教師の専門的力量て何んなんでしょうね。
国が求める教師像は「これからの学校教育を支える教員の資質能力」として示され、各都道府県では「目指す教師像」として示されている。
採用試験の答案としてはそれらを書けばばいいわけなのだが、実際に仕事を一緒にやる場面では、少し違うようにおもえるのたけどどうなんだろう。
コミ力のない人、向上心のない人、人として魅力を感じない人、時間や提出物にいい加減な人、周りや上司の評価計りを心配する人等々「資質に課題がありそうな」人に「専門的知識」や「高度な指導スキル」があったとしても子どもたちの模範とはならない。
かといっていつまでも先輩におんぶにだっこ、世の中の動きも知らない、新しい知識や指導方法にも関心がない、けど私は「子どもが好き」という「思い」だけでいくと、後輩の面倒みるのがわずらわしくなる。
最低でも、9科目×6学年、更に特支や道徳、英語の全てを「完璧」にやりこなさなければならないと言うプレッシャーや塾や家庭教師では出会うことのなかった多様な価値を持ち多様な行動をする子どもたちへの対応。
子育てに不安をもち、若い教員が経験したことのないことへの解決の方法を、保護者が教員に求める対応への方途を示すことのできない先輩や同僚、そして上司の存在。
先生たちが未来に希望をいだくには何が必要なのだろう。単に賃金を引き上げるだけでいいのかな。
子どもたちに「希望」や「未来」を教えられることこそ先生の専門的力量なんだと思うのだけど、賃金があがり、マニュアルさえ整備されればそれも、できるのかも知れない。のかな。