お金は無いよりあったほうが良い、あればあるほど良い、とずうっと思っていた。余裕のない暮らしで育った自分だけかと思ったら、周りもほぼそうだったし、これが世の中だと思った。格差が今ほどでなく、情報も少なかった子ども時代だった。中学の時の先生にあこがれて働いたが、お金はいらないと思ったことは無い。働く時間に比べてもらうお金は圧倒的に少なかったが、子ども時代よりましだし、好きな仕事で子どもの頃から好きなことを生かせたからお金のことは二の次三の次、学校へ行くのが嬉しかった。
お金が無くて困るのは、楽しみに近づけない惨めさ。自転車の荷台にしつらえた紙芝居屋さんでは、飴を買える子は相撲で言えば砂かぶりの特等席で、そうでない子どもは「ぼくはお金払ってないから」の心を体現、やっと見える聞こえる位置で「怪人20面相」に興奮した。そういう格差が世の中なのだ。いつのも遊び仲間が格差底辺階層ばかりだから全然平気だった。弟や妹を見えるところにしてやる連中だった。金持ちの家にテレビが入り、窓の外から音の聞こえないチラチラした白黒画面をカーテンが引かれるまで見入っていた時、不思議に惨めさを感じなかったのは自分よりももっと惨めな友だちがいたからだ。
(次回に続く)
画像は、柚木沙弥郎さんデザインのタイル「数字」。色紙とハサミでこんな繊細なイメージが 帰省した波風三郎君が毎日FBに出しているイラスト談義。家族とのコミニケーションのきっかけにもなった、という言葉が嬉しい1日増やしスクワットが今日で40回。3日前から100回ジャンプも。布団から立ち上がる朝、前より楽な気がする。