電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

映画「劔岳・点の記」を観る

2009年07月18日 09時10分31秒 | 映画TVドラマ
先日、念願の映画「劔岳・点の記」をようやく観ることができました。新田次郎の原作を読み、30年ほど前に私自身もその頂に立っただけに、あの岩峰での映画撮影の困難さは実感としてわかります。もともとカメラマンとして映画人生を歩んできた木村大作監督作品のゆえでしょうか、圧倒的な自然描写は、大型スクリーンならではの迫力です。むしろ、シネマ・コンプレックスの大型スクリーンでさえ、本当の雄大さには程遠いことを知るだけに、現場を共有した俳優やスタッフの、演技を越えた感動が伝わります。芸能スポーツ方面はとんとうとく、役者さんの名前などはまったくわかりませんでしたが、主人公・柴崎芳太郎に扮する浅野忠信さんの風貌は、山中の生活が長引くほどよりいっそう思索的になっていき、案内人の宇治長次郎の善意と人間性は、困難な場面になるほど光ってきます。役柄に徹することによって、自然の大きさと恐さにも同化した一体感を感じているかのような、そんな映画となりました。
(なお、本記事で使っている写真は、30年前の剣岳山行でハーフサイズのオリンパス・ペンで撮影したものですが、せっかくのエクタクローム・リバーサルも、だいぶ荒れてしまっています。)



印象的だった場面:
(1) 点の記がずらりと並んでいる書庫の場面。原作を読んだときに、点の記というのはどんなものだろうと思っていましたが、なるほど、あんな立派な製本のものなのですね。三等三角点以上の成果は、この立派な記録に残されるけれど、どんなに困難な偉業でも、四等三角点では点の記に残らない。原作者の新田次郎氏が憤りを感じ、この物語を書こうと思い立った理由を、ようやく理解できました。
(2) 新妻の葉津よさんが手紙を書き、切手を貼ります。その宛先が、夫かと思ったら、案内人の長次郎の奥さん宛でした。この場面、思わずうるっとしました。
(3) 雪渓を滑落する場面。専門のスタントの人なのでしょうか、自然に停まる場所を選んであるのだとは思いますが、滑り出したら停まらない恐怖感に、ピッケルなしでよくも耐えられるものです。
(4) 地下足袋に四本爪アイゼン+草鞋ばきという足ごしらえで、よく凍傷にならないものです。冬季には、革製の登山靴にインナーシューズ、ウールの登山用ソックスを二枚重ねても、足元からふるえがきます。互いの体温が、最も効果的な暖房となったのでしょうが。
(5) ヴィヴァルディの「四季」やバッハの「幻想曲とフーガ」など、クラシック音楽を効果的に使い、レトロでモダンな時代の雰囲気をたくみに盛り上げていました。演奏は仙台フィルハーモニーだそうで、同じ東北地方の、隣県山形出身の主人公の物語を、あざやかに彩っていました。
(6) 一点だけ苦言を呈すれば、柴崎が相談に行く先輩の古田盛作が道場で弓を引いている場面。弓構えから見て、小笠原流でも日置流でもないのに、大三を取らず無雑作に引き分け、口割りに達せず鼻の位置で離れてしまっていました。我慢と落ち着きが足りない、性急な性格を表してしまっているようで、ちょいと残念。また、柴崎が顔を出す場所は、道場の後ろの入り口からであるべきでしょう。行射中にそんな危ないところから顔を出すやつがあるかと、私でも怒鳴りつけるところです。(元弓道三段のプライドか ^o^)/



いずれにしろ、私としては裏劔~仙人池周辺の映像がたいへん魅力的でした。劔沢を下ってあの岩峰の裏側に回り込むと、静かな池があるというそれだけでもかなり神秘的ですが、年齢的におそらく自分の目で見ることはないであろう、秋の仙人池の風景を、目に焼き付けておきたいと思ったことでした。



写真は、ほぼ30年前の劔岳山頂にて。たしか、このあたりで錫杖が見つかったのだったと記憶しています。
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