波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

こめの学習帳:10ページ目【選ぶ言葉】

2017年06月08日 | 【保管】こめの学習帳
選ぶ言葉
 
先日、市内で政治学者の山口二郎氏の講演会があり、聞きに行ってきた。現在の政治の問題点についての指摘と、私たちはどう行動すべきかについて、2時間近くの講演だった。お話された事実については、新聞や多少の文献を読んでいれば誰もが知りえるものだった。ただし、そのまとめ方が秀逸だと感じた。事実の並べ方、その本質の捉え方、一般化・概念化、どれもが説得力に満ちたものだった。「研究者の仕事とはつまりこういうことです」の代弁でもあった。
                   
印象的だったことの一つに、家庭教育支援法案の紹介の仕方がある。この法案は報道された際に気になり少し調べていた。現在の家庭教育のあり方を憂えて、「家庭での教育とは斯くあるべし」を定めようとするお節介な法律だ。山口氏はこれを「親への説教を法律にしようとするもの」と端的に表現した。この法案の本質を皮肉っぽく、かつ分かりやすく表現したものだと感じた。
                    
自分の気持ちと言葉の選び方のギャップに戸惑うことが増えたと感じている。先日、自分がとても重要視していることについて意見を述べた時にも、自分の発している言葉の稚拙さに失望した。語彙の増加が求められる。「伝える内容と場面に即した適切な言葉を選ぶことが重要だ」と感じつつ、その文章表現も不満。どう表現しなおせば説得的になるのだろうか。
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続 林に住む人を訪ねる

2017年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム
(前回から続く)
で1時間、林を走った。いただいた手紙に「電信柱が無くなったところが我が家」とあった。その地区で最後に開拓に入った証。土産は、子育て運動30周年ポスター、故手塚治虫さんの描いてくれたシンボルマークが繋いでくれたご縁。生きていると、時々こんな機会ができる。ママヨさんが、「そういうところで生きている方に、私はずうっと会いたかったのかもしれない」とポツンと言った。
 
                          
 
本に描かれるようなお宅、いや『おうち』。樹木と花が囲み、「湿地が欲しかったのです」と作られた池が青い空を映していた。そこに17年間の暮らしがあった。座り心地の良さそうな3種類の椅子から好きなのを選ばせてもらいお話を聞いた。ずうっと聞いていた。酪農家になった息子さん、山で育てる牛のこと、最北端に住む決断、宗谷の自然の中で生きること、若い時から手塚治虫の漫画に出会い読み続けてきたこと…。気づくと3時間経っていた。
幸せの意味というか、生きる価値観みたいなことを、媒体でなく実際の人物との出会いで考えたのは久しぶり、いや初めてかもしれない。どんなお話にも聞き入るものがあった。
 

 
詩集「生きる」(谷川俊太郎) 開く。これを病気見舞いにくれた知人が、林に住むご夫妻の「人生の恩人」と言う方の息子(先月ご逝去)さんの奥様だった。何という不思議札幌の近代美術館で「Nの家族」(小出楢重作)を先週見て来る。高校の修学旅行以来。この件については本日更新の裏ブログ「Nの家族」で全8回のTVドラマ「つばき文具店」(原作:小川糸、NHK)先週終わる。「テレビは嘘だらけ。ドラマ以上にニュースも」(ママヨ語録)という中、静かに共感し楽しめた。
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林に住む人を訪ねる

2017年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム
風立男氏は、人の家に上がるのが苦手だ。気を遣わせるのがとても嫌なのだ。人嫌いでなく、むしろ人好きだから、家に来てもらう。その方がはるかに楽だ。子どもの頃からそうで、自宅がいつも溜り場だった。旅行嫌いはここら辺ともどこかでつながっているかもしれない。ママヨさんは輪をかけた外よりも家の人で、内向的だから外も内も苦手だが、波風氏の体験的洗脳学習45年の積み重ねで今に至る。総来客数の中で、波風氏が家を訪ねたことのあるのは1割に満たず、ママヨさんはさらに少ないはずだと思う。
 
んな波風立男氏が、「訪ねたい」と願った。それは一度だけしかお会いしていないが、ご夫妻の人柄にある。(次回に続く) ※画像はポスターをもとに、市役所前に設置されたベニヤ4枚分の看板。
 

 
「憲法は、安部家の家訓ではない」(菅原文太ご婦人の文子さん)に共感。そうかと思えば、『人生フルーツ』で脱成長主義を説く学者(6/1朝日「異論のススメ」)。毎回、逃げ場を周到に用意した暴論を異論と言う厚かましさ。田崎某という政権のポチもそうだが腹が立つね裏ブログ更新しました。「担々麺 こと始
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