波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

青春の蹉跌 続き

2021年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回から続く)
の日、若い時に聞いていた『赤い鳥』、好きな『竹田の子守歌』が終わり、続いて『誰のために』がラジオから

♪私は誰のために 生まれてきたのか
あなたにめぐり逢って 答えを知ったわ
これまでひとり 生きる意味を
私は探してた
あなたを愛するため 生まれて来たのよ

懐かしいなあと思っていたら、聞こえるか聞こえないかの声で「こんなふうに思ったこともあったけど、自分のためにきまっているでしょう」とママヨさん。もともとこの歌の詞に違和感があったからいささかの反論も無い。あらためてこう言い切る彼女とそれを面白く思う自分に、「2人ともハンセイキ経って大人になったなあ」(笑)と思った。

 

婚というのは、時の勢いというか、何かの間違いというか、精神の錯乱というか、普通では無い状態でなければ決められない気がする。若ければ若いほど。波風夫妻は何か焦って決めた訳で無く、話せば長くなるからしないけど『環境』に後押し、いや蹴り倒されたみたいな感じでそうなってしまった。もとえ、させていただいた。青春の蹉跌(つまづき)と言えば実にその通りなのだ。
蹉跌が始まりでも、老いるほどにそれぞれが自立していく、無意味な依存を克服していくのが結婚の本質かもしれない。そこらを、家事の『お手伝い』から『共同分担者』へ修行中の今、しみじみと悟るのである。ちゃんとした人間になるために結婚という一つの選択もあるかもなあ、という感じ。


某メーカーのお便りに「来年お客様は創立60周年を迎えます・・・」の文語。「お客様」は「当社」の間違いだが、波風家のテーブルに上がるまで幾多の目にさらされたはずなのに ユーチューブで小三治さんの一席『うどん』で、うどんと蕎麦の食べ方の違いを知る。まさに名人芸で。

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青春の蹉跌

2021年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム


レビで、若いカップルそれぞれに「容姿・性格・金離れ」を5段階評価で聞いていた。たいてい男の方が低く女が高い、これは後で揉めるな。本を読んでいたママヨさんもチラチラ見ていたので、若い時の波風立男君を評価するとどうなる?と聞いたら、即答で「容姿3、性格5、金離れ1」。金離れはいつも借金をしていて、今になっても「波風君に恐喝され続けた青春」なんて笑わないで言うから想定内。金額的には1万円前後で70年代初頭では大金だが、既に実質的返却は済んだはず。だが、耳を揃えて菓子折り持参で正座してお返しした覚え無いので、当人はずうっと口先の上手い借金上手の不良学生の記憶のままらしい。

 

時は足も首も長くて顔が小さかったと言われていた(今より15キロも痩せていた)から「容姿3」は不満だがママヨさんの好みではなかったから仕方ない。「性格5」は勘違いはなはだしいが、逆に言うと他が低いから相対的に上昇したのだろう。そうでなくては一緒に暮らしてきた理由があまりに悲しい(涙)。いわゆる、青春の蹉跌(つまづき、しくじり等の意味)というか、大いなる勘違いと言うか。そういうことなんですよ、君と暮らすことになったのはとママヨさんが強く付け足した。危ない危ない、先にママヨさんの評価を言わず、そして聞かれなくて良かった、良かった(ホッ汗)。

 

次の日、若い時に聞いていた『赤い鳥』、好きな『竹田の子守歌』がラジオから流れた。懐かしいなあと聞いていたら・・・・次回に続く


柳家小三治著『落語家論』(ちくま文庫)を、『ま・く・ら』と同時進行で読む。この噺家(落語家でない)の一筋縄でない剛直さというか折り目正しさと、暮らしを見つめる愛らしい感覚に惹かれる。『もひとつ  ま・く・ら』頼んじゃった 小三治つながりでユーチューブの『小沢昭一の小沢昭一的心』楽しく聞いている。

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教育の失敗

2021年10月14日 | 新聞感想

これは、積もり積もった教育の失敗。子どもらの絶叫がコロナで炙り出された。今日の新聞(朝日1面)で、ここまで来たかと思った。競争と自己責任のゆとり無き『学力』一辺倒教育のつけ。子どもも先生も生きがいの持てない学校、命を削られる場になって久しい。お金をかけない教育、子ども第一でない教育、その失敗が取り返しのつかないぎりぎりのところまで来ている。

 

読んでいる新聞には、1面の過去最多の不登校数や激増した子どもの自殺の数値、社説(子どものSOS「官民で受け皿増やそう」)、取材記事の「『居場所ない』苦しむ子」の3記事掲載。扱いは丁寧だが、明らかな教育の失敗を書かない。マスコミでこうなら政治が認めるはずも無い。「官民をあげた多様な受け皿づくりをすすめたい」なんて寝惚けた対策しか主張できない。現状を何と見てその原因と解決の道を示さなければ、子どもも親も先生も救われない。新聞読まず別の意味で危険なサイトに庶民が流れるのは当然だな。
さて、今日衆院解散・31日投開票。政治で教育の失敗はどう語られるのか今までに無く注目したい。


