(前回から続く)
次の日、若い時に聞いていた『赤い鳥』、好きな『竹田の子守歌』が終わり、続いて『誰のために』がラジオから
♪私は誰のために 生まれてきたのか
あなたにめぐり逢って 答えを知ったわ
これまでひとり 生きる意味を
私は探してた
あなたを愛するため 生まれて来たのよ
懐かしいなあと思っていたら、聞こえるか聞こえないかの声で「こんなふうに思ったこともあったけど、自分のためにきまっているでしょう」とママヨさん。もともとこの歌の詞に違和感があったからいささかの反論も無い。あらためてこう言い切る彼女とそれを面白く思う自分に、「2人ともハンセイキ経って大人になったなあ」(笑)と思った。
結婚というのは、時の勢いというか、何かの間違いというか、精神の錯乱というか、普通では無い状態でなければ決められない気がする。若ければ若いほど。波風夫妻は何か焦って決めた訳で無く、話せば長くなるからしないけど『環境』に後押し、いや蹴り倒されたみたいな感じでそうなってしまった。もとえ、させていただいた。青春の蹉跌(つまづき)と言えば実にその通りなのだ。
蹉跌が始まりでも、老いるほどにそれぞれが自立していく、無意味な依存を克服していくのが結婚の本質かもしれない。そこらを、家事の『お手伝い』から『共同分担者』へ修行中の今、しみじみと悟るのである。ちゃんとした人間になるために結婚という一つの選択もあるかもなあ、という感じ。
某メーカーのお便りに「来年お客様は創立60周年を迎えます・・・」の文語。「お客様」は「当社」の間違いだが、波風家のテーブルに上がるまで幾多の目にさらされたはずなのに ユーチューブで小三治さんの一席『うどん』で、うどんと蕎麦の食べ方の違いを知る。まさに名人芸で。