波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

表情を変える時計

2022年12月14日 | 図工・調理

刻々と
表情を変える顔。上唇と下唇だけの変化だが、何か言いたい、押し黙る、ため息をつく、笑う、笑いそうになる、吹き出す・・・・シンプルな分、味がある。サイトで見た壁掛け時計の画像に触発というか真似たというか。材料は、百均の時計から取り出したユニット、素麺の箱の木蓋、それにアクリルカラー、ラッカー塗料(つや消し)、裏側に取り付け金具(小さな羊灯吊り他)。大きさは手のひら大。


時計は
昨日半日、今日の午前中はデミグラスソース作る。缶詰のソースでビーフシチュウ作り「これなら自分で作ってみたいな」が発端。超簡単なレシピだったが強きつね色に小麦粉を乾煎りするのと、みじん切りした玉ねぎをバターで丁寧に炒めるのに小一時間かかった。「工作よりは短いなあ」で我慢する。こんなのでも缶詰と違う美味さ、オムライスに少し使い、残りをビーフシチュウにしてみよう。

 

抹茶を
午後のオヤツ時に楽しんでいる。作法もしきたりも知らない。最中やチョコレートにあうし、ママヨさんのアンパンでも美味い。茶道、書道、などの『なんとか道』は人に指図されたくない老人には無縁。波風氏愛好の絵も書も小中時代の授業の延長。自分で楽しくやってみて困難には「これはどうする?」をひとつづつ解決するのが楽しい。抹茶の合理的なたて方をユーチューブで知り感動する(笑)。


左の2次元コードはあの『波風食堂、準備中』に入る玄関。このブログに貼り付けても使用可なんだろうか?試しにやってみようっと『(精神科医)中井久夫スペシャル』(今月のTV「100分de名著」)を映像とテキスト両面で学び中。「分裂病」(=統合失調症)の捉え方、病を治そうとするのでなく患者の心に寄り添う「本当のやさしさ」に目が開かれる思いする この2日間歩いていない。手紙書いてポストに入れて来よう。牛乳も買ってこよう、と外を見るとひどい天気だな。向かいの家が見えないや。

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ものたちと

2022年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回から何となく続く)
自分と自分以外
との還暦後の距離のとり方を前回書いた。自分以外というのは広く言えば『世間』。世間を「(自分と)世界との間合い」と考えると興味深い。近すぎても疲れ、遠すぎたら淋しく、丁度良い間合いで暮らせることは幸せそのものだろう。他者からは波風君が世間なわけで、良い関係がずうっと続くとのは気持ち良い「間隔の感覚」が似通っているからなんだろうなあ。

ママヨさんの
「自分はどうして自分なのだろう?」という疑問は、歳をとるに従って疑問でなくなったそうだ。表現は色々でも同じ疑問を持っている人がたくさんいることがわかったからだと言っております。世間を観察していて得た結論なんですね。引っ込み思案で余計なことを言わないママヨさん、その気質の根底にこんな哲学的疑問を持って世間との距離を測りつつ「自分とは何か」を静かに収めているのは面白いなあ。性格的に真逆の波風氏に「人は自分とは違う生き物なんだなあ」を日々感じさせる得がたい人だ。

自分との間合いがまず大事だと思う。世間と細々とつながるほどそうだで、外側に向かってと内側に向かっての両方の間合いがある。自分の精神状態は考えてきたが、自分の身体に注目するようになってまだ半年。今まで、自分(=精神+身体)を随分と邪険にしていたと思う。それは病気の他人に対して優しく無かったことにつながるとつくづく思う。昨年から、同じような年齢の知人が病気で2名亡くなり、この年末には救急車で2名が運ばれた。身体に対して前と違う気持ちが今ある。身体のことが精神・意識のことを左右するのだ。


今日の詩『ものたちと』は衝撃的、ここでの「もの」はすべて人の手で作られた物。山や川や空とは違う。その分、物悲しさが一層強いのはなぜかな。「こころやさしい   ぬのきれが一まい」って・・・なんなんだよお(涙)  老人の男の暮らし方はこの国では未だ商売に、文化になっていない。図書館の家事や老後生活のアイデアはどれも女の人が主役。ハゲや杖の楽しみ方や一人暮らしの面白さなんて本は一冊も見当たらない。

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ぼくがここに

2022年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

どうして自分は自分なんだろう?子どもの時からずうっと疑問だったとママヨさん。最初、「この人は何を言っているだろう」と不思議だったが、歳をとり自分を少し客観視するようになって「そういう疑問は当然だなあ」と思う。そして、出会った当初からの「波風君は自信家です」という断定は、自分の思い通りに物事をすすめたがる波風氏に対し、「自分は自分」を少しも疑わずに生きている人が目の前にいるという驚きだったはずだ。そんなことないのにね。

 

人と人との距離感をこの頃考えることが多い。年賀状は来た方々に返信する、あれには出てこれには出ないという選別は失礼だからこれまでの交流の集いには全部参加しない、自分が興味関心あることはこのブログも使って呼びかけ波風食堂に来てもらう、こういうような今までと違う人間関係の作り方はある種の勇気と覚悟が必要だった。だが、やれば出来るし、前よりも無理・無駄・ムラの無い分、近すぎず遠すぎず安定安心の距離感を持てるようになってきた。若い時と違う、「人は人、自分は自分」の暮らし方はとても大事なことだなあ。 (次回に続く  ママヨさんの疑問はその後どうなったのか、波風氏の目指すものは・・・・)


