぬぞ)と、湯船の中で思ったりなどもする」【お湯】。形容詞でなく、『ケッ』から続く言葉に、人はこうやって生きていくもんだとつくづく思う。
                 
の本でも、人間の観察と食べ物の感覚がやっぱり面白い。辛辣だが一線を越えない彼女流の「反省」と「述懐」。無人島に一冊だけ持って行く本、と言われたら内田百閒か武田百合子と前に書いた。物語や説明文選ばずエッセーなのは、日常感覚の優れた言語化に触れさせていただき、自分という人間の捉え直し、その快さなんだろうなあ。感覚の触媒みたいな言葉に出会い、幼稚で浅はかな自分を笑う醍醐味。
             
風立男氏は、還暦少し前から意識してコラムを読むようになった。昔の朝日「天声人語」なんかは確かに名文揃いだ。エッセーの優劣は文末でわかる、が波風氏の持論だ。この「あの頃」もやっぱりそうなのだ。今回、一人娘(写真家 武田花)が波風氏と同年齢だったことを再確認した。それにしても、武田泰淳は64歳で逝ったのか。一冊も読んでないが読む予定もない。意外にそんな読者が多かったりして。


 
右上画像は前回ブログで書いた本書表紙裏掲載の作者武田百合子氏休み休み、本の片付け中。文庫本の『食べ物』に関するエッセーや小説が結構あった。もう一回読みたいので、コーナーを作っておこう公式裏ブログ更新しました。お題は「目頭に悪いコロッケ」です。
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「あの頃」を読む。

2017年05月12日 | 読書
行本未収録エッセイを集めた武田百合子著「あの頃」(武田花編:中央公論社)。1977~1992年分、5百ページもある。「富士日記」、「日々雑記」、「ことばの食卓」の懐かしい人に再会した感じ。昭和が匂う行間を楽しみ、残り頁を惜しみながら2週間で読む。日記を書いてみろと夫から言われ、「述懐や反省はしなくていい。反省の似合わない女なんだから。反省するときゃ、必ずずるいことを考えている…」【絵葉書のように】を読み、表紙裏の彼女の映っている写真を眺めて笑う。そんな感じだなあ。
                           
             

京で夫(武田泰淳 享年64)の納骨を済ませ、富士の別荘に帰ってきた時の「何もかもいつもの年と同じなのに、人ひとり、足りないことが不思議だった…(夫が)隠れているみたいだ。ふっとあたりを見まわしてしまう…道を歩いていると、夫婦らしい二人連れにゆきあう。私はしげしげとふたりの全身を眺めまわす。通り過ぎてから振り返って、また眺めまわす。羨ましいというのではない。ふしぎなめずらしい生きものをみているようなのだ」【今年の夏】という文章。前半の文章は普通の人のそれ。が、後半は天賦の才による。人が人をこんなふうに見る時があって、忘れていたが自分もそんな経験をしたことがあった(これからそうすることがあるような)気がする不思議。一筋縄ではいかない悲しみをこういう乾いた言葉で表現する。(頁数が多い本だったからと言う理由ではなく、書きたいことが多くなり次回に続く)


 
 吐くから吸う、吸うから吐ける息。読むから書き、書くから読む原理。ブログと読書の関係。読むだけでも、書くだけでも直ぐに行き詰まる道理(「息詰まる」もありだね)「君の軽率な言葉が理由だ」と静かに口にした。1週間前、小さな箪笥ほどの引き出しの物を次々と床にぶちまけた理由。こういう生前整理の仕方もありの波風家。新聞記事『姻族関係終了届』の切り抜きを静かに回し読みする昼飯時少し乗ってきたので裏ブログも更新したい。
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こめの学習帳:6ページ目【重いゴミ袋】

2017年05月11日 | 【保管】こめの学習帳
 
重いゴミ袋
 
昨年、晩夏の頃だったと思う。早朝に自宅前で体を動かしていたら、小柄で腰の曲がったお婆さんが両手にゴミ袋を持って歩いているのを見かけた。そばにあるゴミ捨て場に捨てるのだろう。刈った草を捨てたらしいそのゴミ袋は、土も混ざっていかにも重そうだった。手伝った方がいいかと思ったが、躊躇してしまった。ゴミの回収は明日なのだ。 
 
ちょうど道徳について考えていた時期でもあった。ご老人を手伝うべきか、回収日のことを伝えるべきか。どちらが行動としてより良かったのか。思い出しながら考えたのは、道徳的な行動には「ルールを守ること」が含まれるが、ルールを守っていれば道徳的であるとは言い切れない、ということだ。強権的に制度政策が決まっていく今、個人の状況や思いがルール(法制度)と切り離されながら、「ルールを守ること=道徳的(とるべき行動)」という構造になっていそうで怖さを感じる。その中で道徳が教科化されることにも。 
 
自宅前でまごまごしていたら、お婆さんが戻ってきた。回収日に気付いてゴミを取りに来られたらしい。少しホッとして、運ぶのを手伝った。


波風立男氏から】新しい座付きブロガー「こめさん」による『こめの学習帳』も6回目。凡師さんや腹ペコさんとも一味違う「こめ」の風味。今回は題名も効いている。毎週が楽しみですね。
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