スポーツはフェアプレーを重視し、紳士的な行為を尊ぶものとされてきますが、それはそのプレーを見る側、すなわち観客の「期待」するものだということは、プレーヤーとしてなんらかのスポーツを楽しんだ経験のある人たちなら理解できるかもしれません。
サッカーにはマリーシア(ズル賢さ)という文化があります。そういうことはしないという精神性があることは大事なことかもしれませんが、それとは別の「勝ち負け」という結果で物事を判断する観客や勝つことを期待する観客がいることを前提に「勝ち」なおかつ「紳士的な行為」で、という条件をクリアすることがプロなんだとしたらマリーシアもひとつの技術だと思ってしまいます。
僕らが幼かったとき、日本はエコノミックアニマルと呼ばれた時代がありました。
物まねが上手い東洋の猿なとどいわれても愚直に我慢し、臥薪嘗胆したのだと思います。我慢をベースとした「恥」の文化があったのだろうと思います。
世界が紳士的な行為を大切にしょうとしていたとき、日本人は生きることに必死だったんだと今なら思えます。
だから僕らは、プロレスに熱中し、野球を夢見、サッカーに憧れたのかもしれません。そしてラグビーでワンチームですね。
団結すれば「勝てる」という「結果」を見る「観客」が僕らの立ち位置になりました。
我慢することができなくなった日本人にこれから先どんな文化が生まれてくるのか。そのキーマンがあなたたちなのだと思います。
一度我慢することを忘れた子どもに、我慢させることを教えることは難しいことですが、我慢しなくてはならない時代がやってくるというシナリオが見えてきませんか。
まさにあなたたちが、未来を作っています。あなたたちは、現役のプレーヤーなんですよね。
目の前にいる子どもたちにとって、そう、あなたが担任として4月から担当している子どもたちを守るために最善だという判断と議論が、各学校で必要だと思います。
待っていても先のことなど誰も教えてくれない有事なんですよね。