徳間文庫で、三浦しをん著『神去なあなあ夜話』を読みました。前作では、横浜生まれでフリーター希望の少年・平野勇気が、なんの因果か、三重県の山奥にある神去村で林業に従事する話が描かれていました(*1)が、この作品はその後日談です。なかなかおもしろい。構成は、次のとおり。
山奥の神去村の伝説は、神話風のいろどりを持ち、おもしろい。そういえば、多くの地域に「昔は水の底」伝承が伝わるのは、縄文海進(*2)の時代の記憶なのでしょうか(^o^)/
スーパー山男・ヨキとその妻みきさんのなれそめの話もいいけれど、中村林業(株)の親方である中村清一さんの人柄は、ノブレス・オブリージュを体現したような、まことに見上げたもので、直紀さんが姉のダンナなのにポーッと憧れるのも無理はない(^o^)/
自分がしっかりしなければ、と若い頃から自分を律して生きてきた年上の聡明な男性は、それは頼り甲斐があり、ステキに見えるでしょうけれど、でもそれは憧れであって、恋愛とは違うぞよ(^o^)/
村人が乗ったバスの転落事故のことを話す山の中の夜。
うーむ、このあたり、最後の一言で涙腺がゆるみます(^o^;)>poripori
とくに、村人が乗ったバスの転落事故、遭難の後の経緯を知るとき、清一さんがヨキと無邪気に唐揚げをめぐってじゃれあうのも一種の息抜きで、無理もないと思えてなりません。姉妹が清一さんをめぐって争うようなドロドロした展開は、似合わない。その点からは、勇気クンが年上の女性・直紀さんに恋して成長することは、双方にとって望ましいことのように思いますなあ(^o^)/
○
神去村の名家、中村家のように、当地にも旧家が、しかも「○○様」というように「様」付けで呼ばれる旧家がいくつかあります。戦後の農地改革で没落したことなども影響し、当主の子供たちは旧家の出身であることを重荷に感じることが多かったようです。でも、なぜ地域の人たちが「様」と敬称を付けて呼ぶようになったのか、そのいわれを調べると、数百年前に大規模な水路工事を行い、かなり遠くから農業用水を引いたことによって、当事者はもちろん多くの人々がその恩恵を受けたことがわかります。いわば、水の恵みを受けた土地の人々の尊敬と感謝の気持ちが、「様」づけで呼んで顕彰するという慣習になったらしい。たんに「金持ちだから」ではなかったのです。
中村清一さんも、誇りを持って旧家を担っていってほしいものだと思いますなあ(^o^)/
(*1):三浦しをん『神去なあなあ日常』を読む~「電網郊外散歩道」2013年2月
(*2):縄文海進~Wikipediaによる解説
第1夜:神去村の起源
第2夜:神去村の恋愛事情
第3夜:神去村のおやかたさん
第4夜:神去村の事故・遭難
第5夜:神去村の失せもの探し
第6夜:神去村のクリスマス
第7夜:神去村はいつもなあなあ
山奥の神去村の伝説は、神話風のいろどりを持ち、おもしろい。そういえば、多くの地域に「昔は水の底」伝承が伝わるのは、縄文海進(*2)の時代の記憶なのでしょうか(^o^)/
スーパー山男・ヨキとその妻みきさんのなれそめの話もいいけれど、中村林業(株)の親方である中村清一さんの人柄は、ノブレス・オブリージュを体現したような、まことに見上げたもので、直紀さんが姉のダンナなのにポーッと憧れるのも無理はない(^o^)/
自分がしっかりしなければ、と若い頃から自分を律して生きてきた年上の聡明な男性は、それは頼り甲斐があり、ステキに見えるでしょうけれど、でもそれは憧れであって、恋愛とは違うぞよ(^o^)/
村人が乗ったバスの転落事故のことを話す山の中の夜。
「おかしなもんやなあ」
と、ヨキは静かな声で俺に行った。「お袋のことは、指を見ただけで、わかった。親父は腹のあたりで確信を持てた。ほんまに親しいひとのことは、そんな些細なところも、よう覚えとるもんなんやな」
ヨキは、「父と母です」と警察官に告げた。警察官は小学生のヨキに、「ご愁傷さまです」と深々と頭を下げたそうだ。あれは心のこもった一言やったな、とヨキは言う。(p.178~9)
うーむ、このあたり、最後の一言で涙腺がゆるみます(^o^;)>poripori
とくに、村人が乗ったバスの転落事故、遭難の後の経緯を知るとき、清一さんがヨキと無邪気に唐揚げをめぐってじゃれあうのも一種の息抜きで、無理もないと思えてなりません。姉妹が清一さんをめぐって争うようなドロドロした展開は、似合わない。その点からは、勇気クンが年上の女性・直紀さんに恋して成長することは、双方にとって望ましいことのように思いますなあ(^o^)/
○
神去村の名家、中村家のように、当地にも旧家が、しかも「○○様」というように「様」付けで呼ばれる旧家がいくつかあります。戦後の農地改革で没落したことなども影響し、当主の子供たちは旧家の出身であることを重荷に感じることが多かったようです。でも、なぜ地域の人たちが「様」と敬称を付けて呼ぶようになったのか、そのいわれを調べると、数百年前に大規模な水路工事を行い、かなり遠くから農業用水を引いたことによって、当事者はもちろん多くの人々がその恩恵を受けたことがわかります。いわば、水の恵みを受けた土地の人々の尊敬と感謝の気持ちが、「様」づけで呼んで顕彰するという慣習になったらしい。たんに「金持ちだから」ではなかったのです。
中村清一さんも、誇りを持って旧家を担っていってほしいものだと思いますなあ(^o^)/
(*1):三浦しをん『神去なあなあ日常』を読む~「電網郊外散歩道」2013年2月
(*2):縄文海進~Wikipediaによる解説