選ぶ言葉
先日、市内で政治学者の山口二郎氏の講演会があり、聞きに行ってきた。現在の政治の問題点についての指摘と、私たちはどう行動すべきかについて、2時間近くの講演だった。お話された事実については、新聞や多少の文献を読んでいれば誰もが知りえるものだった。ただし、そのまとめ方が秀逸だと感じた。事実の並べ方、その本質の捉え方、一般化・概念化、どれもが説得力に満ちたものだった。「研究者の仕事とはつまりこういうことです」の代弁でもあった。
印象的だったことの一つに、家庭教育支援法案の紹介の仕方がある。この法案は報道された際に気になり少し調べていた。現在の家庭教育のあり方を憂えて、「家庭での教育とは斯くあるべし」を定めようとするお節介な法律だ。山口氏はこれを「親への説教を法律にしようとするもの」と端的に表現した。この法案の本質を皮肉っぽく、かつ分かりやすく表現したものだと感じた。
自分の気持ちと言葉の選び方のギャップに戸惑うことが増えたと感じている。先日、自分がとても重要視していることについて意見を述べた時にも、自分の発している言葉の稚拙さに失望した。語彙の増加が求められる。「伝える内容と場面に即した適切な言葉を選ぶことが重要だ」と感じつつ、その文章表現も不満。どう表現しなおせば説得的になるのだろうか。