1月17日(月)、神戸でメモリアルウォーク2005に参加してきた。あいにくの雨だったが、15kmコースを歩いていると、ゴール地点から虹がきれいに見えた。この写真は、そのときのものだ。実行委員長さんがランプを手に、マイペースで歩いていたのが印象的だった。阪神淡路大震災時には、毎日2時間、歩いて通ったのだという。「慣れると、歩けるもんですなぁ」という言葉に、静かな強さを感じた。
歩きながらラジオを聞いていると、10年目ということで特集番組が組まれており、様々な被災者の声を聞くことができた。「はるかのひまわり」の話も、初めて聞いた。妹が亡くなったのは本当に悲しいが、妹の死をただ嘆き悲しむばかりの母親に、もっと生き残った自分の方を向いてもらいたかった、という女性の心情は正直な気持だろう。同じ部屋で隣で寝ていた娘が死んで自分は助かった母親のつらい気持を理解できるまで、七年もかかったという。それにしても、震災の焼け跡で小鳥のエサの種から開花したヒマワリを、いつも出前してくれていたうどん屋のおっちゃんが見つけ、妹のひまわりだといって近所の人たちに分けてくれていたとのことだ。「人を助けるのは人だ」という言葉が印象的だった。
歩きながらラジオを聞いていると、10年目ということで特集番組が組まれており、様々な被災者の声を聞くことができた。「はるかのひまわり」の話も、初めて聞いた。妹が亡くなったのは本当に悲しいが、妹の死をただ嘆き悲しむばかりの母親に、もっと生き残った自分の方を向いてもらいたかった、という女性の心情は正直な気持だろう。同じ部屋で隣で寝ていた娘が死んで自分は助かった母親のつらい気持を理解できるまで、七年もかかったという。それにしても、震災の焼け跡で小鳥のエサの種から開花したヒマワリを、いつも出前してくれていたうどん屋のおっちゃんが見つけ、妹のひまわりだといって近所の人たちに分けてくれていたとのことだ。「人を助けるのは人だ」という言葉が印象的だった。