前のスカ首相はそれ以前から気味悪かった。それよりましと思いたい岸田文雄首相、すぐに岸田フリオ首相になってきちゃった 故柳家小三治さんの言葉を考えている。エッセー=自己顕示に陥らない芸と人格「ル・ボン著『群集心理』」のテキスト(NHK「100分de名著」)を読んでいる。自分という庶民が、どう一括りにされて理性や良識が消され、やすやすと利用されるのかを考える。

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カッコいい人 ご逝去

2021年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

家小三治さん、10月7日ご逝去(享年81歳)。訃報聞き、「かっこいい男がまた亡くなった」と思った。このブログでも書いているが、小学生の頃から好きだった。落語は知らないが惚(とぼ)け方が愛らしく言葉が面白く、瞳がいつもキラキラしていた。後年は一見不機嫌そうな頑固親爺で、垣間見せる茶目っ気がやっぱり楽しかった。落語界唯一の人間国宝、この国も粋なことできる力があるんだな。

     ・・・

報知った早朝、森下典子著『日々是好日』の小三治さん作の解説読んだ。文中の国木田独歩著『忘れえぬ人々』を青空文庫で読み、続けて『ま・く・ら』(講談社文庫:柳家小三治)を再読。中の『駐車場物語』で声を出して笑いママヨさんを起こしてしまった。表も裏もそれが人間、そこのところを飄々と洒脱に言葉を選ぶ芸に朝から感心、やっぱりすごいや、この人で無ければ『陛下の思い出』は語れない。

・・・

述の「また亡くなった」は、緒方拳さんに続いての意味。この人も、嘘やタテマエを全部取っ払った心を感じさせてくれた。だから言葉が(文字も口跡も)、絵や書がいつも懐かしかった。俗の中の聖の輝き、作為感じさせない生き方、そこから生まれる素朴であたたかい表現。カッコいいなあ。こんな大人になりたいなあ。


関連する記事・・・「文庫本『日々是好日』の解説を読む」(18.11.30)、「座邊師友」(2011.10.02)。昔書いたのを読むと自分が好む人間性というか人生観を思うね 小三治さんのイラスト、新聞の写真見ながら描いたけれどそこはかとなく似ていてあんまり似ていない(涙)。でもそういうのがいいんだよ(笑)  

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言葉のこと

2021年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

葉が気になる。誰が何を言ったかもあるが、そもそも『言葉』って何だったかなあ。広辞苑では「①ある意味を表すために口で言ったり字に書いたりするもの。語、言語。②物の言い方。③言語による表現。※以下略」、こんなことを知りたいんじゃないんだよなあ。新明解では「その社会を構成する人々が思想・意志・感情などを伝え合ったり、諸事物・諸事象を識別したりするための記号として伝統的に用いる音声。またその音声による表現行為。※以下略」、効能の説明だがこれも知りたいことと違うなあ。

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んなふうに思う。自分が自分以外を知る道具が言葉、何かを感じても言葉を知らなければその意味はつかめない。そう考えていくと、世界を信じ人間を信じそして自分を信じられるかどうかは言葉の問題。自分と世界は言葉でつながっている。これはシンプルで素敵な真実。だって人はみんな自分用の言葉をどこかから借りてきて使いながら、自分流の世界をつくって暮らしているんだもの。他から影響はあっても、責任は当然あっても、こんなに自由なことは無いよね。

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れがだんだん怪しくなってきたのは、嘘と誤魔化しの政治の言葉が上からどんどん降ってきたのが大きい。高齢者になって疫病蔓延を体験したり、こんな嘘っぱち政治にお世話になるなんて考えもしなかったが、命の不安な世界で自分を支えてくれる価値ある言葉を見つけられない絶望、とでも言えるかな。こんなことを言葉にしてみると、問題は何も解決していないのちょっとだけスッキリしてくる。大げさだが、前より世界の何かを少し分かった気分するからかなあ。
先月の新聞に、「この間の政治は『言葉』と『論理』を軽視・・・明白な憲法違反を司法が放置してきたことも一因」(安倍内閣 国会招集要求98日間先送りに対し元最高裁判事が「違憲」意見書  9/21朝日)の記事があり、はっとさせられた。こういうまとまな言葉をマスコミが無視状態なのが怖い。言葉の劣化はマスコミがそれを放置容認してきたことが一因、と書いておこう。


  政治のことを書くつもりなんか無かったのに難しいことを書いてしまった(涙)。一晩おいて修正、何を言いたかったかを理解😄続編書きたい、難しくない奴画像は88.5度で淹れるママヨさん。88.1度だとこれまた全然違ってくる珈琲世界。

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