今日のブログ記事にふさわしい詩『ぼくはここに』。小学校でこの詩を教えた。何をどう教えたかは忘れてしまったが、「ぼくは」に「きみは」を入れ替えて読むと大きな世界が広がる 一昨日の夜、下痢と嘔吐の同時発生危機に見舞われた。食べ過ぎと賞味期限切れを口にしたのが原因だと反省。そのせいで年内目標体重に到達し、嬉しいような恐ろしいような。

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子ども食堂 の続き。

2022年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

心配な子どもの家に行ったら親の姿が無く相当に腹を減らしていた。君が先生ならその時どうする?
成績のあまり良くない学生が、「すぐに食堂に連れて行って食べさせるか、コンビニで食べ物を買ってきて与える」とそれが当然だろうと答える。先生のお金で子どもに食べさせるのを何とか回避させようとするのが成績の良い学生で、先生が一時の感情で責任を負えないことを始めるわけにはいかない、ということなんだろう。「自分の冷蔵庫の野菜を持っていく」、「魚を釣って渡す」なんていうのがあった。5年前に退職した大学の教職ゼミでの話。

教員になりたいとおもっている学生、今や得がたい進路希望だ。全員が子どもの幸せを願っていた。その学生が困難にある子どもに直ぐに直接に手助けできない意識が悲しい。本来、国や自治体が何とかしなければならない問題を先生個人が手を出すことは許されない、そういう回答では教員採用試験に合格できないと思わせられている教育現場のイメージがあるのだ。どの学生も気持ちの良い若者で波風氏の学生時代より勉強しているし教職に対する熱意も高かった。だから、全員が採用試験に合格して欲しかった。

校長先生や教育委員会に叱られるぐらいのことなら腹の空いた子どもらにご飯を食べさせるのに躊躇はしない、という学生(心配な)の声にホッとしたのは波風氏ら教員だけではなかったと思いたい。この時のゼミ生のほとんどが中高教員になったり地方行政機関で働いている。今の学校や地方、彼らはこの時の話を何度も何度も思い出さざるを得ない状況で仕事していることだろう。それがどういうものであれ、「腹の空いた子どもに直ぐに食べさせる」のが真っ当な先生(大人)だと思っていて欲しい。子ども食堂がそうであるように、給食費無料化が時代の流れになってきたように。(一応終わり)


10年履いた長靴を買い換えた。底が減って時々すべっても夏に履ける(熱くてとても履けない)なんて思い、形が変形せず肌身に触れていた物は捨てずらい。新しい靴、どこまでも歩いていけそうだ(笑) 画像は、昨日と同じ黄色い菊。同じ花と思えないが、その時の気分と画材でこんなに違う。

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子ども食堂 のこと。

2022年12月04日 | 日記・エッセイ・コラム

子どもに食事を提供する『子ども食堂』、東京太田区で1件目が始まり10年、今は全国6000ヶ所(2021年度調べ)。7~8年前、「当地でも必要だ」と思った。福祉に通じた知人に話したら開設された。5年ぐらいになるだろう。1ヶ所から数ヶ所に広がりずうっと続いているのが嬉しい。

完全退職
(再就職終了以後)してから『波風食堂』開店。500円のウドン定食(うどん+ご飯物+珈琲)の収益(材料費以外)を子ども食堂応援費にしてきた。この3年はコロナで連続休業だが、読まなくなった古本販売や昆布干しアルバイト代の一部で、中学生のお年玉代ぐらいをカンパ。子ども食堂連帯の「大人食堂」。

子ども食堂
で一番大事なことは、『続いている』こと。給食しかご飯を食べられない厳しい暮らしの子どもほど、子ども食堂に来るのは難しい。貧困格差は子どもを徹底的に苦しめ大人不信を広げている。本当に来て欲しい子どもに信頼される唯一最大の鍵は、「行きたいと思った時に開店している食堂」だ。

波風食堂
のできることは2つ。当地でも「子ども食堂」の灯火が続いている宣伝、もう一つは、食堂収益でお金をカンパすること。子ども食堂が、運営者と参加者(子どもも大人も)の交流の場になっているように、波風食堂も同じ大切さを感じてきた。強制とか義務とかでなく、何となく面白そうだし自分の出来る範囲でまず自分からやり始める主義、みたいな。
子ども時代の貧しく厳しかった暮らしを時々思い出し、「今だって辛い子どもはたくさんいる」「格差が大きい今の方がもっと厳しい」と話す波風夫妻。応援する心だけは持ち続けたい。(次回に続く はず)


教員生活で知ったこと。勉強がわからないこと、いじめられていること、家が貧しかったり親が仲悪いこと、この3つを子どもは口にしない。自分が悪いからだと思って。子どもに信頼される先生(大人)にしか教えない 波風食堂は、子ども食堂へのカンパを受け付けない。「500円ぽっきり」で協力してくれた人に申し訳ない。カンパは「子ども食堂」(携わっている人)へ是非渡して欲しいな画像は、先週まで花壇に咲いてくれた最後の黄色い菊。かわいいなあ、2枚描いた。

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